平成20年 4月22日(火):初稿 |
○学習塾「英友会」の恩師小野敏夫先生の話を続けます。小野敏夫先生は、兎に角、創意・工夫の方でした。先ずテキストですが、私が入塾した昭和38年当時はガリ版刷りで学校の問題等は黒一色が殆どでしたが、英友会のテキストや問題は黒、赤、青等を使った多色刷りで、先生独特の達筆で読みやすく且つ記憶しやすいように工夫がなされていました。 ○中学になると正に「英友会」で科目は英語のみになりましたが、中学校で習う箇所を数ヶ月前に英友会の工夫された独自のテキストで予習しており、その効果で中学での授業は真綿に水が染みるが如く吸収でき、英語は英友会のテキスト中心に予習復習を繰り返し、英語が大好きになり、英語が大の得意科目となり、僅かに中学時代だけでしたが、「英語の小松」と呼ばれるまでになりました(^^;)。 ○英友会で一番印象に残っているのはテスト形式です。単に結果と順位を発表するのではなく、相撲番付形式で行っていました。塾生は先ず四股名を決めます。この形式は10歳年上の長姉が習っていた時代から取り入れられていたとのことで私は、長姉、次姉に続いて3代目の「松錦」という四股名でした。 ○確か春夏秋冬の年間4場所制だった様に記憶していますが、昭和39年春場所等の場所名での番付表が配布されました。この番付表には、前回の成績を元に東西の横綱、大関、関脇、小結、平幕の順に大相撲の番付表と同様四股名が記載されていました。 ○各場所のテストは1ヶ月位かけて10日間行ったように記憶しています。各テスト日の前に、例えば初日は松錦対藤の山と言うようにその日の取り組みが決められて発表され、事前に取組相手が判ります。取組相手との勝敗は、テストの点数によって決まり、毎回テストが終わると直ちに採点され、小野先生が、甲高い声で「東松錦、西藤の山、100点対90点で松錦の勝ち」と取組結果を発表し、皆、ドキドキしながら聞いたものでした。 ○千秋楽には最多勝利者が優勝者として昭和○○年春場所優勝の文字の入った帯付きの小さな優勝カップを頂きます。通算最高得点賞もあり小さなトロフィーが出ました。更に敢闘賞などの副賞もあり、塾生は、賞品を貰えるように競い合ったものでした。私もこのように賞品がかかると猛烈に頑張りました(^^;)。 ○英友会で記憶に残っているのは勉強だけではありません。レクレーションが充実していました。毎年、12月には歌うクリスマス会が開催され、OBの高校生が審査員として参加し、塾生が何か芸をして入賞者には賞品が出され、同時にくじ引きでのプレゼント交換会が行われ、何が当たるか楽しみでした。勿論、楽しいレクレーションはクリスマス会だけではなくまだまだありました。 以上:1,108文字
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