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郷里気仙沼・南三陸地方出身者在仙交流会出席-20年先輩女性に感嘆

平成30年 1月29日(月):初稿
○「郷里気仙沼・南三陸地方出身者在仙交流会出席し懐かしい方々と再会」を続けます。
平成30年1月27日開催南三陸ふるさと連合会第38回平成29年度総会・交流会で配布されたプログラムパンフ9頁に「『南三陸連合会』結成の原点は、昭和52年10月、仙台愛宕神社で開催された気仙沼高・気仙沼水産高・鼎が浦高・津谷農林高の各仙台支部同窓会合同親睦交流会に始まる。」と説明されています。

○その後、更に範囲を広めて志津川高校・気仙沼商・工学校も加えて「南三陸六高会」になり、昭和53年8月から「ふるさとまつり」として三越デパート地下催場等で郷里の生産品を紹介する物産展等を開催するなどの企画を実行し、同パンフ8頁平成16年6月5日付【気仙沼かほく】記事によると同年6月3日、25周年記念総会で「南三陸ふるさと連合会」となったとのことです。同記事には、記念総会出席者は100人と記述されています。

○私が初めて「南三陸六高会」総会・交流会に参加したのは弁護士に成り立ての昭和56年頃と記憶していますが、唐桑町出身の気仙沼高校出身・司法修習第10期で私より弁護士として22年先輩の故川原悟先生が会長でした。川原先生は、当時、若くして参加した私にも声をかけて頂きましたが、彼方此方のテーブルを回って、時に名刺を配り、次々と多くの参加者と話しをして会場を歩き回っていたのを覚えております。

○故川原先生は、自前ビルと所有されるほど弁護士として成功されていました。成功するためには幅広い年代の多くの人が集まる同窓会やロータリークラブ・青年会議所などの商業者団体等に参加し、積極的に役職もこなして顔を売る必要があります。私は、基本的にシャイな性格なためこのような団体に所属する気にはなれず、到底、自前ビルなど持てないで数年後には弁護士を引退しますが、せめて、昔懐かしい方々との交流を求めてこれからも参加したいと思いました。

○おなじ気仙沼人会テーブルに鼎が浦高校卒業の2人女性が座っており、私の1、2年先輩かと思って、私は22回生ですが、何回生ですかと声をかけたらなんと2回生、私の20年先輩の86歳ですと話されて仰天しました。2人とも大変お若く到底86歳には見えません。特に交流会最後に参加者全員円陣となり唱歌「故郷(ふるさと)」を合唱の際、一人舞台に立ってマイクに向かって朗々と響く声で合唱をリードされた方は、背筋がピンと伸びて顔の肌もツヤツヤしており、パンタロンスーツの後ろ姿は20代、30代の若者という感じでした。

○通常80歳過ぎると背中や腰が曲がるとのイメージでしたが、特に感じたのはその方の立ったときの凜とした姿勢の良さでした。アンチエイジングの典型と感じましたが、そうだからこそ、このような交流会にも出席されるのだなと感じました。私も、20年後、凜とした姿勢で参加できれば本望ですが。
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