令和 5年10月 2日(月):初稿 |
○「”70歳からが本物の成長期”紹介-人付き合いが億劫になっていない?」の続きで、第7章「死ぬのが怖くならない方法はありませんか?」の備忘録です。 ・「死」とは眠ったまま起きてこない状態、もがき苦しんで死ぬ人はほとんどいない、死の間際は意識はない ※もがき苦しんで死ぬのは事故等の場合のみか? ・ほとんどは意識がなくなって死ぬので、美しい死に方や理想の死に方など考えて意味が無い ※私が、人の死に立ち会ったのは「アルツハイマー病になった父-旅立ちの日の思い出」記載の父の死のみですが、「旅立ちの瞬間、私を見つめて微笑みながら逝ってくれたとの確信」は、私の思い込みだったのかも知れません。しかし、そう思い込んでいきます。 ・眠っているうちに旅立てるから、痛くもかゆくもない ・老人介護施設では、夜眠っているうちに心臓が止まってしまう人が多い ※94歳で亡くなった私の母も、施設で早朝見回りの職員に亡くなっていることを発見されました ・死の直前本人の意識は混濁していることが多く、死の直前に話しができることはない ・がんでの死も自然な生理現象なのでそんなに苦しくはない ・日本の医者は基準数値にこだわり、基準数値内に押し込めようとするが、数値にこだわる必要はない ・人間は意外にしぶとくたくましい-ゴミ屋敷生活・検査数値がひどくても本人はけろっとしている ・認知症で徘徊するようになっても家に帰れなくなったり、交通事故に遭う人は稀なケース ・交通事故に遭う高齢者は自分の能力を過信している人が多い ・在宅看取りは良いが、在宅介護は避け施設に入所させた方が良い ・孤独死はだいたい「ピンピンコロリ」 ※発見が遅れると周囲には悲惨なほど迷惑をかけるので避けるべきと思います ・エンディングノートを書くヒマがあったら、今やりたいことを書いた方が良い ・どのような死がやってくるか誰も分からないことを考えても仕方が無い ※延命治療の拒否等の意思表示は文書に明確に残しておいた方が良いと思っています。 「終活についての結論」 *「死」は意外と怖くないもの。私たちの不安のほとんどが、現実には起こらないから安心していい。 *糖尿病、心不全、人工透析……。病気になったらなったで、以前と変わらず暮らせる。 *認知致傷になって徘徊しても、ひとはそうそう死なない生き物。家にだった無事に帰れるし、実は交通事故にも遭わない。 *「死」への先入観は間違いだらけ。理想の死なんて幻想に過ぎないし、孤独死も「究極のピンピンコロリ」だから捨てたものではない。 *終活して「死後」を感が得る時間があるなら、その時間を使って「生前」を充実させるべし。 以上:1,081文字
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