平成25年 6月 2日(日):初稿 |
○司法改革の大綱は、平成11年7月から平成13年6月まで2年間、63回に渡って開催審議された司法制度改革審議会の議論によって決められ、その議事概要・議事録全文・報告書等のおそらく殆どの資料が首相官邸HPの司法制度改革推進本部の司法制度改革審議会というサイトに公開されています。 ○意見書提出時の委員氏名と役職は次の通りです。 会長 佐藤 幸治 京都大学名誉教授・近畿大学法学部教授(法廷経験なし) 会長代理 竹下 守夫 一橋大学名誉教授・駿河台大学長(法廷経験なし) 委員 石井 宏治 (株)石井鐵工所代表取締役社長 委員 井上 正仁 東京大学法学部教授(刑事訴訟法、法廷経験なし) 委員 北村 敬子 中央大学商学部長(会計学) 委員 曽野 綾子 作 家 委員 髙木 剛 日本労働組合総連合会副会長 委員 鳥居 泰彦 慶應義塾大学学事顧問(前慶應義塾長、経済学-統計学・経済発展理論) 委員 中坊 公平 弁護士 (元日本弁護士連合会会長) 委員 藤田 耕三 弁護士(元広島高等裁判所長官) 委員 水原 敏博 弁護士(元名古屋高等検察庁検事長) 委員 山本 勝 東京電力(株)取締役副社長 委員 吉岡 初子 主婦連合会事務局長 ○このサイトに掲載された議事録は、ジョークでの笑いまで丹念に記載されており、おそらく議事内容全てを録音して反訳したものと思われ、膨大な量になっています。第1回目は各委員の挨拶程度で量的には一番少ないと思われますが、それでも4万5000字を超えており、午前10時から午後5時過ぎまで開催された集中審議議事録などは、おそらく数十万字の議事録になっています。 ○この膨大な議事録を斜め読みしていますが、各委員の生の声が聞こえて、結構面白い部分があり、勉強になる話しが相当鏤められている感じがしました。委員の中で生粋の弁護士は中坊公平氏だけですが、相当白熱した議論を展開しており、意見をまとめるに当たって相当の影響力があったように思えます。 ○平成12年8月8日に開催された集中審議第2日目の議事録の中に中坊弁護士と藤田耕三元広島高裁長官の弁護士と裁判官の資質に関する遣り取りの備忘録です。藤田氏の裁判官論として、「思い込んだら命がけで、全然それが頭に入らないというタイプがあるんです。これは裁判官としては最悪なんですね。自分はこの段階ではこう思うけれども、ひょっとしたら、その判断が間違っているかもしれないという謙虚さが必要」と言う言葉、これは弁護士にも重要な言葉です。また、また、中坊公平氏ばりに「パパパパッと物が見えて『もう、わかっとるがな』とこう言いたくなるんです」なんて言わない謙虚さも必要です。 **************************************** 【中坊委員】今の鳥居委員のことに同じ弁護士として一言答えさせていただくと、確かに裁判官もピンとキリとがあると同じように、検察官もピンとキリがある。また弁護士もピンとキリがあると思っています。私が見ると大変悪質な弁護士も多い。だからこそ私は弁護士の中のピンを、一番いい人が裁判官になるべきではないか。弁護士という社会が圧倒的に数が多い、9割方が弁護士ですからね。そういう人の中にピンとキリ、しかもこう言っては悪いけれども、代理人としてのピンとキリという判断と、裁判官としてのピンとキリというのがあるんですよ。例えば私なんていうのは絶対裁判官にだめなんですね。 何かというと裁判官で一番必要な条件は、今おっしゃったように公正さ、納得でしょう。納得させる、こんなこと言ったら笑われるといけないんですが、一番の素質、必要な資質は人の意見を聞くということです(笑)。だから、裁判官で納得させる、公正さも何よりも、まず一番必要なことは人の話を聞くという人ですよ。私だったら 100%だめなんですよ。弁護士としてピンであっても、裁判官として必ずしもピンとは限らない。ピンは必ずしも一致しない。私は弁護士でピンというわけではないですよ(笑)。確かに事件を片づけるときには、私らほかの弁護士が「アホかいな」というほど確かに上手にやるときもあるんですよ。しかし決して、裁判官には向いてないなと思います。 だから、今、言ったように仲裁判断のときも居眠りしたりとか、必ずしも私みたいに仲裁判断の委員が寝たりしてません。私は予断を持ちやすいくせがあるんですね。よく言えば、パパパパッと物が見えて「もう、わかっとるがな」とこう言いたくなるんです。そういうくせのある人はまず裁判官には向かないです。やっぱり同じように公平に見なければいけない。わかるでしょう、私の言っていること(笑)。北村さんが一番わかっている(笑)。 【北村委員】 笑って怒られた(笑)。 【藤田委員】 中坊委員のピン・キリ論は大変興味深く拝聴しました(笑)。確かに裁判官は双方を公平に見なければいけないから、のめり込んでしまったらだめなんですね。両方を突っ放して、どちらの主張が正しいか、それを冷静、クールに判断するということが必要です。だから、そういう意味で裁判官やめて弁護士になると、何となく当事者のクライアントの利益を守るというよりも、これはどうかなということで、いや、あんたの負けだよとか(笑)。ところがそれは弁護士の生粋の方に言わせると、弁護士はやっぱり当事者とともに怒り、ともに泣き、ともに喜ぶということでなければだめだとおっしゃる。そうだと思うんですが、そういう意味での心の温かさは必要なのは同じと思うんですが違うところもある。私はこういう経験をしているんですが、地方の裁判所にいたときに、今までに会った弁護士さんの中で事件の見通しの一番いい人がいたんです。つまり自分のついている当事者が勝つ事件は勝つと見通しをつけ、負ける事件は負けると見通しをつける。したがって、勝つと見通しをつけた事件は和解勧告しても受け付けないです。とにかく判決してくださいとおっしゃる。負けると見通しをつけた事件は、こちらが判決しようとすると、和解してくださいとこうおっしゃるんですね。 一度、みんなで集まって酒飲んだときに「先生どうしてあんなに事件の見通しいいんですか」と聞いたことがあるんです。そしたら、その先生の答えは「藤田さん、わしは事件は酒の種としか考えてませんからね」と。飯の種と言わなかったのがいかにもその人らしい。大変な酒豪でしたからね。そういうふうに突っ放してみると、自分の方の当事者が有利か不利かということが冷静に判断できる。当事者にとってみれば、事件によっては、そういう判断をしてもらった方がよい場合もあるんですね。そういう意味で今のピン・キリ論というのは含蓄があるのかなと思ったんです。 もう一つは、公正さの中身なのかもしれませんが、中坊委員が予断を持ってはいかんとおっしゃる。それはそうなんで、頭のやわらかさが必要なんですね。心証というのは双方から証拠が出てくるとその都度形成されていくわけですから、一たん原告有利だという心証をとったときに、被告側に有利な証拠が出てきても、思い込んだら命がけで、全然それが頭に入らないというタイプがあるんです。これは裁判官としては最悪なんですね。自分はこの段階ではこう思うけれども、ひょっとしたら、その判断が間違っているかもしれないという謙虚さが必要なのです。そうすると自分の今の持っている心証と違うような証拠が出てきたときに素直にそれを評価できる。それが必要だと思います。 ただ、心の温かさとか頭のやわらかさ、謙虚さというのは、持って生まれた人間性によって左右されるところが非常に大きくて、トレーニングによってそれは改善される余地があまりないのが普通ではないか。そうすると経験も大事ですけれども、そういうような資質、人間性を持った人を法曹になってもらうのが一番いいのではなかろうかと思います。 以上:3,243文字
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