令和 3年 3月11日(木):初稿 |
○「平成23年3月11日午後2時46分発生した宮城県沖地震で、宮城県下全域、停電中です。パソコンが使えませんが、私は無事です。」から始まる平成23年3月12日付「大地震発生、事務所・自宅内部めちゃめちゃ、でも無事」を読み返しています。令和3年3月11日から丁度10年前発生した東日本大震災後、3月12日から22日まで連続して、大地震発生後の状況をこのHP更新情報として残していました。 ○「宮城県沖地震」と記載していましたが、当初は、みんな、来る来ると言われていた昭和53年6月以来の宮城県沖地震だとばかり、思っていました。しかし、その後、宮城県沖地震を遙かに超える1000年に一度の超弩級の大震災と判明し、東日本大震災と命名されました。 ○この地震が発生したとき、私は、丁度その日の午前11時に宣告されたある事業者破産事件での事業売却契約実行のため、破産事業者のある角田市に向かうため、お客様運転自動車助手席に同乗し、仙台東部道路仙台空港ICに向かう途中で、数百m先に前方に仙台東部道路が見える西から東方向で、大きな揺れを感じ、「地震です!」とのお客様の声で、自動車を道路左端に停止したところでした。 ○私が体験した地震の状況は「これまで経験したことのない大きな揺れが、これでもか、これでもかと感じるほど長く続きました。道路右側電信柱に繋がる電線はビュンビュンと切れるのではと思うくらい飛び回り、道路対向車線の一番近くに停車した大型トラックが大きく左右に揺れ続け、これは横転するのではと思い、底知れぬ恐怖感を感じる大揺れでした。」と記載したとおりです。 ○自動車の助手席に座っていたため立っていられないと感じることもなく、私が乗った自動車が横転するまでの揺れではなく、私自身の生命・身体に危害が及ぶとは全く感じませんでした。しかし、後で、事務所で地震を体験した4人の事務員は、建物が潰れると思い、全員、死を覚悟したなんて聞いて、本当かいなと、驚きました。事務所の天井からポロポロとホコリが落ちてきて、事務所が倒壊すると思ったとのことでした。 ○地震が収まった後、いつもより長い時間をかけて、午後4時15分頃角田市の目的地に到着し、事務所に電話しましたが、電話は全く通じません。メールを各事務員に送りましたが、午後4時25分にようやく一人の事務員からメールが届き、「事務所はめちゃめちゃです。皆、帰宅しました。」との報告に驚愕して、直ちに渋滞の続く道路を長い時間をかけ仙台に戻り、午後8時頃ようやく事務所と自宅のあるマンションに戻り、「事務所はめちゃめちゃ」状態を確認しました。 ○その後の状況は、このHP更新情報に詳細に記録したとおりです。しかし、10年も経って読み返すと、結構忘れている部分もありますが、厳しい思い出も懐かしく思い出されます。平成23年は還暦に達する年齢でしたが、その10年後の令和3年は、70歳に達する年齢です。70歳というと如何にも爺さんとの感じですが、筋力等の体力は、ほぼ毎日継続しているストレッチと筋トレのお陰で60歳時と殆ど変わらないと自惚れています。 ○平成23年3月5日のベンチプレス記録が残っており、以下の通りでした。 BP=20*10,40*10,60*10,70*10*2,70*7.BD=0*10*3.PD=3P*10*3. 令和3年3月10日のベンチプレス記録は以下の通りで、10年後の方が強くなっています。 BP=25*10,45*10,55*10,80*10,80*8,80*7.DP=W25*10*3,NBP=45*10*3,BD=15*10*3. 10年後80歳に達する時はもっと強くなろうと気が大きくなりました(^^)。 以上:1,518文字
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