平成28年 9月19日(月):初稿 |
○「意外な組み合わせに驚いた小説石原慎太郎著”天才”紹介」の続きです。 この「天才」売れに売れて平成28年9月現在では90万部を超して100万部に迫る勢いだそうです。1冊1400円ですから、印税10%で単純計算して100万部だと1億4000万円の印税収入が石原氏の懐に入ることになります。うらやましい限りです(^^;)。 ○石原氏と田中角栄氏の遣り取りで気になることがあります。 昭和49年、石原慎太郎氏が『文藝春秋』に書いた田中角栄を批判する論文「君、国売り給うことなかれ」の一節 「率直にいって、あの気違いじみた、史上最大の金力投下作戦のもとに行なわれた参院選が完敗に終わったあと、田中総理の心中にあるものは、ただ単にいまいましさ、不本意さ以外のなにものでもないに違いない。彼がいまの時点で、金権選挙という発想と方法に疑念や反省を抱いているとするなら、実は田中角栄が田中角栄たるゆえんはないわけで、彼がある種の天才たるゆえんは、人間としても政治家としても、田中氏には金権以外の方法も発想もあり得ないというところにあるはずである。」 余りに一方的見方に腹立たしい思いです(^^;)。 ○石原慎太郎氏が田中角栄氏主人公で書いた「天才」で参考にしたという中澤雄大氏『角栄のお庭番 朝賀昭』の187頁以下の記述です。 「(昭和50年3月6日石原慎太郎氏が東京都知事選に立候補表明後の)ある日の夕刻、いつもの通り、佐藤さんと私が勤務していると、初めての客が『田中先生に面会したい』とアポイントを申し入れてきた。意外なことに、その相手は石原氏だった。(中略)オヤジさんに支援を申し入れに来たのだった。(中略)プライドの高い石原氏は、人目につかないようにやったきたのだった。」 その後の下りは、「『オマエ、よくぬけぬけとやってきたな』なんてことを、オヤジさんは決して言わない。むしろ懇ろに応対し、気持ちよく帰って貰うような気遣いをする人である。」と記載されていますが、実際に、お金を渡したかどうかについて、明確な記載がありません。 ○これに対し、石原慎太郎著「天才」209頁に次の記載があります。 「(ハマコーこと浜田幸一代議士が)私をほとんど拉致して目白の田中邸に連れて行ったことがあった。金権批判の直後でもあって私は当然門前払いを食ったが、その後角さんが、『石原なんぞ、俺に逆らわなければ今頃東京都の長官だ』といっていたと誰かから聞かされたものだ。」 同215頁 「角さんはにべもなく、(中略)『俺はあいつに金なんぞ一文もくれてやったことはないからな』と言ったそうな。それを聞かされた私としては角さんの金権の相伴に与ったことが全くなかったことにつくづく感謝したものだったが。」 ○これに対し平野貞夫著「田中角栄を葬ったのは誰だ」241頁以下に左高信氏の言葉が以下の通りです。 「石原慎太郎が都知事選に出る時に、中曽根から角さんのところに挨拶に行った方がいいと言われて、石原が砂防会館の事務所に挨拶に行くわけです。石原はその数ヶ月前に、角栄の金権政治を批判して『君、国売り給うことなかれ』とか偉そうに書いていました。だから門前払いを食わせてもいいのに、角栄は招き入れるわけでしょ。それで軍資金を渡して、帰り際には『足らなくなったらまた来いよ』と言ったという。それなのに石原はいまさら偉そうに『天才』なんて本書いて、角栄から金をもらわなかったなんて書いてある。あれは死人口なしですよね。」 ○朝賀氏の著述には、「オヤジさんと面会して支援の約束と取り付けた石原氏だったが、中曽根幹事長の出馬要請に対して、落選した際の保険を要求したとか、さまざまな条件を付けたと噂されていた。」とありますが、田中氏と石原氏の間に具体的に金銭授受があったのかどうかは、いまいち曖昧な記述になっています。 いったい、真相はどうだったのか、朝賀氏に詳しく聞いてみたいものです(^^;)。 以上:1,603文字
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