平成26年 3月 9日(日):初稿 |
○平成26年3月7日、佐村河内守氏が記者会見して、聴力検査の結果を記載した診断書を記者に見せていましたが、聴力損失レベルは、両耳とも40dB台だったように記憶しています。聴力は、損失レベルで表示し、聴力損失のない普通の人のレベルをゼロとして、聴力が全くなくなった全聾状態を100dBと表します。佐村河内氏の難聴レベルは、軽度難聴のレベルでした。左図は私の平成21年4月時点の聴力検査結果です。平均聴力レベル4分法で右耳75.0dB、左耳72.5dBです。このときは調子が良い方で、この10年右耳が75~79dB、左耳が71~75dBを行ったり来たりしています。 聴力損失度についての分類基準は、幾通りかありますが、私の経験では、以下の「日常生活上での難聴の程度分類」が一番シックリきて判りやすく感じます。 「日常生活上での難聴の程度分類」 ●軽度難聴 30~40dB 普通の会話には不自由しない、ささやき声や小さな話声が聞き取りにくい。 40~50dB 会議の場ではききとりが少し困難となる、一対一の会話には不自由しない、聞き違えが多くなる。 ●中等度難聴 50~70dB 会議の場での聞き取りが困難になる。1mくらい離れた大きな声はわかる。 ●高度難聴 70~80dB 40cm以上離れると会話語がわからない。 80~90dB 耳介に接しなければ会話語が理解できない。 ●ろう 社会的ろう 90~100dB 耳介に接しなければ大きな声を理解し得ない。 ●全ろう 100dB~ まったくわからない ○私の難聴経歴は、3,4歳で右耳慢性中耳炎を患ったことから始まりますが、小学校に入ると左耳が、当時中耳カタルと言われた滲出性中耳炎も患い、両耳の聞こえが徐々に悪くなってきました。そのため小学校高学年から席は前の方にして貰い、高校時代は常に一番前の席でした。しかし、補聴器を使うことなく通常の会話はできました。30代半ば以前頃までは、聴力損失50dB以下の軽度難聴に止まり、何とか、補聴器なしで仕事をしていましたが、30代半ば頃になると聴力損失50dBを超え、中度難聴の領域に入り、裁判官の声が聞き取りづらくなりました。 ○25歳時直前に東北労災病院で当時耳鼻科部長だった湯浅涼先生に右耳中耳鼓室形成手術をして頂き、その後、年に1,2回はアフターケアの診察を受け、診察の度に聴力検査を受けていました。聴力損失50dB以上の中度難聴の域に入り、仕事にも支障が出てきたので36歳のとき右耳に僅かでも聴力回復の可能性があるとのことで、湯浅先生の中耳骨修復手術を受けました。私の場合、伝音難聴と感音難聴の混合難聴で気導聴力(鼓膜を通した聴力)と骨導聴力(内耳の聴神経の聴力)に差があったからです。 ○この36歳時の手術で一時右耳聴力が10dB程アップしましたが、2,3年で元に戻り、徐々に聴力低下が進行し、30代後半に初めて補聴器を使用しました。以来、補聴器が必需品になりましたが、聴力低下は徐々に進行し、40代に入ると聴力損失60dBを超え、50歳近くなった40代後半で、とうとう、聴力損失70dBを超えました。高度難聴のレベルです。そこで、51歳の時、身体障害申請をして第6級が認定されました。 ○高度難聴レベルに達した後は、不思議に聴力低下が止まり、ここ10年程、聴力損失は右耳70dB後半、左耳70dB前半のレベルで止まっています。聴力損失80dBを超えると、耳元の大きな声しか理解出来なくなりますが、聴力損失70~80dBでは、40㎝以上離れると会話語が判らないレベルとされています。ですから私の場合も、補聴器がないと普通の声での会話は聞き取ることができません。しかし、この10年このレベルに止まり、補聴器を使えば仕事もできる状況に感謝しています。 以上:1,551文字
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