平成24年10月 2日(火):初稿 |
○「YouTubu動画での舟木メロディーに酔いしれる2」の続きです。 舟木氏に熱中した昭和38,9年当時は、橋幸夫氏、西郷輝彦氏と合わせて御三家と呼ばれ、当時の若者に圧倒的な人気を誇っていましたが、橋氏、西郷氏も舟木氏程ではありませんが、好きな歌手で、その何枚かレコードを購入しました。特に記憶に残っているのは橋氏の「ああ、特別攻撃隊」と、西郷氏の「君と歌ったアベマリヤ」です。「ああ、特別攻撃隊」は今聴いても涙が出てくるほどです。 ○橋幸夫氏の「ああ、特別攻撃隊」の歌詞は以下の通りです。 1 誰にいわれた わけではないが 放っておけずに 志願した 母さん黙って 泣きながら お守り袋を くれたっけ 空に散るのか それとも海か 故国よさらば 俺は征く 征くぞ 特別攻撃隊 2 愛しい人の 祈りをこめた 千人針を しっかりと こころに痛く 抱きとめて 思わず名前を 呼んだっけ 雲の流れに そよ吹く風に 別れを告げて 俺は征く 征くぞ 特別攻撃隊 3 友よさいごの 便りを書こう お前の顔を 見せてくれ 今じゃ喧嘩も なつかしい どっちも似たような 意地ッ張り 泣くな笑って 行こうじゃないか 故国よさらば 俺と征く 征くぞ 特別攻撃隊 ○歌詞の添え書きに「南の海に散華された、多くの若者に感謝とご冥福をお祈ります。合掌」とありますが、作詞の川内康範氏、作曲吉田正氏のこの曲を作った思いが込められたものと思われます。私が中学1年の時発売された曲ですが、どういう訳か、その歌詞に魅せられ、また、橋氏の伸びやかな声質とマッチした曲想が心に響き、発売後直ぐにこのEPレコードを購入し、繰り返し聴いて歌詞を全部暗記し、自分でも下手な歌を繰り返し歌ったように記憶しています。 ○この曲の歌詞が胸に響く大きさは年齢を重ねる毎に大きくなって来ました。人並みに子の親になって子を思う親の気持ちが実感として判るようになると、特に、 「 母さん黙って 泣きながら お守り袋を くれたっけ 」 との歌詞に触れると自然に涙が出て来ます。自らあたら命を投げ出す特攻の任務に就く息子に明日はないにも拘わらず「お守り袋」を渡す母の心境が痛いほど伝わってきて、このように前途ある若者の命を投げ出さなければならなくなる戦争は二度としてはならぬとつくづく思います。 ○私は、反戦論者ではなく、現在の自衛隊を敬愛し、4年間そのオピニオンリーダーの任にも付いて実弾演習見学等自衛隊活動を垣間見て来ましたが、それ故にこそ戦争を安易に考えるべきでないと実感しています。尖閣諸島を巡る中国との争いについて戦争になれば緒戦は自衛隊が圧勝する、領土を守るために戦争も覚悟すべきだなんて勇ましい論調も見られます。しかし緒戦に圧勝したからと言ってそれで終わるはずがありません。尖閣諸島を守るための戦争継続による利益・不利益を軍事面だけでなく経済面も含めて先の先までシミュレーションし国及び国民全体の利益・不利益を比較考量して慎重に検討すべきであり、メンツだけにこだわるべきではないと思っております。 ○太平洋戦争において日本はアメリカの挑発に乗り真珠湾攻撃を敢行して、結果としては無謀極まるアメリカとの戦争に入り、緒戦は華々しい勝利を収めるも、最終的には2度にわたり原爆実験場にされて数十万人の無辜の日本国民が虫けらの如く殺戮された挙げ句日清・日露戦争で獲得した対外領土も殆ど全て失い、また、主要都市の大部分が焼け野原となり、軍人・民間人合わせて1000万人もの尊い日本国民の生命を奪われ、未曾有・甚大な損害を受けて終わりました。歴史学者の間では太平洋戦争はアメリカの日本撲滅・弱体化戦略一環の挑発に日本が見事に載って踊らされたものであるとの説が強くなっているそうです。 ○中国はアメリカほど強大・非情の国とは思えませんが、これだけIT技術の発達した現代においては、太平洋戦争当時より遙かに緻密で正確なシミュレーションも可能になっているはずです。中国軍と自衛隊の総合戦力、中国と日本の経済的交流程度等について、一時的な感情に駆られず冷静な計算をして、決して太平洋戦争の二の舞にならないよう、慎重にも慎重を期して、対中国戦略を練るべきと思っております。何より重要なことは精神論ではなく客観的裏付け資料に基づく科学的統計学に基づく行動です。 以上:1,793文字
|