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映画”そして父になる”を観て-私ならどうする1

平成25年10月 8日(火):初稿
○「映画”そして父になる”を観て-子の福祉の観点から違和感あり」の続きです。
ここで私は、「この物語の場合も、子の取り違えは、子には全く責任はなく、子の福祉の観点から、子の利益を最大限優先して考えれば、たとえ子の交換を実現するとしても、最大限の配慮が必要です。」と記載しており、映画の中では、僅か数回の土日宿泊体験の後に簡単に交換を実現したことに、何と殺生なことをするものだと呆れました。「殺生な」とは、「むごい」或いは「残酷」と言う意味です。

○この物語を法律的観点から見ると、相当やっかいな問題を含んでいます。先ず客体を誤った出生届の効力が問題になります。野々宮良多・みどり夫妻の間に生まれた長男として慶多と命名されて出生届された子は、真実は、斎木雄大・ゆかり夫妻の間に生まれた長男であり、斎木雄大・ゆかり夫妻の間に生まれた長男として琉晴と命名されて出生届された子が、真実は、野々宮良多・みどり夫妻の間に生まれた長男でした。この2組の夫婦の長男出生届は、双方とも届出の客体を誤った錯誤があり、その出生届の効力が問題になります。

○ややこしい話ですが、野々宮夫婦は、斎木夫婦が琉晴と命名した子を、誤って慶多と命名し、慶多として出生届をした訳で、客体に錯誤があり、このような場合通常は、出生届自体が無効になる可能性もあります。見合いに出て来た妹を姉と誤って届けた姉との婚姻届では無効となる例と同じです。しかし、この映画の場合は、非常に難しい問題を含み、後日の検討題材とします。出生届から始まり、この問題を解決するためには相当やっかいな法律問題をクリアしなければならず、この検討・解説だけで相当のHP材料としての更新情報が出来そうです。

○この映画「そして父になる」では、病院側と野々宮家側の2人の弁護士が登場しますが、上記問題など論じていません。映画の中でそんなことを論じても全く面白くないからです。映画の中での取り違えた病院側では弁護士を同席させて、このような取り違えが判明した場合、過去の例では、両親は100%「交換」を選択しますと説明したことに驚きました。二つ、三つの物心ついたばかりなら、兎も角、小学校に入学した子供同士の「交換」なんて、とんでもない話です。

○私は、映画を見ているときは、小学1年生に入学した年の11月に取り違えが判明したと思っていましたが、念のため、宝島社文庫版「そして父になる」を購入して読んでみると、入学する前の年の11月に判明したとされていました。赤外線補聴システムヘッドホンが不調で、補聴器をつけて映画鑑賞したので、台詞の聞き取りが間違っていたかもしれません。取り違え判明後の対応は、子供の成長時期が極めて重要な判断要素になります。更に双方の家庭環境の違い等も次に重要な判断要素になります。

○例えば小学6年生位になって判明した場合、取り違え後の状態が長く続いて、その子の慶多としての人生蓄積が相当量になっており、これを琉晴と交換するなんて、到底、出来ることではありません。取り違えが判明した場合、双方の両親の対応としては、大別して
①取り違えはなかったことにする即ち事実に目をつぶり、秘密として墓場まで持って行く、
②取り違えの是正を図る即ち最終的には「交換」を実現する
の二つですが、両親としては、子の利益・福祉を最大限優先して検討すべきです。ですから、私の場合は、①を取ることも多いにあり得ます。両親は100%「交換」を選択するとの病院側説明は疑問に思っており、実際このような問題に直面した両親は、双方、①を選択した例もあるのではと思っております。

○次に②即ち「交換」を選択する場合でも、この映画のように数回の週末試験的宿泊体験を経ただけで、「交換」実現なんてとんでもない話です。「子の利益・福祉」の観点からは到底許されないと考えるべきです。この問題はコンテンツを改めて検討します。
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