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安保法制成立きっかけの一つ湾岸戦争備忘録-油まみれ真っ黒水鳥映像疑惑等

平成27年 9月26日(土):初稿
○平成27年9月の現在からは25年前の出来事になりますが、平成2年8月イラク軍クウェート侵攻に端を発する平成3年1月から始まった多国籍軍によるイラク侵攻の湾岸戦争が、先日成立した安保法制の源泉と思われます。このとき金だけ出して血を流さない日本の態度を多くの湾岸戦争参加国から非難されたと記憶しています。

○この湾岸戦争を復習するためウィキペディアの解説湾岸戦争を読んでいますが、前置きに「この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。」、「この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。・独自研究が含まれているおそれがあります。(2015年4月)・正確性に疑問が呈されています。(2015年4月)」と注意書きがあります。

○湾岸戦争が始まる前にTVで繰り返し流されたのが、イラク軍がペルシャ湾に原油を流出させたためだという油まみれで真っ黒になった水鳥の映像です。この映像は今でもまぶたに焼き付いています。当時は、この映像で、フセインはとんでもないやつだと信じていました。また、私の記憶は曖昧になりましたが、クウェートから脱出した難民の少女による涙ながらのイラク兵の蛮行を訴える映像がありました。しかし、いずれも全くの「やらせ」で事実に反することが後日判明しました。以下、湾岸戦争に関する備忘録です。

○日本は、太平洋戦争でアメリカに完膚なきまで叩きのめされ、戦後は復興に大きな援助を貰いましたが、アメリカという国の知略・謀略は日本とは比較にならない非情の国と確信しています。今回の安保法制を見送ったらこんな非情の国アメリカからどんな仕打ちを受けるか、日本はやはりこんな国に逆らえないんだろうなと考えてしまいます。

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(ウィキペディアの解説「湾岸戦争」から)
日本への影響[編集]

湾岸危機から戦争にかけて石油価格が値上がりし、バブル景気に浮かれていたものの、原油の多くを中東からの輸入に依存していた日本経済を直撃し、その終焉と時をほぼ同じくして、一気にバブルが崩壊した。さらに、アメリカ合衆国政府は同盟国として戦費の拠出と共同行動を求めた。日本政府は軍需物資の輸送を民間の海運業者に依頼したが、組合はこれを拒否。さらに当時の外務大臣の中山太郎が、外国人の看護士あるいは介護士、医師を日本政府の負担で近隣諸国に運ぼうとした際にも、日本航空の運航乗務員組合と整備員の加入する組合が近隣諸国への飛行を拒否したため、やむなくアメリカのエバーグリーン航空機をチャーターしてこれに対応した[46]。急遽作成した「国連平和協力法案」は自民党ハト派や社会党などの反対によって廃案となった。なお、時の内閣は、第二次海部内閣の改造内閣であった。

政府は8月30日に多国籍軍への10億ドルの資金協力を決定、9月14日にも10億ドルの追加資金協力と紛争周辺3か国への20億ドルの経済援助を、さらに開戦後の1月24日に多国籍軍へ90億ドルの追加資金協力を決定し、多国籍軍に対しては計130億ドル(さらに、為替相場の変動により目減りがあったとして5億ドル追加)の資金援助を行ったが、アメリカを中心とした参戦国から金だけ出す姿勢を非難された。ただし、日本の拠出した総計135億ドルという額は、日本の経済規模や中東石油への依存度を考えるとそれほど突出した額ではない。[独自研究?]

クウェートは戦後、参戦国などに対して感謝決議を出したが、日本はその対象に入らなかった。もっとも、当初の援助額である90億ドル(当時の日本円で約1兆2,000億円)の内、クウェートに入ったのは僅か6億3千万円に過ぎず、大部分(1兆790億円)がアメリカの手に渡ったことも要因となる。また、クルド人難民支援等説明のあった5億ドル(当時の日本円で約700億円)の追加援助(目減り補填分)の内、695億5000万円がアメリカの手に渡った(いずれも1993年〔平成5〕4月19日参議院決算委員会、外務省北米局長・佐藤行雄の答弁より)。

これを受けて日本政府は、国連平和維持活動(PKO)への参加を可能にするPKO協力法を成立させ、ペルシャ湾の機雷除去を目的として海上自衛隊の掃海艇を派遣、自衛隊の海外派遣を実現させた(自衛隊ペルシャ湾派遣)。このPKO協力法が施行された事により自衛隊はPKO活動に参加する事が可能となった。 後に「自衛隊の海外派遣」として反対という意見や多額の援助を諸国にもっと評価させるべきとの主張もなされた。[誰?]

なお、クウェートが日本に感謝決議を出さなかったのは、クウェート外相の個人的感情によるものとの異説がある。かつて大平正芳が外務大臣であった時、来日したクウェートの外相と会談した。大平は目をつむって話を聞いたが、クウェートの外相は居眠りしていると勘違いして、怒って席を立ってしまった。彼は20年後の湾岸戦争時もまだクウェート外相の座にあり、大平への恨みを持つ人間が日本に対し感謝決議を出させるはずがないというのである[要検証 – ノート][47]。

また、鶴見俊輔や鈴木正文などは、多国籍軍によるイラクへの攻撃に対して、攻撃開始前の時点から「反戦デモ」を組織した[48]。



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(歴史年代ゴロ合わせ暗記「湾岸戦争」から)
アメリカの湾岸戦争参戦

イラクがクウェートに侵攻した直後にアメリカや世界中である映像が繰り返し放送されました。
クウェートから脱出してきた難民の少女がアメリカの下院議会にて「イラク兵はクウェートの病院まで攻めてきて赤ちゃんを保育器から出し殺すところを見ました」と涙ながらにクウェートでの現状を訴える映像です。
また油まみれになった水鳥の映像も繰り返し放送されます。これは、イラク軍がペルシャ湾に原油を流出させたためにこのような状態になっている世界中に訴えかけられたのです。
これらはアメリカや世界の世論を大きく動かし湾岸戦争へ突入する一因となります。
しか~し!実は、この映像は後に完全なる「やらせ」であったことが発覚します。

湾岸戦争におけるプロパガンダ 偽の看護婦の証言


水鳥の映像もアメリカ軍が誘導爆弾にてゲッティ・オイル・カンパニーの原油貯蔵施設から流出させたことが明らかになります。
誰が?なぜ?こんな事を仕掛けたのか?それは、分かっておりません。しかし、昔から言われているように「戦争は儲かる」というのは事実のようです。
以上:2,702文字

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