平成28年 2月 6日(土):初稿 |
○「柔道整復師施術過誤損害賠償認容平成20年6月26日広島高裁判決紹介1」の続きで、裁判所の判断です。 ******************************************** 第3 当裁判所の判断 1 前提となる事実関係 弁論の全趣旨及び証拠(控訴人,被控訴人各本人,甲12,乙1及び文中掲記のもの)によれば,控訴人の治療経過及び同人の右肩の症状にかかる医学的知見等に関し,上記第2の2摘示の事実関係のほか,以下の事実関係を認めることができる。 (1) 丙山整形における治療の経緯(証人丙山[書面尋問],甲7,8) ア 控訴人は,1月31日,丙山整形を受診(初診)し,平成11年7月ころから右肩関節痛があった旨訴え,レントゲン検査を受けた。その際,右肩関節の運動障害,運動痛が著明であり,レントゲン的には,右肩関節周囲の軽度の石灰沈着が認められたため,同院の丙山和男医師(以下「丙山医師」という。)は,控訴人の症状を肩関節周囲炎(いわゆる「五十肩」)と診断し,疼痛の軽減のため,ステロイドの関節内注射を施行した。 イ 2月1日の受診の際にも控訴人の肩の痛みが持続していることから,丙山医師は,拘縮と疼痛の軽減のためヒアルロン酸を関節内に注射し,更に翌日(同月2日)も疼痛が持続していたため,関節の拘縮による痛みと判断して,以後,疼痛及び拘縮の軽減を図るため,超短波による温熱療法とプーレー(滑車)による肩関節の自動運動(上腕挙上運動)を施行することにした。控訴人は,その後ほぼ週に1回の割合で丙山整形に通院するようになった。 ウ 3月21日の受診の際にも疼痛が持続していたことから,丙山医師は再びヒアルロン酸の関節内注射を施行し,4月3日にも再度ステロイドの関節内注射を施行した。 エ その後も控訴人の疼痛は持続していたことから,理学療法(超短波による温熱療法,プーレーによる自動運動)が施行されたが,疼痛はわずかに軽減していく傾向があったものの未だ持続していたことから,6月5日までこれら療法が継続された。 オ なお,丙山整形における血液検査では控訴人には急性炎症の所見はなかった(CRP値0.05以下)。 (2) 被控訴人の整骨院での治療の経緯(乙2) ア 控訴人は,丙山整形での上記治療によっても疼痛がなくならないことなどから,友人から紹介を受けて,6月14日,被控訴人の整骨院を受診(初診)した。 イ 控訴人は,初診時において,被控訴人に対し,前日,寝返りを打ったときに痛みが発生した,寝返りを打っても痛い,動かす動作でも痛みがある旨訴え,丙山整形で五十肩と診断されて運動療法を受けた旨話した。 また,控訴人は,その際,平成11年11月ころから頚,右肩,右肘の痛みを感じながら仕事をしていたことも被控訴人に話した。控訴人は,丙山整形での治療経過についてはそれ以上のことは話さず,同院での治療の結果,少しずつ良くなっているとの話もしなかった。 被控訴人は,控訴人の施術録(乙2)に,負傷名として頸椎捻挫,右肩関節捻挫,右肘関節捻挫と,負傷日時として平成12年6月13日午後11時と,また,負傷の原因として「寝返りを打った時負傷」とそれぞれ記載した。なお,施術録の負傷原因欄には,別に平成11年11月ごろ,頚,右肩,右肘の痛みを感じながら仕事をしていた旨の記載もある。 ウ 被控訴人は,控訴人の肩の動き,上腕挙上の動きを見て,日常生活の動作ができていないと判断し,控訴人の筋肉を緩めた時の痛みとそのままの状態で動かした時の状態を触診し,右上肢痛,頸部運動痛,棘上筋疼痛,上腕二頭筋疼痛の症状を認め,頸椎捻挫,右肩関節捻挫及び右肘関節捻挫と診断し,以後,肩周辺,首,肘の周辺の筋肉を緩める治療(バイターという器械により患部を暖め,その後,筋肉を緩めるマッサージ)をした。 また,被控訴人は控訴人に対し,仕事を休んだ方がよい旨話したが,控訴人は仕事が忙しいので休めない旨答えた。 エ 控訴人は,8月中旬ないし9月初旬ころ,被控訴人に対し,物が持てないとか服を脱ぐ動作にも痛みがある旨症状を訴えた。 オ 被控訴人は控訴人に対し,10月2日,控訴人の上腕二頭筋付着部の疼痛がひどかったことから,上肢や頭の重みを逃がすために,痛みがある場合には,三角布を使って安静を保つよう指示した。 そこで,控訴人は,その頃から仕事を休んで三角布を吊って過ごし,同日から同月23日の被控訴人の整骨院での最後の治療まで6日間通院し,前同様の治療を受けた。 (3) その後の治療の経緯(甲3,4,21) ア 控訴人は,10月26日,山口労災病院を受診し,右凍結肩,右肩関節周囲炎との診断を受けた。 そこで,控訴人は,12月11日から平成13年1月31日まで同病院に入院して,平成12年12月12日,全身麻酔による右肩関節鏡視下授動術を受けた。その後,平成14年4月25日まで,リハビリ治療のため同病院に通院した(なお,初診時からの実通院日数は38日である。)。 イ その後,控訴人は,同病院の紹介により,同日30日から小野整形外科クリニックに通院し,右肩が凍結しないようにするため,低周波治療,マッサージ治療等を受けている。また,控訴人は,このほか平成14年中に1回,西宇部整骨院へ通院した。 (4) 五十肩の原因及び治療等(甲1,2,25ないし33,乙3) ア いわゆる五十肩は,肩関節の疼痛と可動域制限を2大症状とする肩関節周囲炎の中で,中年以降特に50歳代に好発し,明確な病態診断をつけることができない症患群をいい,病理解剖学的にも未だ十分に解明されていない疾患であって,その発症原因は不明とされている。 イ その症状としては,疼痛と可動域制限であり,疼痛は三角筋部から上腕・肘への放散痛を呈し,運動時のみならず,安静時,特に夜間就眠時痛が特徴的であり,可動域制限は病初期(疼痛性筋痙縮期)では関節包の癒着などが生じていない時期であり,除痛が得られれば可動域は速やかに改善する。しかし,関節包の癒着が生じてくると可動域制限は著明(筋性拘縮期)となり,凍結肩と呼ばれる。 その発症機転は,まったく誘因のないもの,動作の最中に初めて痛みを感じたもの,外傷など様々であるが,患者本人に強く印象に残るエピソードがないことが多い。何となく痛みを感じる程度で始まり,やがて激しい運動痛となり,最悪の場合は凍結肩に至る。 圧痛の好発部位は,筋を含めて肩周囲の解剖学的ランドマークのほとんどすべてで,周囲炎と呼ぶにふさわしく極めて広範囲である。 ウ 五十肩の治療は,原則は保存療法であり,安静・注射・内服薬などで疼痛を生じている組織の炎症の鎮静化,癒着している部分のできる限り穏やかな伸張による可動域の改善,そして機能的に低下している腱板と肩甲胸郭関節の機能を上げることで,肩関節は正常な動きを取り戻すことができることになる。 保存療法は,リハビリテーションが主体であり,疼痛が強い場合には,局所の安静を図り,内服薬としては消炎鎮痛剤,筋弛緩剤を投与する。注射療法も有効であり,局所麻酔剤とステロイド剤の混合液あるいはヒアルロン酸ナトリウムの製剤を上腕二頭筋長頭腱腱鞘や肩関節腔内または肩峰下滑液包内に注入する。これらの薬物療法及び安静位の保持によって疼痛の軽減が得られると,患者は肩周囲のリラクゼーションが得られ,運動療法をスムーズに行うことができるようになる。急性期は安静が必要で,消炎鎮痛を第一に考えるものとされている。 なお,五十肩の治療につき保存的療法を主体とするが,発症よりも6か月未満の急性期と,関節拘縮を主体とする慢性期とでは,治療の方法が異なり,急性期では,症状は疼痛が主体であり,不用意な肩関節の運動によって筋のスパスムスが起こり,激痛が上肢・項部に放散することが多いために,次第に上肢の運動をしなくなり内転筋の拘縮を起こすため,この時期での最良の方法は,可能であれば入院,絶対安静の上,鎮痛剤の投与,温罨法及び背臥位での痛みのない範囲での自動運動であるとする見解もある。 保存療法で効果の見られない症例に対しては,全身麻酔下でのマニプレーションや瘢痕化している組織(烏口上腕靭帯や関節包)の切除を行う。 リハビリテーションで最も大切なことは疼痛を生じさせないことで,疼痛を伴う無理な可動域改善,特に挙上訓練はむしろ病態を進行させる危険がある。そして,運動連鎖及び荷重連鎖のなかで,肩の障害と他の部位の障害との連鎖を良好な状態に再構築することがポイントとなる。 エ 予後としては,五十肩は機械的刺激による軟部組織の炎症性疾患であるから,炎症を起こした組織が癒着変性すると治癒することは難しくなる。 大体6ないし36か月の間に70%以上が自然に治癒し,強い関節拘縮を残すものは僅かであるとされる。 2 被控訴人の責任原因(過失)の有無 (1) 上記認定の事実関係及び掲記の証拠によれば,控訴人は,①平成11年夏ころから右肩の疼痛などの症状が現れたが,これは五十肩によるものであったこと,②丙山整形における受診治療によっても(多少の改善はあったものの)症状が完治しないため友人の紹介により被控訴人の整骨院を受診したことが認められ,控訴人の被控訴人の整骨院への受診の目的が従前からの右肩の症状の治療を受けることにあったことは明らかである。そして,控訴人は,丙山整形に受診していたこと及び同院で五十肩の診断を受けたことを被控訴人に告げており,被控訴人としても,初診の時点で,控訴人の右肩の症状の原因が五十肩にあることは認識していたものである(この点は,被控訴人も認めるところである。乙4)。 (2) 被控訴人は,被控訴人の整骨院における施療の対象は寝返りを打ったことによる頸椎・右肩関節・右肘関節捻挫であると主張し,控訴人にかかる施術録にもその旨の記載がある(上記1の(2)のイ)が,控訴人が受診の際に被控訴人に対し,「寝返りを打っても痛い」旨述べた事実は認められるとしても,控訴人自身が寝返りを打ったことにより従前の右肩の症状(五十肩に由来する疼痛)以外に寝返りにより新たに受傷した旨を積極的に申告し,あるいは,被控訴人がこれを確認したことを認めるに足りる証拠はない。 むしろ,柔道整復師は,法により,明らかな外傷機転による疾患以外について施術等の医療類似行為を行うことは禁じられており(五十肩は発生原因が未だ不明であり,少なくとも外傷機転による症状といえないことは明らかであるから,これを対象とする施療は柔道整復師の権限外である。),直接五十肩の症状に対して施療をすることはできないことから,前日に寝返りを打って痛みがあったという控訴人からの聞き取りを,自己において施療可能な外傷機転による疾患としてとらえることとし,施術録にそれに沿った記載をしたものと解するのが合理的である。 たとえ,現実に初診の前夜控訴人が寝返りを打ち,その結果,従前からの症状(右肩の疼痛など)が悪化した事実が認められるとしても,そもそもの症状の根本原因は五十肩であり,被控訴人もそのことを認識していた以上,同じ右肩ないしその周辺の部位について,五十肩と切り離した形で頸椎捻挫等を診断し,これらの対象部位に対し五十肩とは無関係な治療ないし施術行為を行うことなどは,柔道整復師としての合理的な判断であったとは考えにくいところである。 (3) 五十肩の治療方法については,必ずしも医学的に確定しているとはいいがたいところはあるものの,急性期(概ね発症から6か月程度以内)においては安静,投薬等により組織の炎症の沈静化等を図り,慢性期においては運動療法等により可動域改善等を図るベきことについては医学上概ねの共通認識であると認められる。 そして,控訴人が右肩の症状を発症したのは平成11年夏ころであって,丙山整形への初診時において既に半年程度経過していたこと,丙山整形における検査においても炎症所見はなかったことなどに照らせば,被控訴人の整骨院への受診時においては,既に控訴人の五十肩の症状は慢性期にあったことが優に認められる。 (4) したがって,この時期における控訴人の五十肩に対する治療方法は運動療法を主体とすべきものであり,被控訴人が控訴人に指示した安静や三角布での固定は慢性期の五十肩の治療としては不適切なものであった(かえって五十肩の回復を遅らせ悪化させるおそれがあった)ことが認められる。 もっとも,本来柔道整復師は,五十肩に対する施術の権限を有するものでもなく,また,(整形外科)医師でない被控訴人に,控訴人の五十肩を正しく診断し,これに対して医学的知見に基づいた治療を行うべき業務上の義務があったということはできない。 しかしながら,①被控訴人は当初から控訴人の右肩の症状が元々五十肩に由来するものであることを知っていたこと,②初診時以来の被控訴人の指示や処置にもかかわらず,控訴人の肩の症状が改善せず,むしろ悪化の方向をたどったこと等を前提とすれば,遅くとも施療開始から相当期間を経過した8月中旬ないし9月初旬ころ(このころまでに,控訴人は被控訴人に対し,物が持てないなどの症状が出ていることを申告している。)においては,柔道整復師である被控訴人としては,控訴人の症状は五十肩の悪化によるものであって,もはや自らの施術の権限外であることを十分認識しないしは認識し得たものと認められるから,控訴人に対し,しかるべき整形外科医師の診療を受けるよう転医を働きかける契約上の義務があったというべきである(この時点では,被控訴人としても,既に控訴人が丙山整形での受診治療を受けていないことは当然知っていたものと認められるから,丙山整形での受診中止が控訴人自身の意思によるものであったか否かは,上記転送義務の成否に影響しない。)。 (5) しかるに,被控訴人は,このような転医助言の義務を尽くさず,その後も従前の施療行為を継続し,10月2日には更に三角布による固定の指示をしているものであるから,被控訴人には柔道整復師(資格要件が定められた国家試験による免許制であって,相当高度の専門的知識及び技能が要求されており,施療を受ける側からもそのように期待されている)として求められる義務の懈怠(責任原因としての過失)があったものと認められる。この認定を覆すに足りる証拠はない。 3 控訴人の損害及び被控訴人の過失との因果関係 (1) 上記2認定のとおり,被控訴人には遅くとも9月初旬ころには転送義務の違反があることが認められ,仮にこの時期に被控訴人が控訴人に対して適切に専門医への転医を働きかけ,これに基づいて控訴人が専門医を受診していれば(被控訴人のもとでの施療経過等に照らせば,控訴人は,被控訴人の勧めに従ったとみるのが自然である),控訴人の右肩の症状は現実にたどったよりも軽度で済んだであろうことは十分推測しうるところである(甲1,2,29ないし33,乙3)から,被控訴人は,上記義務違反に基づく債務不履行責任としての損害賠償義務を免れないところである。 (2) 控訴人の損害 控訴人は,被控訴人の過失と控訴人が最終的に凍結肩となり,入院手術を受け,更にリハビリ治療などを受けざるを得なくなったこととの間に因果関係があることを前提として,上記第2の2摘示の損害を主張している。 しかしながら,控訴人の五十肩は既に平成11年夏ころから発症しており,専門医である丙山整形における半年近い継続治療においても目立った改善はなかったこと,そもそも五十肩は医学的にもその発症原因が不明であり,どのような機序によって症状が悪化し,または改善するのかについて明らかにされているとは言い難いこと,控訴人は被控訴人の助言にもかかわらず就労を続けていること,控訴人が現実に山口労災病院に受診したのは10月23日であり,被控訴人が上記転送義務を尽くし,その結果,控訴人が9月上旬ころまでに転医したとしても,転医が実際より2か月程度早まっただけであること(その間の三角布による固定指示が控訴人の症状を悪化させた可能性は当然認められるとしても)などに照らすと,被控訴人の上記過失と控訴人の五十肩が凍結肩となり,手術のやむなきに至ったことなど控訴人主張の結果とに法律上の因果関係があることは未だ証明不十分であるといわざるを得ない。他に上記因果関係を認定するに足りる証拠はない。 もっとも,控訴人は,被控訴人の診療契約上の義務違反により適切な治療を受ける機会を奪われ,その結果,(その程度は不明といわざるを得ないものの)五十肩の悪化ないし回復の遅れという損害を被ったことは認められるところであるから,控訴人は被控訴人に対し,これを理由とする慰謝料請求権を有するものというべきである。 そして,本件の経緯,特に控訴人のその後の症状及び治療経過等一切の事情を考慮すれば,本件における控訴人の精神的苦痛を慰謝するに足りる慰謝料額は100万円をもって相当と認める。 また,本件と相当因果関係を有する弁護士費用は,10万円が相当である。 4 以上によれば,控訴人の本訴請求は,上記3認定の損害額合計110万円(及びこれに対する遅延損害金)の限度で理由があるから,これと異なる原判決をその限度で一部変更することとして,主文のとおり判決する。 (裁判長裁判官・廣田 聰,裁判官・中山節子,裁判官・曳野久男) 以上:7,139文字
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