平成16年 6月 1日(火):初稿 |
私は昭和26年8月5日午前3時20分に宮城県気仙沼市内のある産婦人科病院で生まれましたが、生まれ落ちたときから、8ヶ月の未熟児で多病を宿命づけられていました。 当時8ヶ月子は助からないと言われていたところ、出生時体重が500匁(もんめ、一貫3.75㎏の半分の1.875㎏)しかなく、且つ仮死状態で生まれ、元気な鳴き声もなく、これは助からないと棺桶の用意まで指示されましたが、産科医が私の足を持ってブラブラしたら、大きなくしゃみをしたので何とかなるかも知れないと懸命に蘇生を試み、かろうじて危機を脱したと母から言われてきました。 生来アレルギー性虚弱体質で、しょっちゅう病気をし、3歳で慢性中耳炎のため一部鼓膜を失い、高校生までは、両耳中耳炎のため耳鼻科通いが年中行事でした。 更に18歳で予備校入学のため仙台に移った途端喘息を発症し、大学時代は長町あべ長内科で毎週1回喘息退治の減感作療法を継続しました。 司法試験受験時代の23歳で、中耳炎が再発・悪化し、25歳直前に鼓室再生手術で炎症は起こらなくなったものの聴力が徐々に低下し、30代後半聴力改善手術を受けるも、40代からは補聴器がないと会話が出来なくなり、50歳の時、難聴で身体障害6級に認定されました。 その他大学時代から過敏性大腸炎で整腸剤を離せなくなり、つい最近まで内科医から定期的に整腸剤を貰っていました。 腰痛は、5,6年前にテニス中に足を伸ばしたまま腰を屈めてボールを拾おうとしたとき、ぎっくり腰となり、おそらく、それ以来、鈍痛が消えなくなり、腹筋を鍛えよとのアドバイスで腹筋運動に励むも腰の鈍痛は変わらず、昨年11月、京大大島清名誉教授の「快老学」で真向法を知り、加茂先生のビデオを購入して独学で継続してきましたが、腰痛は改善されませんでした。 それでも始めた当初は、第2体操で指先が足のつま先に10㎝も離れている程身体が硬く、第3体操の股割りも、殆ど上体を曲げることが出来なかったものが、徐々に柔らかくなり、真向法が楽しくなってきました。 この4月には苦手の第3体操で肘もつくようになり、今年中に胸をつけると張り切り、効果を誇示するため、テニスの時、無理して曲げて見せたため腰の筋肉を痛めたものと思われます。 人間、50過ぎたら決して無理をしてはいけないと一時一緒にフィットネストレーニングをした同世代の友人医師に繰り返し忠告されていたのを忘れてしまいました。 安部先生の「薬をやめれば病気が治る」等の著書も斜め読みしましたが、人間の自然治癒力という考えには大変共感しており、大久保先生の話も聞いて、最近極力整腸剤使用を控えるようにしていますが、却って調子がよい感じです。 子供がまだ小学5年生と幼いため後15年は弁護士稼業を頑張らなければならず、生来の虚弱体質をカバーするため健康問題には気を遣っていく必要があります。 かような次第で、これからも先生のご指導を受けたく、今後とも宜しくお願い申し上げます。 以上:1,226文字
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