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大学・研修所での”畳の上の水連”について

平成22年10月25日(月):初稿
○「”司法修習生貸与制平成22年月導入”-法曹養成論再考」に「いずれにしても大学或いは研修所での実務教育は、いわば畳の上の水連であり、実務では殆ど役に立ちませんので長々時間をかけるのは無駄です。」と記載しましたが、これには大学教育関係者の方は烈火の如くお怒りになるかも知れません。しかし、「殆ど役に立たない」であり、「全く役に立たない」とまでは主張しません。

○「畳の上の水連」とは、ことわざデータバンクによると「理屈や方法を知っているだけでは、実際には役に立たないことのたとえ。 」、Goo辞書によると「理屈ばかりで実地の訓練が欠けているため、実際には役に立たないこと。畳の上の水練。畑水練。」と説明されており、「実際には役に立たない」ことが強調されています。「畳の上の水連」なんて言葉だけの存在で、実際行う人は先ずいないだろうと思っていたら、
畳水練の一般的な意味は上に書いたとおりですが、畳の上で練習しただけで実際に水に入ることが無いのなら、確かに無駄なことですが、畳の上での水練が無駄かと言うと、私は無駄ではないと思っています。

実を言えば私は大人になるまで金槌で、泳げませんでした。ところが必要があって、水泳を覚える必要がありその練習を「床の上」でしたことがあるからです(畳の上ではなかったのですが)。

このときは平泳ぎの手足の動かし方を教えられて、ひたすらそれを床の上で行って覚えたのです(客観的にこの情景を想像すると、かなり不気味)。

 2~3時間も続けると膝や、肘は皮が剥けて血が出てしまいましたが、その後水に入って、床の上で練習した動作を思い出しながら、なぞるように繰り返していたら、50m プールの端までたどり着いていました。そして、1週間後には、 1km位は休まず泳げるようになっていました。
なんて記事を発見しました。幼児時代からの慢性中耳炎で水泳禁止を言い渡されていた私も未だに「金槌」で、この記事を読んで「畳の上の水連」をやってみようかなんて思っています。

○大学或いは司法研修所での法律実務教育も、上記畳(床)の上での水練が、意外に役に立った経験があるように、人によっては、実務法曹としての訓練に役立つ面もあることは事実でしょう。しかし、私の経験では、やはり、司法研修所での白表紙(しらびょうし、事件記録を書籍化したもの)を読んでの判決書起案、訴状・準備書面起案は、殆ど感銘力がなく、記憶に残っていません。また裁判・検察・弁護の実務修習での起案も殆ど記憶になく、現在の弁護士としての技術蓄積には殆ど役立っていません。何故なら実務修習の起案もあくまで、指導担当裁判官・検察官・弁護士の手足として、自己の名前は全く表示せず、何らの責任を負うこともなく、実戦ではなく練習として起案したものだからです。

○これに対し実務に入ってからの起案はお客様から対価を頂き、文章責任者として自己の氏名を表示し、その結果について全責任を負って記載するものですから、それに対するリアクション、最終的には最終回答としての判決書等が強い感銘力を持って脳裏に刻み込まれます。従って容易に忘れることなく、正に経験として蓄積されます。私自身は、この生の体験の感銘力は、白表紙等書類だけの感銘力とは、天と地ほどの差があると考えています。その違いは、詰まるところは、生の人間の息吹を感じる距離で接することから生じるものです。大学や研修所で書類の上だけでの経験では、到底得られないものです。

○この生の人と人とのぶつかり合いの蓄積が実務体験としてその人の血となり肉となるのは、法曹実務だけに限らず全ての実務に通じるものですが、特に最終的には人と人との紛争を扱う法律実務においては生の実務体験が重要と確信しています。それ故「畳の上の水練」は必要最小限で終わらせ、たとえ弁護士補であろうと、実名を出しての弁護士補としての生の実務体験を経験すべきと思っているところです。
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