令和 1年 5月23日(木):初稿 |
○令和元年5月22日(水)は、RU(異業種交流会・ライジングアップ)5月例会で、会員7名非会員2名の合計9名が参加して、ツルカメ第二スタジオにおいて、仙台水の文化史研究会会長柴田尚氏による四ツ谷用水の解説を聴講しました。最初に四ツ谷用水の概要の説明をされましたが、本流は、西端は、標高65mの郷六地区において広瀬川から取水され、東端は、標高40mで約25mの高低差のある梅田側に放流される約7.2㎞で、約3.5パーミルの勾配によって流れる水路とのことです。 ○この本流から、南方に支流が張り巡らされ、用水の総延長は八幡町5丁目より下流部が約41㎞、これより上流の導入部が約3.2㎞で、合計約44㎞となるとのことで、伊達政宗の命を受け、名土木家の家臣川村孫兵衛、普請奉行宇津志惣兵衛が1620年代に着工し、4代目藩主伊達綱村が治めた元禄時代(1688~1704年)になってようやく完成しました。 以下、仙台市HPから転載した画像です。 ○柴田氏の話では、仙台城下河岸段丘地に張り巡らされた四ツ谷用水が地下にも染み込み、地下水を補給して豊富にしたことが、仙台市を樹木が繁茂する「杜の都」と呼ばれる綠の多い街にしたとのことです。しかし、明治時代になって、道路を整備し、下水道管が敷設され、排水設備が進む過程で、四ツ谷用水は次第に姿を消していったとのことです。 ○現在の四ツ谷用水は、本流が宮城県の工業用水道(暗渠)として使用されているだけで、その他の支流は暗渠化されているか埋められ、遺構としては、洗い場跡(八幡2丁目)、旧隧道跡(八幡6丁目:文殊堂入口脇に隧道への作業口が見られる)等があるとのことです。RU6月例会は、6月15日(土)にこの遺構をたどってみることになり、楽しみです。平成27年7月、NHKブラタモリで、タモリがたどった道の一部を我々もたどってみます。 以上:774文字
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