令和 1年 5月 3日(金):初稿 |
○5月3日は憲法記念日です。平成天皇・令和天皇の天皇即位後朝見の儀でのお言葉についての感想です。両天皇のお言葉は以下の通りです。 平成天皇即位後朝見の儀 平成元年1月9日(月)(宮殿) 大行天皇の崩御は,誠に哀痛の極みでありますが,日本国憲法及び皇室典範の定めるところにより,ここに,皇位を継承しました。 深い悲しみのうちにあって,身に負った大任を思い,心自ら粛然たるを覚えます。 顧みれば,大行天皇には,御在位60有余年,ひたすら世界の平和と国民の幸福を祈念され,激動の時代にあって,常に国民とともに幾多の苦難を乗り越えられ,今日,我が国は国民生活の安定と繁栄を実現し,平和国家として国際社会に名誉ある地位を占めるに至りました。 ここに,皇位を継承するに当たり,大行天皇の御遺徳に深く思いをいたし,いかなるときも国民とともにあることを念願された御心を心としつつ,皆さんとともに日本国憲法を守り,これに従って責務を果たすことを誓い,国運の一層の進展と世界の平和,人類福祉の増進を切に希望してやみません。 ※大行天皇とは、天皇の死後、まだ諡号(しごう)を贈られていない間の尊称。先帝の意味にも用いると説明されています。 令和天皇即位後朝見の儀 令和元年5月1日(水)(宮殿) 日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました。 この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。 顧みれば、上皇陛下には御即位より、三十年以上の長きにわたり、世界の平和と国民の幸せを願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その強い御心(みごころ)を御自身のお姿でお示しになりつつ、一つ一つのお務めに心身に取り組んでこられました。 上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。 ここに、皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽に励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望いたします。 ○両天皇の「誓い」について、平成天皇の「皆さんとともに日本国憲法を守り,これに従って責務を果たすことを誓い」と令和天皇の「常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い」の違いが話題になっています。日本国憲法について、平成天皇は「日本国憲法を守り」と断言したのに、令和天皇は「憲法にのっとり」となって、憲法を守る姿勢が後退したのではないかとの批判があります。 ○しかし、天皇のお言葉としての「守り」も「のっとり(則り)」も、ルールに従うとの意味で、差はないと思われます。「憲法を守る姿勢が後退した」との意味は、憲法を改正から守るとの意味での「守る」姿勢が後退したと使われているようですが、厳密に言えば、その使い方は間違いと思われます。 ○天皇は、日本国憲法第3条により「国政に関する権能を有しない。」ことが大原則です。憲法改正は国政に関する最大級の論点です。天皇が国政の最大事である憲法改正についての意見を述べることは、「国政に関する権能を有しない。」以上、到底、許されません。平成天皇が平成28年8月8日「象徴の務めが難しくなる」とのTV会見時に「退位」と言う言葉を全く使わなかったのは、日本国憲法第2条「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」に抵触し、国政に関する意見になるからです。 ○ですから平成天皇の「日本国憲法を守り」との誓いも、令和天皇の「憲法にのっとり」との誓いも、日本国憲法第99条で定められた「この憲法を尊重し擁護」する当然のことを言ったまでで「憲法改正」についての意見と捉えるべきではないと考えています。但し、私は憲法改正論者ではありません(^^;)。 以上:1,646文字
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