平成29年 1月13日(金):初稿 |
○平成29年1月12日東京高裁での裁判の帰り日弁連ビル地下1階のブックセンターに立ち寄りたまたま目にした高田知己弁護士著「車いす弁護士奮闘記」を購入しました。著者高田知己弁護士の略歴の一部は次の通りです。昭和42年茨城県生まれ。昭和61年交通事故により脊髄を損傷し車いす常用者となる。中央大学法学部法律学科、成蹊大学法科大学院卒業。平成18年司法試験合格(新60期)、平成19年弁護士登録(茨城県弁護士会所属)。同年高田知己法律事務(http://www.takada-law.jp/)を茨城県土浦市に開設。地域に密着して日常起こり得る問題から専門性の高い分野まで、幅広い法律事務を取り扱っている。○車いす弁護士は、仙台弁護士会にも宮城県では著明なパソコンの名手小高雄悦弁護士が居ます。小高弁護士については、「パソコン事始め」でも紹介していますが、私とは、東北大学法学部の同学年生です。彼は車いすのためいつも一番前の席で、私も難聴のため席は前の方の席で大学の講義を聞いたので、講義中近くに居てその存在は知っていました。しかし、お互いシャイな性格でクラスも違うこともあり、在学中は言葉を交わすことがありませんでした。 ○小高弁護士と初めて言葉を交わしたのは卒業2年目頃の択一試験終了時でした。東北大学同期生で卒業2年目にもなると大学同学年生の司法試験受験者も少なくなり、受験会場の顔見知りも殆ど居なくなりました。その中で小高氏を見つけ、初めて、「まだ、頑張っているね。お互い頑張ろうや」なんて言葉を交わして別れたように記憶しています。その後、卒業3年目で私が最終合格を果たしたのですが、小高氏はその翌年論文合格するも口述試験で不合格となりました。そこで当時仙台修習だった私は12名の修習生に声をかけて、小高氏の口述試験訓練を手伝って貰い、翌年小高氏も最終合格を果たしました。 ○小高氏は、3,4歳の頃、ブランコからの転落事故で胸随損傷の重傷を負い、下半身不随の身となり、神経が行かなくなった下半身の成長が止まり、上半身だけが成長し、歩行ができず幼児時代から車いす生活となりました。小学・中学時代は障害者のための施設で生活し、高校になって郷里に近い古川高校に通学し、現役で東北大学法学部に入学した秀才でした。私は、1浪して東北大学法学部に入学していたので、学年は同じでも年は私が1歳上でした。 ○小高氏が最終合格したとき当時仙台修習2年目だった私のアパートで何人かの修習生が集まり小高氏の合格祝いを開催し、その晩、小高氏は私のアパートに泊まっていきました。そのとき下半身不随となってからの苦労話を聞きましたが、コタツにあたっていたとき、焦げ臭いにおいがしてきたので、何かと思ったら、コタツの中で自分の足が焼けていたなんて話を聞いて仰天しました。一番辛いのは大小便の排出で、感覚がないため時間を見て定期的に自分で押し出すとの話にホントに大変な障害だと痛感しました。 ○そのときの小高氏の話で一番印象に残ったのは、胸随損傷で下半身不随の患者はいっぱい居るが、大変なのは、大人になって交通事故で下半身不随になった場合で、大きく成長し重くなって動かなくなった下半身を抱えての移動等は相当大変だ、それに比べて自分は、小さいときの胸随損傷で下半身の成長が止まり、小さくて軽いので移動も楽にでき、自分は楽な方だとケラケラ笑ったことです。私は、えーっ、これほど厳しい身体条件になって「楽な方だ」と笑い飛ばせるのか、とその強靱な精神力に感嘆しました。 長くなったので肝心の高田弁護士の著作については別コンテンツで紹介します(^^;)。 以上:1,495文字
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