平成19年12月 1日(土):初稿 |
○私は幼児から病弱で、気が弱く成績も運動能力も、次姉に劣り、私の行く末を心配した母から、「(次姉)たけ子は、活発で成績も良いのに、亀一は大人しくて成績も悪く、将来が心配だ。たけ子が男で亀一が女に生まれてくれば良かったのに。」と言われ続け、自分自身を普通の人間より劣るダメ人間だと劣等感を持ち続けました。 ○母は気が強く自分の思ったことをズバリ言う人で「将来が心配だ」、「女に生まれてくれば良かった」などと男としての人格を全面否定されるような言い方をされたらいくら子どもでも、子どもなりに傷つくのではないかと言うことまで思い至らない人でした。しかし、これが私にとっては却って良かったのかも知れません。 ○自分が普通の人より能力的に劣って生まれてきたと自覚した私は、自分が普通の人並みになるには普通の人より何倍も努力しなければならないとの自覚も芽生えてきました。また人間社会は他の人間との比較を前提とした競争社会であり、他の人間と比較されてけなされることは大変辛いことですが、この辛さから「なにくそ、今に見てろ」と言うなにくそ根性も徐々に芽生えてきました。 ○小さい時から自分はダメな人間だとの劣等感を持ち続けてきた私の大きな転機となったのは小学5年生春の運動会でした。運動会では全員が身長別に分けられ10人位一組で走る徒競走がありましたが、それまではいつもビリから2,3番目であった私が、いきなり2位に入ったのです。 ○私は、兎に角、嬉しくて嬉しくて、見ていた母も大変喜んでくれ、家に帰ってから、2位と書かれた帯がついた賞状のノートを得意げに持って記念写真を撮りました。私はこの小学5年生春の運動会での徒競走2位に入ったことで、自分もやれば出来ると少々自信がつき始め、小学5年生から成績も上がり始めました。 ○小学5年の算数に鶴亀算が出てきましたが、どういう訳かこの鶴亀算が大好きになり、ああでもない、こうでもないと考えて最後に答えに到達した時の爽快感に味を占め、色々な鶴亀算の練習問題に挑戦しました。あるときクラスで鶴亀算の応用問題を出されてクラスで1人だけ解答に至り、その計算根拠をチェックしたクラス担任の先生に「亀一は、都会の子供達にも負けないな。」と褒められ、舞い上がったこともありました。 ○その頃から何かに熱中すると徹底して取り組む凝り性の姿勢が徐々に作られてきたように思いますが、根底には、次姉と比較されてダメ人間と評価され続けてきた劣等感がありました。「なにくそ、俺だってやってやる」との根性は少しずつ育ってきましたが、これは結局母にけなされ続けてきたことでコントロールされた面があり、この意味で母に感謝しています。 ○恥ずかしい話ですが、母親っ子の私は小学校5年まで母と一緒の布団に寝ており、このことも母からからかい続けられましたが、母の話だと、小学5年生になったある時、突然、1人で寝ると言って、2階の自分の部屋で寝るようになったとのことです。大げさに言えばこの母からの独立が私の劣等感からの独立も果たしたようです。 以上:1,252文字
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