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平成31年 4月19日(金):初稿 |
○「交通事故による傷害を原因としてPTSD発症を認めた地裁判例紹介1」の続きで、その控訴審平成16年2月26日福岡高裁判決(判例時報1860号74頁)の必要部分を紹介します。 ○一審平成14年3月27日福岡地裁飯塚支部判決(判例時報1814号132頁)は、約9345万円の請求に対し、PTSDの発症を認めて約2780万円を損害と認容しましたが、控訴審判決はPTSD発症を否認した訴因減額率も10%から30%に増やして、認容額を一審の半額弱の約1267万円に減じました。 ○控訴審判決は、被害者(主婦・症状固定時29歳)に生じた後遺障害(微熱、いらいら感、めまい、不眠、吐き気、抑うつ感等)はPTSDには該当しないが、事故に起因して生じたものと推認することができるとしたうえ、9級10号(神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの)に該当するとして、1審の7級4号を変更、10年間にわたり35パーセントの労働能力喪失を認めました。 ○さらに同乗者には後遺障害が発生していない事情等から事故の態様と被害者が訴える障害の程度との間には著しい不均衡が認められ、過大なまでに重い後遺障害が発生したことについては、被害者の心因的要素が寄与しているとして、損害のうち10パーセントを減額した1審判決を30パーセントに変更しました。 **************************************** 主 文 原判決を次のとおり変更する。 一 一審被告は、一審原告に対し、1267万2320円及びこれに対する平成10年3月20日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 二 一審原告のその余の請求を棄却する。 三 訴訟費用は、第1、2審を通じてこれを8分し、その7を一審原告の、その余を一審被告の負担とする。 四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。 事実及び理由 第一 当事者の求めた裁判 一 (1)一審原告の控訴の趣旨 原判決を次のとおり変更する。 一審被告は、一審原告に対し、9345万6944円及びこれに対する平成10年3月20日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 (2)一審原告の請求の趣旨 上記(1)の変更を求める内容と同じ 二 一審被告の控訴の趣旨 (1)原判決中一審被告の敗訴部分を取り消す。 (2)一審原告の請求を棄却する。 第二 事案の概要 一 本件は、一審原告が運転中の自動車に一審被告の運転する自動車が追突した交通事故(以下「本件事故」という。)によりPTSD(心的外傷後ストレス障害)になったとして、一審原告が一審被告に対し、不法行為に基づく損害賠償を請求する事案である。 原判決は、本件事故により一審原告がPTSDに罹患したことを認め、これは後遺障害等級七級四号(神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができない。)に該当し、症状固定後10年間にわたり労働能力の56パーセントを喪失したものと認められるが、上記障害は一審原告の性格傾向などに影響されたものであるから、過失相殺の趣旨から損害額の1割を減額するのが相当であるなどとして、2779万7699円及びこれに対する不法行為日(本件事故が発生した日)である平成10年3月20日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の限度で一審原告の請求を認容したため、一審原告及び一審被告がこれを不服として、それぞれ控訴を申し立てた。 二 前提事実(争いのない事実並びに(証拠省略)によって容易に認定できる事実) (1)一審原告は、昭和45年10月15日生の短期大学卒の女性で、平成7年5月にAR太郎(以下「太郎」という。)と婚姻した専業主婦である。 (2)平成10年3月20日午後1時20分ころ、大分県日田市石井町三丁目558番地の八えのき屋酒屋店前路上において、一審原告が運転し、太郎が助手席に同乗する普通乗用自動車(以下「一審原告車両」という。)が信号待ちのために停車中、一審被告の運転する普通乗用自動車(以下「一審被告車両」という。)が時速50ないし60キロメートルで追突した。同事故は、一審被告が車の床に落ちたパンを拾うために下を向き、進路前方を見ないまま走行し、直近になって一審原告車両に気付いたものの、制動措置をとることなく衝突したという一審被告の過失に基づくものであるため、本件事故によって一審原告に生じた損害について、一審被告は賠償義務を負う。 (3)本件事故後、一審原告は、以下のとおり入通院した。 (中略) 第三 当裁判所の判断 一 前記前提事実、(証拠省略)によれば、以下の事実を認めることができる。 (中略) 二 (1)ところで、前記のとおり、PTSDの該当性を診断する基準としては、ICD―10とDSM―〈4〉があるが、飯塚病院心療内科で一審原告の治療に当たっていた証人内藤はDSM―〈4〉を用い、一審原告が本件事故によって受けた恐怖体験は同診断基準のA(1)及び(2)に、一審原告が本件事故当時の状況を繰り返し思い出し、また、事故の夢を見ている点は同基準のB(2)及び(3)に、一審原告が本件事故後、自動車の運転をしようとせず、家事や外出もほとんどせずに日々を無為に過ごしており、人とのコミュニケーションを避け、孤立感を抱き、幸福感が縮小し、病気は良くならないと思いこんでいることは同基準のC(2)、(4)ないし(7)の各要件に、コントロール不能な重篤な入睡眠障害や加害者に対する易怒性等は少なくとも同基準のD(1)、(2)、(4)、(5)の要件に該当し、障害の持続期間が一か月以上継続し、また、社会的にも重篤な機能障害を起こしていることからすると、同基準のE及びFの要件を充たしているとして、一審原告がPTSDであると診断している。 (2)そこで検討するに、PTSDは米国のベトナム戦争の経験をもとに展開されてきた疾病概念であり、我が国におけるPTSD研究の歴史は浅く、これに注目が集まったのは、阪神・淡路大震災以降のごく最近ことであるように、その概念自体が未成熟であり、また、同基準の定める要件は主観的なものが多い。この点に関して、PTSDの認定は、担当する医師の裁量により診断が乖離することが現実に起こっているとの指摘もあり、また、損害賠償やその他の補償が二次的に関与する場合には、特に厳格にPTSD診断を行うべきであり、この場合のPTSDの定義は、「日常生活の中では体験し得ない、例外的に著しく脅威的、破局的な性質を持ったストレスの多い出来事」と限定すべきであるとの論者もいる。 そして、DSM―〈4〉、さらにはICD―10が主要な要件とする、〔1〕強烈な外傷体験、〔2〕再体験症状、〔3〕回避症状、〔4〕覚せい亢進症状の存否を本件についてみるに、本件事故の態様は、前記のとおり、停車中の一審原告車両に時速50ないし60キロメートルで走行中の一審被告車両が制限措置を講じることなく追突し、一審原告車両は50メートルほども押し出されて停止したというものであって、事故の態様としては軽からぬものということができるが、他方において、一審原告が受けた衝撃は上記追突のみであり、一審原告車両が横転し、あるいは押し出されて他の固定物等に衝突するなどしたこともなく、甲27の一審原告車両の写真によれば、同車両の後部バンパーからトランク部分にかけて大きく凹み、また、太郎が供述するように、ドアの開閉に支障があったとしても、運転席及び助手席や、そこから前の部分には大きな凹凸も認められないこと、一審被告の陳述書及び太郎の証言によれば、一審原告は、本件事故の直後に自ら歩いて一審被告のもとに行き、大声で話しかけていたものと認められること、本件事故当日に受けた診断は頭部、腹部打撲による約2日間の安定加療が必要であるというものであり、その数日後から入院した期間も、一審原告、太郎ともに一か月余りであって、それを超える器質的な障害も認められないことからすると、本件事故に遭遇したことが、一審原告にとって、上記各基準が定めるほどに強烈な外傷体験と認められるかについては疑義があるものといわざるを得ない。 また、回避症状についても、確かに、一審原告は、本件事故後、自動車を運転することがなくなったものと認められるものの、症状固定前から頻繁にタクシーを利用し、太郎から勧められて自動車に同乗して外出することもあったというのであり、また、一審原告は、太郎に対して、毎日のように本件事故のことばかり話をしていたというのである。さらに、一審原告は、一審被告に対する憎悪の念を募らせ、一審被告に対して電話をして強迫的な発言をし、ファクシミリを送付し、年賀状を送るなどするとともに、原審の期日に顔を合わせた際に、泣いている一審被告の顔面に唾を吐きかけるなどしていたように、一審原告は、本件事故後、同事故と関連した思考や会話を続け、一審被告に対して、能動的にアプローチしているなど、そこに回避症状があるものと認めることはできない。 ちなみに、DSM―〈4〉のC要件は、(1)から(7)に挙げる項目のうち、三つあるいはそれ以上によって示される外傷と関連した刺激の持続的回避と全般的反応性の麻痺と規定されているところ、証人内藤は、一審原告は、このうちの(2)、(4)ないし(7)に該当すると証言するものの、一審原告が(2)の「外傷を想起させる活動、場所または人物を避けようとする努力」を払っているものと認められないことは前記のとおりであり、また、その他の(4)ないし(7)の重要な活動等への関心の著しい減退、孤立感、感情の範囲の減少、未来の短縮感の要件に仮に該当していたとしても、そもそも、一審原告については、上記のとおり、本件事故からの回避症状が認められない以上、C要件を充たすものということはできない。 そうすると、仮に一審原告に再体験症状及び覚せい亢進症状が認められたとしても、一審原告の症状がPTSDに該当するものと認めることはできない。 (3)なお、本件について、原審では鑑定は行われておらず、当審において、一審被告の鑑定申出を採用したが、一審原告から、主治医が鑑定を受けさせることを承諾しておらず、したがって、鑑定手続を続けることは困難であるとの上申書と診断書が提出されたため、鑑定の採用決定を取消した経緯がある。そのため、本訴においては、一審原告についての鑑定結果はなく、その他の証拠によってPTSDに該当するか否かを判断せざるを得なかったものである。 三 以上によれば、本件事故後、一審原告に生じた後遺障害はPTSDに該当するものとは認められず、また、一審原告には器質的な障害も認められないものの、そのことから、直ちに現実に一審原告に生じている障害と本件事故との間に因果関係がないものということはできない。 すなわち、本件事故後、一審原告には、前記認定のとおり、微熱、いらいら感、めまい、不眠、吐き気、抑うつ感等が生じ、その結果、家事労働に支障を来たす状態が生じているところ、かかる障害は、本件事故後の比較的早期から継続的に生じていたものであるとともに、本件事故以外の事象がその原因となっていることをうかがわせる証拠も認められないことからすると、上記障害は本件事故に起因して生じたものと推認することができ、これを覆すに足りる証拠はない。 そこで、上記後遺障害による一審原告の労働能力の喪失率を検討するに、前記のとおり、専業主婦である一審原告は、現状では十分な家事労働を行い得ていないものと認められ、また、自殺未遂に及んだことも複数回あるなど、その状態は決して軽いものということはできないが、他方において、一審原告の後遺障害はPTSDであるとは認められないうえ、一審原告も認めるように、症状固定後、タクシーに乗って昼食用の弁当、パンなどの出来合のものを購入するために外出していたこともあるなど、器質的には一審原告は家事労働に服することが可能な状態にあるものと認められることなどに加えて、前記認定の諸事実を総合すると、一審原告の後遺障害は、9級10号の「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」として、その労働能力の35パーセントを喪失したものと認めるのが相当である。 そして、太郎の陳述書によれば、一審原告が退院してから既に4年以上が経過しているものの、その状態には特に変化がないという一方、証人内藤は、一審原告の症状の治癒について、コントロールの仕方の習得の学習がうまくいけば、治癒は可能だと感じており、気持ちの整理の仕方を学習でき病状が回復していった後には徐々にではあれ労働能力も獲得していくことができると感じている旨証言していること、前記認定のとおりの一審原告の一審被告に対する対応や病状の経緯などからすると、一審原告は、一審被告に対する憎しみの強さから、自分が病気であることが一審被告に対する一種の制裁であるという考えを持ち、それが一審原告の症状の軽快を遅らせている面もうかがわれるところ、本訴を通じて一審被告の責任が確定することにより、その状況に変化が生じる可能性も否定できないこと、乙70の文献によれば、3年以上経過しても、まだなおPTSDと主張する場合は、おそらくPTSDは既に消失し、別の疾患である外傷後神経症、補償が絡む神経症や他のパーソナルな部分に寄与した個体要因が大きい疾患に変化していると考えるとの見解も示されていること、本件事故後既に5年以上が経過していることに前記のとおりの飯塚病院心療内科の各医師の診断内容などを総合すると、本件事故との間に相当因果関係の認められる一審原告の労働能力喪失期間は10年間と認めるのが相当である。 四 次に、そのことを前提として検討するに、本件事故によって一審原告に生じた損害は以下のとおりと認められる。 (1)入院雑費 5万3300円 入院期間(41日間)1日につき1300円の割合 (中略) (7)上記(1)ないし(6)の損害額は合計2237万0544円となるところ,一審被告は、一審原告の後遺障害は、その不安を身体化し易い性格傾向や人格上の問題が大きく影響していると考えられるので、その寄与割合分として大幅な減額をすべきであると主張する。 そこで検討するに、前記認定のとおり、一審原告の症状はPTSDであるとは認められないこと、本件事故は、停車中の一審原告車両に一審被告車両が時速50ないし60キロメートルの速度で追突したというものであるが、一審原告車両の助手席に乗車していた太郎は一審原告よりも早く退院したというところ、その他に同人に後遺障害が発生したことをうかがわせる証拠もないこと及び一審原告は、本件事故当日に大分県済生会日田病院において、約2日間の安静が必要である旨の診断を受けていることからすると、本件事故の態様と一審原告が訴える障害の程度との間には著しい不均衡が認められ、また、一審原告の一審被告に対する言動の内容からすると、現状のような過大なまでに重い後遺障害が発生したことについては、一審原告の個人的な素因が深く関与していることは容易に認められるところである。 このように、本件事故との間に相当因果関係のある損害であっても、これが同事故によって通常発生する程度、範囲を超えるものであって、その損害の拡大について一審原告の心因的要素が寄与しているときは、損害額を定めるにつき、民法722条2項を類推適用して、その損害の拡大に寄与した一審原告の事情を斟酌することができるものと解されるところ(最高裁第一小法廷昭和63年4月21日判決)、前記に認定した諸事実によれば、一審原告の損害のうち、3割をその心因的要素が寄与した部分として減額するのが相当である。 (8)損益相殺 以上による減額後の一審原告の損害は1565万9380円と認められるところ、一審原告が398万7060円の支払を受けていることは前記前提事実のとおりであるから、これを弁済あるいは損益相殺として控除した後の損害の残金は1167万2320円となる。 (9)弁護士費用 本件事故との間に因果関係の認められる弁護士費用は100万円と認めるのが相当である。 五 以上によれば、一審原告の本訴請求は、1267万2320円及びこれに対する本件事故日である平成10年3月20日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余の請求には理由がない。 よって、これと異なる原判決を変更することとして、主文のとおり判決する。 (裁判長裁判官 石塚章夫 裁判官 永留克記 高宮健二) 別紙一 DSM―〈4〉の診断基準(省略) 別紙二 ICD―10 DCRの診断基準(省略) 以上:6,914文字
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