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震災後初めての郷里気仙沼入り-余りの惨状にただ涙2

平成23年 4月 5日(火):初稿
○「震災後初めての郷里気仙沼入り-余りの惨状にただ涙」を続けます。
平成23年4月3日(日)午前10時30分、気仙沼市古町地区で親戚方に居住しているAさん始めとする気仙沼中学校同年・同級生数名に私なりの支援物資を渡し、その元気な姿を見てホッとした後、太田地区の自宅に向かいました。通称三八通りまでは、震災の跡は感じませんでしたが、私が中学3年・高校1年2年間勤務した広野新聞店から震災の大きな傷跡が見え始めました。

しかし、気仙沼在住Bさんのブログ「ありふれた光景」の「気仙沼 東北関東大震災 5」によると地震翌日3月12日の写真では三八通りの商工会議所前に入り口にがれきと漂流自動車が来ており、三八通りまで津波は押し寄せたようです。
 
Bさんの説明記事によると、三八通り入り口角の森田医院前に堆積したがれきがダムの堤防のようになって三八通りに入り込む津波を堰き止める役割を果たし、三八通りへの津波侵入が少なくなったそうです。

震災翌日の3月12日時点での三八通り角から南町を望む光景は左の写真の通りです。これもBさんの「気仙沼 東北関東大震災 5」から転載しました。Bさんには以前、写真の一括使用許諾を頂いております。手前のがれきが三八通りへの津波の来襲を相当程度堰き止めたがれきの山のようです。3月12日時点では三八通りから南町へ至る道路ががれきで完全に覆われています。海岸に近い南町通りは完全にがれきに覆われ、徒歩でした通行できない状況ですが、がれきの山を越えて通行するのは相当のご苦労だったと思われます。

以下に掲載する4月3日時点の写真を見ると、広野新聞店までは2mを超える津波が押し寄せたと思われます。2階の看板に津波跡が見えるからです。
広野新聞店の惨状
   

南町通りから魚町交差点へ-震災後24日経てもなお電気が回復せず警官の交通整理が行われています
   

更に南町通りを進行します-この交差点も警官による交通整理です
   

南町から魚町方面を望みます-男山酒造ビル3階部分のダルマ落とし状態、2,3階は流されたのか潰れたのか?
   

港ふれあい公園入り口樹木に漂流者の衣服?が掛かったままです
   

魚町界隈の惨状-この辺で周辺の荒涼たる風景に胸が詰まり、感極まり涙が出てきました、私の未熟な写真ではこの実態・実感は,到底、伝えられません
   

以上:970文字

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