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認知症により遺言能力欠如を理由に公正証書遺言を無効とした判例紹介1

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平成30年 8月 3日(金):初稿
○公正証書遺言の無効確認請求事件は結構ありますが、法律専門家の公証人が作成することもあり、本人が作成する自筆証書遺言無効確認請求事件に比較して、認容例は少ないように感じています。その中で遺言者の遺言能力が欠如していたとして公正証書遺言が無効とした平成29年6月6日東京地裁判決(判時2370号68頁)を3回に分けて紹介します。

○この事例は、84歳の時の平成23年6月に従前遺言を全部撤回して新たに公正証書遺言を作成していますが、認知症とはいえ、同じ年の8月のR国際トーナメント大会においては、当時84歳でベスト8にまで勝ち上がり、大会後に開催された懇親会では数分間のスピーチをしたほど元気で、平成25年に死去しており、被告とされた二女は、当然、無効判決を不服として控訴しています。

○私も、90歳前後で認知症の女性の公正証書遺言作成に関わったことがありました。代襲相続人である孫達が別件で裁判係争中で、遺言書も争われることが必至な事案でした。事前に公証人と詳細に事前打合せをして、作成状況の全てをビデオ撮影しました。カメラを意識すると公証人の遺言者との聞き取り等も丁寧になります。遺言内容が遺留分を侵害しないように配慮したこともあり、幸い、遺言無効の訴えを起こされることはありませんでした。

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主   文
一 東京法務局所属公証人秋山壽延作成に係る平成23年第×××号遺言公正証書による亡Aの遺言が無効であることを確認する。
二 訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由
第一 請求

 主文同旨

第二 事案の概要
 本件は、原告と被告の父であるAが公正証書遺言をしたところ、遺言時にAの遺言能力が欠けていたとして、原告が、同遺言の無効確認を請求した事案である。

一 前提となる事実
 次の各事実は、当事者間に争いがないか、後掲各証拠により認めることができる。
(1)原告は、Aの長男であり、被告はAの二女である。

(2)Aは、大正15年××月××日生まれの男性であり、平成25年5月××日、死亡した(死亡時86歳)。

(3)Aは、平成16年12月××日、東京法務局において、公正証書遺言をした(公証人長野益三作成に係る同年第×××号遺言公正証書)。この公正証書には、概要、〔1〕Aが相続開始時に所有する別紙物件目録《略》記載一ないし三の不動産をAの妻であるB及び原告に各二分の一ずつ相続させること、〔2〕Aが相続開始時に所有する同目録記載四の建物を原告に相続させること、〔3〕預貯金債権及び有価証券、株式及び保険金等の金融資産について、遺言執行者である三菱信託銀行株式会社をしてすべて換価させた上で、これにより得られた金銭から、Aの長女であるCに500万円、被告及び原告に各1000万円を相続させ、残金をBに相続させること、〔4〕その他の財産をBに相続させること、〔5〕付言事項として、苦楽を共にしたBが引き続き安心して生活を維持していけることを優先したこと、自宅をBと跡取りである原告に相続させたいこと、Cは自宅取得の際に支援したため、金融資産の配分においてそのことを考慮したことなどが記載されている(以下、この遺言を「平成16年遺言」という。)。

(4)Aは、平成23年6月××日、東京法務局において、公正証書遺言をした(公証人秋山壽延作成に係る同年第×××号遺言公正証書)。この公正証書には、概要、
〔1〕Aは、平成16年遺言の全部を撤回すること、
〔2〕相続開始時に有する別紙物件目録《略》記載一ないし三の不動産を、被告及び原告に各2分の1ずつ相続させること、
〔3〕相続開始時に有する同目録記載四の建物及び同建物の各敷地(同土地の所有者は原告)に係る使用借権を、C、被告及び原告に各3分の1ずつ相続させること、
〔4〕相続開始時に有する預貯金債権、有価証券、株式及び現金を含む残余の財産を遺言執行者である被告においてすべて換価し、遺言執行に関する諸費用を控除した残金を、Bに対して1500万円、Cに対して上記1500万円を控除した金額の10分の2に相当する金員、被告に対して10分の5に相当する金員、原告に対して10分の3に相当する金員を、それぞれ相続させること、
〔5〕付言事項として、Bが病気になり2年以上が経過し、現在、有料老人ホームで生活していること、被告が中心となりAとBを世話していることなどを考え合わせ、平成16年遺言の内容を変更することを決意し、目白の家と土地(別紙物件目録《略》記載一ないし三の不動産)を一番介護に関わった被告に半分、跡取りである原告に半分を相続させることとし、土地を実際に分割する場合には、道路に面した土地と通路付きの奥の土地(いわゆる旗ざお状土地)とに分けて価値が2分の1ずつになるようにし、前者を被告が、後者を原告がそれぞれ取得するのがよいと考えることなどが記載されている(以下、この遺言を「本件遺言」という。)。

 なお、Aは、昭和62年7月××日、別紙物件目録《略》記載一及び二の各土地について、Bに対して持分100分の13を、原告に対して持分100分の1を、それぞれ所有権一部移転をしたから、本件遺言時には、A、B及び原告の共有となっていたが、同目録記載三の建物はAの単独所有であった。

二 争点及び当事者の主張
(1)争点
 本件遺言の有効性


(2)原告の主張
 Aは、本件遺言当時、アルツハイマー型認知症を発症しており、相当の記憶障害等の症状が見られ,遺言能力を欠くに至っていたから、本件遺言は無効である。すなわち、アルツハイマー型認知症の器質的特徴として、海馬の萎縮が挙げられるところ、海馬の萎縮は同認知症の初期段階では見られないが、Aの海馬の萎縮は進行の一途をたどっており、平成23年1月14日時点では、全般性脳萎縮も認められ、両側海馬及び海馬傍回領域にも中等度以上の萎縮が見られる状態となっていた。そして、Aは、これにより、短期的記憶力や認識障害が見られ、記憶力を前提とした判断能力も著しく低下していた。このことは、Aが、平成19年ころから、長谷川式簡易知能評価スケールの検査結果において、一貫して20点を下回っていたことからも裏付けられる。

 また、Aは、平成20年11月ころ、電話のボタンを押すことができ、その場での会話はできていても、その内容や事柄を記憶することができない状態であったが、平成21年3月ころも同様であり、平成22年9月ころには、当時の主治医が言ったことをほんの僅かな時間が経つとすぐに忘れてしまう状態であった。また、介護認定記録には、本件遺言の三か月前である平成23年3月ころ、東北沖大地震の際に被告と共にいたことを記憶していないこと、被告との伝言や約束事もできないこと、食事のすぐ後に食事したことを覚えていないことなどが記載されている。このように、Aは、平成20年10月ころ以降、新しいことを記憶することはまったくできない状態であり、本件遺言当時は、さらに症状が進行し、短期記憶がほとんどできない状態であった。

 さらに、Aは、平成20年11月ころ、金銭管理をできず、Aは金額の計算をすることができない状態であり、本件遺言当時も、金銭は被告が管理していたため基本的にはAが買い物をする機会はないが、手持ちの現金を渡すとパン屋で同じパンを繰り返し買ってしまい、その会計は店員任せであるような状態であった。このように、Aは、自己の財産に関する認識及び判断をすることができない状態であった。このほか、Aは、自分で服薬管理を行うこともできなかった。

 Aは、平成21年3月ころ過食症状が見られていたし、衣服の着脱はできるが、真冬に薄着をするなど季節に応じた衣服の選択をすることができないため、家族が用意していた状態であり季節の理解ができていなかった。そして、平成23年3月ころには、一分おきに同じ質問をするため、被告が非難すると感情が混乱して泣くほか、自分の思い通りにならないと怒り出すなど、人格の変化も来していた。
 本件遺言は、相続人ごとに異なる比率での配分等を定めているほか、「旗ざお状土地」といった専門的な用語や法律知識がなければ直ちには理解し難い「使用借権」に関する取扱いも記載されるなど、平成16年遺言に比して複雑で難解な内容となっている。

 ものごとを判断するためには、記憶の保持を前提に、認識、理解、思考、判断といった過程が必要であるが本件遺言をAが真に自らの意思及び能力に基づいて作成したというためには、複雑かつ難解な事実関係等に対する認識、理解及び記憶を前提とした相当高度な判断能力が必要となるが、前記のような事実から、Aは、上記能力を欠如していたというべきであり、本件遺言を行うに当たっての遺言能力を欠いていたといえる。
 したがって、本件遺言は無効である。

(3)被告の主張
 Aが、本件遺言を行うに当たって遺言能力が欠けていたこと、本件遺言が無効であることを争う。原告は、Aに海馬の萎縮が生じていたことを主張するが、Aが受けたいずれのMRI検査においても、海馬の萎縮の定量的評価を行っていないため、客観的な判定が困難であり、そもそも、脳萎縮の程度と認知症の重症度は必ずしも相関しないため、Aの認知症の重症度を判断することはできない。そして、Aは、平成13年にウェルニッケ脳症で入院したときを含めて、平成13年2月26日から平成22年12月17日までの長谷川式簡易認知症評価スケールの点数は、平成13年2月26日に18点、同月28日に24点、同年4月20日に24点、同年11月28日に26点、平成16年6月22日に20点、平成18年11月14日に17点、平成21年1月27日に16点、平成22年12月17日に18点と推移していたが、認知症か否かを判定する目安としては20点以下であって、さほど下がらずに安定していたこと、Bが入院した平成20年10月から始まった独居の生活に慣れたことなどから、平成22年ころは精神的に安定していた時期であると考えられる。

 アルツハイマー型認知症は、初期、中期及び末期に分けられ、見当識障害は、初期に時間の見当識障害が発生し、病状の進行に伴い場所の見当識障害が発生し、さらに人の見当識障害が発生するが、Aは、平成19年1月以降、Aが受診していたH1病院の診療録上、かかる見当識障害について記述があることは認められない。また、AのH1病院の主治医であるP1医師は、Aの認知症の程度は重度ではない旨を説明していた。

 Aは、平成23年前後、H1病院とかかりつけ医であるH2クリニックから薬の処方を受けており、H1病院から処方された薬はアリセプト錠五mgであり、アルツハイマー型認知症が重度になると五mgから10mgに増量されるが、Aは五mgが維持されていた。また、Bが自宅にいたときは、同人がAの薬を管理し、食事ごとに服用する薬を袋に分けていたが、Bが入院した後は、被告が同様に分けて保管し、被告、原告及び介護ヘルパーがAの食事の際に出し、Aが自ら服用していた。なお、Aの要介護度は、平成25年4月末まで要介護1で変わりなかった。

 Aは、平成24年8月末までテニスを続けており、Qテニスクラブへの往復は一人で電車とバスを乗り継いで行い、着替えも自ら行っていたほか、平成23年8月のR国際トーナメント大会においてはベスト8にまで勝ち上がり、大会後に開催された懇親会では数分間のスピーチも行っている。さらに、Aは、テニスのみならず、平成24年9月ころまで、1年を通して一人で、旧友とのゴルフ大会、大学時代の同窓会、かつての勤務先の従業員等が参加するテニス大会等、様々な社交活動に参加していた。

 本件遺言は、平成13年遺言の内容に比して、複雑かつ難解なものではなく、Aが十分に理解することができるものである。
 このような事実からすると、Aは、本件遺言を行うに当たって遺言能力が欠けていたということはできないから、本件遺言は有効である。


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