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喘息退治のための減感作療法との出会い

平成18年12月25日(月):初稿
○昭和45年3月、郷里気仙沼から文理予備校に通うため仙台に引っ越しましたが、風邪をきっかけに初めて喘息に襲われ、特に夜になると喘息発作のため睡眠が殆ど取れず、昼、予備校で、身体を机にかがめて腕を枕にして眠ると言う状況が4月いっぱい続き、不安の予備校生活をスタートしました。

○5月の青葉の季節にはようやく喘息も治まりましたが、その後も、風邪をひく度に、喉に痰がこびりつき、喘息に悩まされ、風邪が私の大敵となり、兎に角、風邪をひかないように注意しながら生活をするようになりました。

○5月以降仙台市南光台に下宿しての予備校生活にも慣れ、予備校の授業が大変新鮮で面白いと感じる余裕が出て来ました。特に当時苦手だった数学が、予備校の名物講師の一人の東北学院大学工学部A先生の授業を聞いて、数学ってこんなに面白いものかと感嘆させられたことを今でも良く覚えています。又宮城教育大学B先生の英語の授業も爆笑又爆笑の中で、ポイントをシッカリと教えて頂き、教えるプロの技術に感心しました。

○文理予備校のお陰で一浪後の昭和46年3月、ようやく念願の東北大学法学部に入学できましたが、大学入学後も、風邪をひいては喘息を発症し、喉に痰が溜まり、ピーピーと喉を鳴らす状況が続いて居ました。1年生も終了する昭和47年3月、風邪をひき喘息が始まり、なかなか治らず、たまたま当時の住まい近くにあった仙台市長町のあべ長内科を受診しました。

○喉をピーピー鳴らしながら、初めて阿部長造先生の診察を受けると、「君は良いところへ来た。私は、大学で喘息を専門に学んだ喘息の専門医だ。君が大学時代の内に喘息をシッカリと治してやる。」と有り難いお言葉を受けました。

○そして喘息の原因と予想される物質を皮膚内に注射されてアレルゲン調査をして頂き、その結果、私の喘息のアレルゲンは、ハウスダストと判明しました。私の場合、アレルギー体質で特にハウスダストに過敏反応を起こしそれが喘息として発症するので、このハウスダストに鈍感な体質に変更することが必要とのことでした。

○そして体質改善のため、アレルゲンであるハウスダストを定期的に身体に注入する減感作療法を施して頂くことになり、以降、大学終了まで3年間毎週1回定期的に阿部長内科に通い続けました。当初は僅かのハウスダストの注入で皮膚が真っ赤になりましたが、徐々に反応が少なくなり、ハウスダスト注入量も少しずつ増えていきました。

○その療法の結果、大学3年時以降は喘息発作が全くと言っていいほど出なくなり、大学4年次終了の昭和50年春、司法試験受験勉強を続けるため大学に籍をおいたまま郷里気仙沼に戻ることになり、気仙沼の病院で減感作療法を継続しようと思いましたが、気仙沼ではこれをやっている病院がなく、大きな不安を抱きました。
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