平成27年 2月19日(木):初稿 |
○「小5児童自殺に体罰責任を認めた平成21年10月1日福岡地裁判決理由紹介1」の続きです。 ******************************************* (31) 平成18年9月14日,原告らは,△△小が作成した事故報告書について,情報公開条例に基づく行政文書開示請求を行った。 同月28日,上記請求に対する一部開示決定がなされ,一部黒塗りされた事故報告書が開示された。 (32) 平成18年10月16日,月命日のお参りのため,原告ら方を訪れた校長に対し,Dは,Bの自殺当日にDがC教諭から電話で聞いた内容と,その後の話が変わっているのではないかと尋ねたが,校長は,「その電話を私はC教諭と校長室でB君の報告をしているときに受けましたが,C教諭はそんなことはひと言も言っていませんでしたよ。」と否定した。また,Dが,Bの自殺の翌日,△△小に電話をかけて,C教諭の弔問を催促したのに,事故報告書では自発的に弔問に来たようになっているのはなぜかと尋ねると,校長は,そのような電話は,自分も教頭も受けていないと話し,だれに電話をしたのかとDに聞き返した。 (33) 平成18年10月18日,市教委のE及びFが原告ら方を訪れた。原告X2及びDは,事故報告書の内容がおかしいと思う点や,同級生から新たに聞き取った内容等を伝え,学校側との認識が異なる点については,その日の出来事を子供たちは見ているのだから,アンケートの内容を調査すれば分かるのではないかと訴えた。しかし,Eらは,アンケートはスクールカウンセラーが保管しており,市教委は関与していないと説明し,Dがスクールカウンセラーとの面会を求めても,これを断った。 (34) 平成18年10月25日,原告X2及びDは,Bの同級生のQ(以下「Q」という。)の自宅を訪れ,卒業式の日のアンケートやカウンセリングのことを聞き取った。 (35) 平成18年10月30日,原告X2及びDは,Bの同級生のRの自宅を訪れた。Rは本件のショックのせいであまり話ができないというので,代わりにRの母親から,Rが話していた内容を聞き取った。 (36) 同月31日,Dは,Rの母親から,Dが作成した陳述書への署名捺印を得た。 同日,Dは,C教諭が前任校で担任をしていたS(以下「S」という。)とその母親の話を聞き取った。Sは,C教諭は前任校でもよく児童を怒鳴っていたこと,S,T(以下「T」という。),Uの3人が特によく怒られていたことなどを話した。 Dは,同日,Sとその母親から,同年11月1日,Tから,それぞれ陳述書に署名捺印を得た。 (37) 平成18年11月16日,月命日のお参りのため,原告ら方を訪れた校長及びC教諭に対し,原告X2は,「形ばかりのお参りはもう結構です。事実を認めて,Bに謝る気持ちがあるなら焼香してください。」と言って,原告ら方に入ることを拒んだ。すると,校長は,「B君が学校の時間内に飛び出し,追いかけもせず,自宅に連絡もしなかった責任は,すべて学校にあります。そのことについては私が責任をもって謝罪します。」と答え,C教諭は,「B君には言いやすかった,B君の話を聞いてやらなくてすみません。」と頭を下げた。Dは,市教委のFに電話をかけ,校長やC教諭の発言内容を伝えた。 (38) 平成18年11月22日,原告X2,D及び友人2名が△△小を訪れ,校長やC教諭との間で,Bの自殺当日のことについて言い合いになった。Dは,本件アンケート用紙の所在を尋ねたが,校長は,アンケートは無記名で実施され,カウンセラーが持っているので分からないと答えた。 (39) 平成18年12月27日,市教委のE及びFが原告ら方を訪れた。Dは,カウンセラーとの面会や本件アンケート用紙の開示を求めたが,Eらは,カウンセリング以外の要件では面会はできないこと,カウンセラーが実施したのは再発防止のための意識調査であり,カウンセラーが持っているため見せられないことを説明した。 (40) 平成19年1月15日,原告らは,P弁護士の助言に基づき,市教委のV教育長にあてて,北九州市の第三者調査委員会の設置を求める要求書を提出した。 (41) 平成19年1月22日,原告X2は,J及びKから,二人がBから聞いた話等を聞き取って陳述書を作成し,同月23日,二人とその母親から署名捺印を得た。 (42) 平成19年1月23日,原告らが,本件アンケート用紙について,情報公開条例に基づく行政文書開示請求を行ったところ,同年2月6日付けで,不開示決定がなされた。その理由は,文書は破棄してあり,該当文書を保有していないというものだった。 原告らが不開示決定通知を受取に行くと,市教委から事情説明の申入れがあり,文書が破棄された経緯について,「こころの健康調査票は,スクールカウンセラーが児童の心の状態を把握するために実施したものであり,市教委が児童の心の状況を把握した後,破棄した。」,「昨年の7月ころ,市教委の指示で,教頭がシュレッダーにかけて処分した。」との説明がなされた。また,原告らが要望した第三者調査委員会の設置についても,平成18年3月29日に市教委が組織した再発防止討論会がその意味を兼ねるものであるとの説明があった。 (43) 平成19年2月8日,原告X2及びDは,平成18年10月25日にQから聞き取った内容を陳述書にしたものをQの自宅に持参し,Q及びその母親の署名捺印を得た。 (44) 平成19年3月15日,原告らは,本件訴えを提起した。新聞やテレビで提訴のニュースが流れると,陳述書の署名捺印を約束していたBの同級生の母親のうち数名が,原告らに対し,陳述書の作成を断ってきた。 (45) 平成19年5月12日,Bの同級生のG(以下「G」という。)が友人に連れられて原告ら方を訪れた。Gは,原告X2及びDにBの自殺当日の出来事を話し,直筆で陳述書を作成した。 (46) 平成19年12月12日,原告らは,Gが作成した陳述書をGの自宅に持参し,Gの母親から署名を得た。また,Gの母親から,Gから聞いた話やBの自殺後の学校の対応を聞き取った。 (47) 平成20年3月16日,Bの三回忌が行われ,Bの同級生の女子児童らが原告ら方を訪れた。原告X2がBの自殺当日の様子を尋ねると,女子児童らがその日の出来事を話した。その場には,以前に陳述書の作成を断られたNもいたため,原告X2は,女子児童らにノート(甲29。以下「本件ノート」という。)を渡し,同級生の児童らで,Bの自殺当日の出来事やBの様子などを書いて持ってきてくれるように頼んだ。 平成20年3月31日,Mが,原告らのもとに本件ノートを届けた。本件ノートの最初のページには,平成18年3月16日当時の△△小5年3組の座席表が書かれてあり,次のページには,「2006年3月16日のことについて自分が見たこと,聞いたことなどをこのノートに書いてください。同じ内容の文でもよいです。自分の名前と書いた日付を必ず書いてください。」と書かれていた。また,次のページ以降,Bの同級生16名の文章が書かれていた。 (48) 平成20年4月,Dは,陳述書の作成のため,弁護士Wの同伴のもと,Bの同級生の自宅を回ったが,学校関係者であることや,裁判は困るといった理由で,陳述書の作成を断られた。 2 上記1(11)の事実認定の補足説明 (1) 当裁判所が証拠により認定した本件懲戒行為及び本件事後行為の態様は,上記1(11)ア,イのとおりである(以下,「本件懲戒行為」,「本件事後行為」というときは,その内容は,いずれも同各認定に係るものである。)。 (2) これに対し,原告らは,「C教諭はBの胸ぐらを両手でつかんで上に持ち上げ,そのまま床に押し倒した」,「起き上がろうとしたBの左腕を右手でつかみ,外側に向かってねじり上げ,そのまま押さえつけた」と主張し,これに沿うL及びOの各陳述書(甲22の2及び3)を提出している。 しかしながら,C教諭の体格等を考慮とすると,「Bを上に持ち上げた」とする部分については,事実であるとはいささか考えにくいところである(Lの陳述書の内容は,「C教諭は…Bの胸ぐらの洋服のところを両手でつかんだと思ったら,そのまま上に持ち上げた。Bは足が浮いた感じになって足をバタバタさせていた。」というものであるが,座った姿勢で抵抗するBを胸ぐらをつかんで持ち上げるには,相当な腕力が必要であり,C教諭には困難なことと考えられる。)。 また,C教諭がBの腕をねじり上げたとする部分は,他の児童らがこれを目撃していれば,強く印象に残りそうな事実であるが,同旨の内容は,Gの尋問時の供述及び陳述書(甲24,甲26)にも,同級生16名による本件ノートの書き込みにも見当たらない。特に,Bのひとつ後ろの席であったZ(以下「Z」という。)の書き込みにも,同旨の内容が記載されていないことに鑑みると,かかる事実の存否については,疑問が残るといわざるを得ない。 原告らの上記主張部分につき,LとOの各陳述書の内容が一致していることについても,上記1(11)で認定のとおり,Dは,Oから聞き取りを行う際,既に聞き取りを終えていたLらの話の内容をひとつずつ確認するように尋ねていったというのであるから,Oに対し,一定の誘導が働いた可能性は否定し難く,現に,LとOの陳述書には,共通の間違い(すなわち,「こころの健康調査票」を作成したのは,Bの葬儀の後であったとする部分。)が見受けられることからすると,両名の供述の一致について,特別重視することはできない。 以上によれば,L及びOの各陳述書のうち,上記1(11)の認定と異なる部分については,たやすく採用できない。 (3) ア 一方,被告北九州市は,児童の記憶の特性(大人と比較して,①時間の経過によって不正確さの増す度合いが大きい,②情報源を検討する能力が低いこと等により,被暗示性が高い,③精神的な不安感による影響を受ける可能性が高い,④大人から質問されるということだけでも影響を受けやすく,さらに質問者の質問の仕方によって影響を受ける。)や,Bの同級生らに対するDの聞き取り方法の問題点等を指摘し,原告ら提出証拠の信用性を争っている。 しかしながら,上記1(11)で認定した事実は,L,O,G及びZの供述ないし本件ノートへの書き込みがおおむね一致する部分であり,かつ,Bの自殺当日にDがC教諭から電話で聞いた内容や,その翌日以降にGが母親に対して話していた内容とも整合するものであり,信用するに足りるものというべきである。 イ やや細かく付言すると,被告北九州市は,Bが床に倒れたことについて,本件ノートには全く記載がないと指摘するが,Zの「C先生が,B君の胸ぐらをつかんで押したおしていた」との書き込みは,Bが床に倒れたことを意味していると考えるのが自然である。 ウ また,被告北九州市は,Gが,尋問において,C教諭のBに対する「何で戻ってきたんね。」との発言を「覚えていない」と供述していることや,本件ノートにも,上記発言を聞いた旨の記載がないこと等を指摘して,C教諭による上記発言は存在しない旨主張する。 しかし,Gは,尋問の約1年3か月前に作成した平成19年5月12日付けの直筆の陳述書(甲24)において,C教諭の上記発言を記載しており,Gの母親も,GからC教諭が上記発言をした旨の話を聞いていたと供述している。また,Gの上記陳述書は,その内容や作成方法に照らし,聞き取りを行った原告X2の誘導が影響しているものともうかがわれない。本件ノートについても,そもそも本件ノートには,Gの書き込みを除けば,Bが教室を飛び出した後,一度教室に戻り,再び教室を飛び出していった経緯(この経緯自体は,被告北九州市も争っていない。)自体が記載されていないのであり,本件ノートにC教諭の上記発言が記載されていないことが,直ちに同事実の不存在につながるものでもない。 したがって,上記1(11)イの認定は左右されないというべきである。 (4) 他方,C教諭の供述及び陳述書(乙23)は,被告北九州市の主張ア(イ)に沿うものであるが,これによると,本件懲戒行為に際し,C教諭は,何の区切りもなくBに対するしっ責を終えたことになり,甚だ不自然であるし,上記供述及び陳述書にあらわれるC教諭のBに対する有形力の行使は,全体的にいたって平穏なものとなっているが,これではその後のBの反応とは整合しないというべきである。 したがって,C教諭の供述及び陳述書のうち,上記1の認定と異なる部分については,にわかに措信できない。 3 争点1(本件懲戒行為及び本件事後行為の違法性)について 上記認定のとおり,Bは,わざとではないにせよ,新聞紙を棒状に丸めたものを振り回して,聴覚障害のあるAの顔に当てた上,C教諭が教室に戻った際には,恐らくは,AがBのことをC教諭に言いつけたことを知っていて,面白半分に掃除用具入れに隠れていたのであり,仮に,BがAに対し,既に謝っていたとしても,C教諭において,改めてBの行動を戒める必要性があったことは明らかである。 また,C教諭がBの胸ぐらをつかんだのも,Bに肉体的苦痛を与えることを目的としたものではなく,自分のいうことを言い聞かせるためであったと考えられるし,Bが床に倒れ落ちたことについても,C教諭が故意にBを押し倒したとまでは認め難いところである。 しかしながら,C教諭がBと大声で言い争いをしたことは,教員の児童に対する指導方法としては相当性を欠くものであるし,言い聞かせのためであれば,肩に手をかける等するのが普通であり,胸ぐらを両手でつかむという不穏当な方法を用いる必然性はない。 また,C教諭がBを故意に押し倒したとは認められなくとも,Bが床に倒れたのは,C教諭がBの胸ぐらをつかんでゆすったことに起因するものであるし,Bにとって,級友が居並ぶ教室内で,C教諭に胸ぐらをつかまれ,床に倒されたということは,肉体的な痛みはもちろん,精神的にも大きなショックを覚えるものであったと考えられる。しかるに,C教諭は,Bが床に倒れたことについて,何ら配慮することなく,Bの「帰る。」との言葉を聞いて,「勝手に帰んなさい。」と感情的に言い返し,そのままBに背を向けている。 このように,C教諭による本件懲戒行為が,非常に感情的に行われていることや,胸ぐらを両手でつかんでゆするという行為の態様,上記転倒の結果やその後のC教諭の対応等を考慮すると,本件懲戒行為(とりわけC教諭がBの胸ぐらを両手でつかんでゆすった行為)は,社会通念に照らして許容される範囲を逸脱した有形力の行使であり,学校教育法11条ただし書により禁止されている「体罰」に該当する違法行為というべきである。 また,本件事後行為の内容をみても,C教諭は,Bが水の入ったペットボトルをC教諭に向かって投げつけ,教室を飛び出していったにもかかわらず,そのままBを放置してホームルームを開始し,数分後,ランドセルを取りにいったん戻ってきたBに対し,「何で戻ってきたんね。」と怒鳴りつけている。Bの上記行為(とりわけペットボトルを投げつけた行為)は,本件懲戒行為により,Bが精神的に激しく動揺していたことを顕著に示すものであり,このまま放置することに一定の危惧を覚えてしかるべき状況であったにもかかわらず,そのような状況下にあるBに対し,「何で戻ってきたんね。」と怒鳴りつけたことは,Bに対し,徒に精神的苦痛を与えるものでしかありえず,自殺を含めたBの衝動的行動を誘発しかねない危険性を有するものであって,かかる言動は,教員に許容される懲戒権の範囲を明らかに逸脱したものとして,違法行為であるといわざるを得ない。 また,上記で認定・説示したところに加え,後述のとおり,Bは衝動的な行動に陥りやすい児童であり,そのことはC教諭も十分に認識していたことを考慮すると,C教諭が当時置かれた立場に立ち,教員に求められる通常の観察義務を尽くしていれば,Bが衝動的に自殺を含めた何らかの極端な行動に出る可能性は,認識し得たというべきである。したがって,C教諭は,信義則上の安全配慮義務として,教室を飛び出したBを追いかけ,又は教室内のインターホンを用いて他の教員の応援を求めるなどして,Bを制止し,同人の精神的衝撃を和らげる措置を講ずるべき義務を負っていたというべきであり,これをせずにBを放置した点で,C教諭には少なくとも過失がある。 被告北九州市は,C教諭が,Bの興奮が収まるのを待ち,翌日改めて話を聞こうとしたことは,教員に与えられた裁量の範囲内の対応であると主張するが,C教諭の一連の対応は,感情にまかせてBを精神的に突き放し,Bに対する教育的指導を尽くさなかった行為であったと評価せざるを得ず,被告北九州市の上記主張は採用できない。 そして,C教諭による上記一連の本件懲戒行為及び本件事後行為は,被告北九州市の公務員であるC教諭が,その職務を行うについて行ったものであるから,被告北九州市は,国家賠償法1条1項に基づき,C教諭の上記行為により原告らが被った損害を賠償する義務がある。 以上:7,072文字
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