令和 4年 5月27日(金):初稿 |
○「親権者母と9歳の子供間遺産分割を有効と認めた地裁判決紹介」の続きで、長文の判決文のうち判断部分一部を紹介します。 ********************************************* 主 文 1 原告の請求を棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。 事実及び理由 第1 請求 被告は,原告に対し,1605万0188円並びにうち1537万2256円に対する平成11年9月21日から支払済みまで年5分の割合による金員及びうち67万7932円に対する平成24年6月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要 (中略) 第3 当裁判所の判断 1 争点(1)(本件遺産分割協議の成否及び効力)について (1) 認定事実 前記第2の2,後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。同事実認定を覆す証拠はない。 ア Aの生前の稼働状況 Aの実家は,札幌市内にあり,北海道内のスキー場やゴルフ場においてレストラン等を運営する株式会社aを経営していた。Aは,東京都内で被告と知り合って昭和59年10月17日に婚姻したが,昭和56年に実父が死亡していたことから,将来において上記会社経営を引き継ぐために,上記婚姻に伴い被告と共に札幌市内に転居し,同社に勤務するようになった。当時,Aの実母Bが同社社長を務め,経営全般を取り仕切っていた(甲39,乙12,34)。 イ 本件遺産分割協議の経緯 Aは,平成6年6月12日,本件事故に遭って死亡した。当時,被告は,Aの財産関係をほとんど把握しておらず,株式会社aの会長を務めていたBが同社の税務に携わっていた税理士に指示して本件遺産分割協議書を作成させた。被告は,同作成には関与していなかったが,同年10月23日頃,Bから指示されるままに,本件遺産分割協議書末尾の記名押印欄に印字された「相続人 Y」の右に押印した。同じ頃,Bは,当時9歳であった原告の「上記親権者」という肩書の下に印字された「B」の右に,株式会社aの社長を務めていたCは,当時4歳であった長男の「上記親権者」という肩書の下に印字された「C」の右に,それぞれ押印した(甲1,乙12,14,22,27)。 ウ 本件遺産分割協議書の内容 本件遺産分割協議書には,Aの相続財産として,現金,預金,ゴルフ会員権,株式会社a並びに同社の関連会社である株式会社b及び株式会社eの各株式,他社の株式,債券,生命保険,株式会社a及び株式会社bからの退職金等が記載されており,うち原告及び長男がそれぞれ株式会社aの株式825株及び株式会社bの株式2000株を取得し,その余の相続財産は全て被告が取得するものとされている。また,Aの相続財産として本件遺産分割協議書に記載されたもののうち,負債ないし相続人が支出すべき費用とみられる「未納公課 道市民税 164,000円」及び「葬儀費用 5,965,154円」は,いずれも被告が取得する旨が記載されている。本件遺産分割協議書に,本件事故に係る損害賠償金に関する記載はない(甲1,乙27)。 もっとも,本件遺産分割協議書に記載された相続財産のうちゴルフ会員権は,Aの名義ではあったものの,実質は株式会社aから取引先の接待等に使用する目的でAに支給されたものであり,預金や他社の株式,債券等も,実質は株式会社aないしその関連会社又は株式会社aの会長を務めていたBがAの名義で運用していたものであった。本件遺産分割協議書に基づく実際の遺産分割は,専らBを主とするAの実家が主導し,原告及び長男は,本件遺産分割協議書に記載されたとおりに株式会社a及び株式会社bの各株式を取得したが,被告が取得したのは,株式会社a,株式会社b及び株式会社eの各株式,生命保険の保険金,株式会社a及び株式会社bからの退職金であった(乙12,14,27,34)。 エ 本件特別代理人選任審判 札幌家庭裁判所は,平成6年11月21日,本件特別代理人選任審判をした。同審判書には,別紙として本件遺産分割協議書と同一の内容の「遺産分割協議書(案)」が添付されており,審判主文は,「被相続人亡Aの遺産を別紙遺産分割協議書(案)のとおり分割協議するにつき,未成年者らの特別代理人として次の者を選任する。」,「未成年者Xにつき」「B」,「未成年者Eにつき」「C」という内容である(乙29)。 なお,本件特別代理人選任審判は,被告の申立てによるものであるが,同申立ても,裁判所提出書面の作成等の事務はAの実家が主導して行い,被告は,Bなどから指示されるまま,必要な署名押印等をしたものと推認される(乙34参照)。 オ 本件事故の損害賠償金 被告は,Aの遺族代表として,平成6年12月3日,本件事故の際にAが同乗していた車両に衝突した車両の運転者と,同人が損害賠償金1億1200万円を支払うなどの内容の示談をし,同月16日までに上記損害賠償金を受領した(甲36,乙14)。 (2) 検討 ア 本件遺産分割協議の成否について 本件遺産分割協議書は,Bが税理士に指示して作成させたものである。被告は,Aが死亡した平成6年6月当時,同人の財産関係を把握しておらず,上記作成にも関与することなく,同年10月23日頃,Bから指示されるままに本件遺産分割協議書に押印したものであるが(前記(1)イ),証拠上,同押印を意に反して強制されたことや,本件遺産分割協議書の内容に異論を唱えたことはうかがわれない。また,Bは,当時9歳であった原告の代理人として,Cは,当時4歳であった長男の代理人として,それぞれ本件遺産分割協議書に押印したものと認められ(前記(1)イ),証拠上,上記各押印自体につき,真意に基づくものではないことなど不自然な事情はうかがわれない。したがって,同日頃,被告,原告の代理人としてのB及び長男の代理人としてのCの合意により,本件遺産分割協議書の内容のとおり本件遺産分割協議が成立したものというべきである。なお,当時,B及びCは,いまだ原告及び長男の特別代理人に選任されていなかったことから,B及びCによる上記合意に係る意思表示は,無権代理行為であったといえるが,この点は,代理行為としての上記意思表示の効果が原告及び長男に帰属するか否かの問題であり,上記意思表示の成否自体を左右するものではない。 原告は,Bが原告の特別代理人としてたとえ相続税を課されても原告の法定相続分相当の相続財産を確保すべきであるから,同確保をせずに相続財産の大半を被告に取得させる合意をすることは,一種の背任行為に当たることを根拠に,本件遺産分割協議書が税務対策のために作成されたものにすぎないのであれば,原告を含む相続人間における相続財産の帰属についての合意はいまだ成立しておらず,本件遺産分割協議は不成立である旨主張する。 しかし,親権者とその親権に服する未成年の子を当事者とする遺産分割協議において,どのような分割方法が子の利益に資するかは,相続財産の内容,その時点における子の年齢や生活状況,今後見込まれる親権者による子の養育監護の状況など個別具体的な種々の事情により異なる。子にその法定相続分相当以上の相続財産を取得させることが,常に子の利益に資するということはできない。したがって,上記遺産分割協議において,未成年の子の特別代理人に,常に当該子にその法定相続分相当以上の相続財産を取得させるよう協議する義務はない。また,遺産分割協議の内容が専ら相続税減免等の税務対策を目的として決められたものであったとしても,それが当該遺産分割協議に参加した法定相続人ないしその代理人の意思に基づくものである以上,当該遺産分割協議の成立を否定する理由はない。 したがって,原告の上記主張は採用できない。 イ 代理権の欠缺について 確かに,本件遺産分割協議は,本件遺産分割協議書の作成日付である平成6年10月23日頃に成立したものと認められるところ(前記(1)イ),B,Cをそれぞれ原告,長男の特別代理人に選任する本件特別代理人選任審判があったのは同年11月21日であるから(前記(1)エ),本件遺産分割協議の当時,B及びCは,原告の代理権,長男の代理権を有していなかったことになる。 しかし,札幌家庭裁判所は,本件遺産分割協議が行われた約1か月後,被告とその親権に服する未成年の子である原告及び長男との間において利益相反が生じるAの遺産分割に関し,本件遺産分割協議書と同一の内容の「遺産分割協議書(案)」を検討した上で,同内容のとおりの遺産分割協議をすることにつき,原告の特別代理人としてBを,長男の特別代理人としてCを選任する本件特別代理人選任審判をした(前記(1)エ)。本件特別代理人選任審判は,B,Cがそれぞれ原告,長男の特別代理人として被告と本件遺産分割協議書記載のとおりの協議をすることが未成年の子である原告及び長男の利益に反するものではないと判断したものということができる。証拠上,本件遺産分割協議が行われた同年10月23日頃から本件特別代理人審判があった同月11月21日までの約1か月の間に,特別代理人選任の当否に関する事情の変更があったことはうかがわれない。 また,本件特別代理人選任審判は,B及びCに告知されたものと推認されるところ,証拠上,両名において「遺産分割協議書(案)」の内容も含め本件特別代理人選任審判につき反対の意思を表明したことはうかがわれない。本件遺産分割協議書に基づく実際の遺産分割が専らBを主とするAの実家が主導したことも併せ考えると(前記(1)ウ),B及びCは,上記告知を受けた頃に本件遺産分割協議について黙示の追認をしたものと評価することができる。 以上に鑑みれば,本件遺産分割協議の当時におけるB及びCの上記代理権の欠缺は,本件特別代理人選任審判によって治ゆされたものと解すべきである。 原告は,審判が当事者及び利害関係参加人等に告知することによって効力を生じ,同告知前の遡及的効力は認められないとして,本件特別代理人選任審判によって遡及的に本件遺産分割協議の無権代理行為の瑕疵が治ゆされることはない旨主張するが,上記のとおり,①本件特別代理人選任審判は,B,Cがそれぞれ原告,長男の特別代理人として被告と本件遺産分割協議書記載のとおりの協議をすることが未成年の子である原告及び長男の利益に反するものではないと判断したものといえること,②証拠上,本件遺産分割協議から本件特別代理人審判までの約1か月の間に,特別代理人選任の当否に関する事情の変更があったことはうかがわれないこと,③B及びCは,本件特別代理人選任審判の告知を受けた頃,本件遺産分割協議について黙示の追認をしたものと評価することができることに鑑みると,上記主張は採用できない。 なお,原告は,家庭裁判所において,本人にとって著しく不利な内容の遺産分割協議書案等が提出されているにもかかわらず,その合理的な理由の説明を求めることなどの手当てを講ずることなく,特別代理人を選任し,そのまま利益相反行為が行われた場合には,当該家庭裁判所が選任責任を問われる可能性があるととして,本件特別代理人選任審判自体の正当性を否定する趣旨と解される主張をしているが,証拠上,本件特別代理人選任審判に問題があったことをうかがわせる事情はなく,また,後記2のとおり,被告は,取得した相続財産等を含む自らの資産を原告の養育費を含む一家の生活費に充てていたものと推認され,殊更に自身を利して原告に不利益をもたらす行為に及んでいたことは認めるに足りない。 ウ 本件遺産分割協議の効力について (ア) 原告の主張 原告は,①親権者とその親権に服する未成年の子との間において,当該子のために特別代理人を選任して行う遺産分割協議は,共同相続人各自が法定相続分を基本的に変えることなく相続関係の確定によって取得した権利義務の内容を具体的に形成して確定するものであるという本来の遺産分割協議の法的性質に加え,遺留分制度の意義を踏まえたものでなければ,無効とすべきであるところ,本件遺産分割協議は,相続財産の大半を被告が取得し,原告には遺留分相当さえ保障されないという内容であるから,本来の遺産分割協議の法的性質及び遺留分制度の意義に明らかに反し,無効である,②原告の特別代理人Bが上記内容の本件遺産分割協議に同意したことは,子の利益を図るための意思表示をするという特別代理人の法的趣旨に反して無権代理に該当し,原告との関係において効力を生じない旨主張する。 (イ) 原告の主張についての検討 遺留分は,被相続人の意思によっても奪い得ない相続分であるが(平成30年法律第72号による改正前の民法1028条),遺留分を侵害する遺贈等が当然に無効となるわけではなく,遺留分を侵害された者が遺留分減殺請求権を行使することによって初めて同侵害された遺留分を回復することができる(同法1031条)。この点に鑑みると,遺産分割協議において各相続人の遺留分を確保することが必須とはいえず,一部の相続人の遺留分が確保されていないことをもって,当該遺産分割協議の効力を否定することはできない。また,親権者とその親権に服する未成年の子を当事者とする遺産分割協議においては,前記アのとおり,子にその法定相続分相当以上の相続財産を取得させることが,常に子の利益に資するということはできず,子の遺留分についても同様に考えられる。したがって,上記遺産分割協議において,未成年の子の特別代理人には,常に当該子にその法定相続分相当以上の相続財産を取得させるよう協議する義務も,常に当該子の遺留分相当の相続財産を確保する義務もないというべきである。 そうすると,本件遺産分割協議につき,被告が相続財産の大半を取得し,原告が取得する相続財産はその遺留分相当額にも達しないという内容であることのみをもって,直ちに無効と解することはできず,Bが原告の特別代理人として上記内容に同意したことが,特別代理人の法的趣旨に反して無権代理に該当するということはできない。 本件遺産分割協議の当時,原告は9歳,長男は4歳であり,いずれも自ら財産を管理し得る年齢ではなく,被告は,相当長期間にわたり母子家庭として上記二児を養育監護すべき立場にあった。この点に鑑みると,被告に相続財産の大半を取得させることが必ずしも不合理であるとはいいきれない。さらに,以下の点を併せ考えれば,本件遺産分割協議の内容が,不当に被告を利して原告に不利益をもたらすものと評価することはできない。 すなわち,①本件遺産分割協議書において被告が取得する相続財産として記載されたものの中には,株式会社aからAに支給されたゴルフ会員権や株式会社aないしその関連会社又は株式会社aの会長を務めていたBがAの名義で運用していた預金,株式,債券等,実質においてAの相続財産に該当するとはいい難いものが少なからず存在し,実際に被告が取得したのは,株式会社a,株式会社b及び株式会社eの各株式,生命保険,株式会社a及び株式会社bからの退職金のみであった(前記(1)ウ)。 しかも,②本件遺産分割協議書記載の被告が取得する相続財産のうち最も高額なものである「生命保険 三井生命相互会社 55,055,271円」は(甲1,乙27),Aが受取人を被告に指定した死亡保険金であるから(甲47の1),被告自身の財産であり,Aの相続財産ではない。他の「生命保険」についても,同様のものと推認される。また,③Aの相続財産として本件遺産分割協議書に記載されたもののうち,負債ないし相続人が支出すべき費用とみられる「未納公課 道市民税 164,000円」及び「葬儀費用 5,965,154円」は,いずれも被告が取得する旨が記載されている(前記(1)ウ)。 さらに,④被告は,本件遺産分割協議の後である平成6年12月3日,本件事故について示談し,同示談に基づき同月16日までに本件事故による損害賠償金として1億1200万円を取得した(前記(1)オ)。上記損害賠償金には,Aの遺族である被告,原告及び長男の慰謝料等も含まれ得るものの,その大半はA自身の損害賠償に係るものであるが,本件遺産分割協議書に,本件事故に係る損害賠償金に関する記載はない(前記(1)ウ)。 本件事故は死亡事故であるから,本件遺産分割協議の当時においても,本件事故に係る損害賠償金として相当多額の金員が支払われる具体的な見通しはあったものと考えられる。この点に鑑みると,本件遺産分割協議は,本件事故に係る損害賠償金については,あえて協議の対象から外したものと推認することができる。 以上によれば,前記(ア)の原告の主張を採用することはできず,証拠上,他に本件遺産分割協議の効力に疑義を生じさせる事実の存在は認めるに足りない。 したがって,本件遺産分割協議は有効である。 2 争点(2)(被告の不法行為責任の成否及び除斥期間経過の有無)について (中略) 4 結論 以上によれば,その余の点について判断するまでもなく,原告の請求は理由がないから棄却することとし,よって,主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事5部 (裁判官 鈴木わかな) 以上:7,081文字
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