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2016年05月01日発行第172号”親鸞のマーケティング”

平成28年 5月 1日(日):初稿
横浜パートナー法律事務所代表弁護士大山滋郎(おおやまじろう)先生が毎月2回発行しているニュースレター出来たてほやほやの平成28年5月1日発行第172号「親鸞のマーケティング」をお届けします。

○親鸞聖人の「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや。」とのお言葉を浄土真宗を広めるための「マーケティング用」キャッチコピーだ明言する大山先生の分析には脱帽です。何らかの絶対者の存在は信じていますが、特定の宗教には全く興味のない私でも親鸞聖人の「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや。」とのお言葉は知っていますが、その師匠の法然上人のお言葉は全く知りません。そんな私でも、親鸞聖人のお言葉だけは知っていると言うことは、それだけ「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや。」が、キャッチコピーとしては卓越したものなのでしょう。

○「広告宣伝や、マーケティングに力を入れている弁護士を、一段低く見るような風潮」が一部の弁護士にあることは事実です。ここ1、2年「広告宣伝や、マーケティングに力を入れている弁護士」の割合は急速に増えていますが、弁護士全体から見るとまだまだごく一部です。私自身、「広告宣伝や、マーケティングに力を入れている弁護士」ではないと自覚しています。

○最近の事件数減少から「広告宣伝や、マーケティングに力」を入れなければならないと痛感しているのですが、なかなか実行が伴いません。3ヶ月に1回開催予定のセミナーの外には、このHPの毎日更新くらいしかやっていません。これではダメだ、「広告宣伝や、マーケティング」用HPも作成すべきとの思いはあってもなかなか実現できないのは、決して、「広告宣伝や、マーケティングに力を入れている弁護士を、一段低く見」ているからではありません。

○船井総研「法律事務所経営研究会」仙台会場に集まる弁護士各位を見るとホントに「広告宣伝や、マーケティングに力」を入れて居る方が多く、焦る一方となるのですが、それでも私自身はダラダラしている理由は、「面倒だ」の一言で、単なる「ものぐさ」に過ぎません(^^;)。少しは、大山先生を見習って「マーケティング」に努めなければなりません。

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横浜弁護士会所属 大山滋郎弁護士作

親鸞のマーケティング


宗教って、本当に凄いなと、以前から感心していたのです。新興宗教なんて、世間的には怪しく思われますよね。そんな怪しげな「信仰」を、多くの人に売り込んでいくわけです。なんでこんなのに、信者達はお金出すんだよ!と呆れかえる一方、謙虚に学ばないといけないなとも思ったのです。今から9年前に、顧客が一人もいない中で独立開業したときに、「キリストも親鸞聖人も、始めたときは信者なんか一人もいなかったんだから、自分も頑張らねば!」と思ったものです。

親鸞といえば、ただひたすら「南無阿弥陀仏」と唱えればよいと教えた、大宗教家・大思想家です。私も、「親鸞は日本の思想界で5本の指に入るスゴイ人だ!」と信じています。特権階級御用達の仏教を、文字も読めない人たちに広めた偉人です。

そんな親鸞の、一番有名な言葉がこれです。「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや。」善人でも極楽に行けるのだから、まして悪人なら極楽往生間違いなしという意味です。有名でもある一方、議論を巻き起こした言葉です。「悪人の方が往生できるなんておかしいだろう。」「それなら、もっともっと悪いことした方が得だよな!」なんて、沢山の人に言われてきたのです。それに対して、多くの学者や宗教家が、この言葉の「真実」の「深い」意味を解説しています。私もそれら解説をかなり読みましたが、正直言いまして、一つとして納得できるものはありませんでした。私の意見では、これは「宣伝用」「マーケティング用」の言葉なんです。だから、逆説的で、キャッチーです。「何だこれは?」と、思わず目を引かれます。

マーケティングでは、「あなたのお客さんは、どういう人ですか?」「そういう人たちに売れる商品は何ですか?」を考えるのが基本だそうです。親鸞聖人の言葉は、「自分は悪人だから、救われる価値なんかない。」と、真剣に悩んでいる人達にあてたメッセージです。自信たっぷりに、「私は絶対の善人だから、極楽行きは確実です!」なんて思っている人は、親鸞の「お客さん」になるわけないです。自分を悪人だと思っている人に、「大丈夫!」「あなた達こそ極楽に行けるよ。」という「商品」を販売したのが、親鸞の言葉だと信じています。

この言葉に、変に深い意味を持たせようというのは、例えば建築業者の「家は買わないでください。」というキャッチーな宣伝文句に、哲学的意味を持たせるくらい滑稽なことに思えます。「あの言葉は親鸞のキャッチコピーだ。」と誰も言いだせなかったのは、宗教家をはじめ多くの人の心に、広告やマーケティングで何かを売り込むのは、恥ずかしいことだという気持ちがあるからだと思うのです。「親鸞聖人がそんな卑しいことをされるはずがない!」というわけです。

でもそれっておかしいでしょう。自分の「思想」や「商品」を、本当良いものだと信じているなら、それを多くの人に使って貰うために、できる限りのことをするのは、当たり前のことだと思います。弁護士の世界でも、まったく同じようなことがあります。広告宣伝や、マーケティングに力を入れている弁護士を、一段低く見るような風潮です。「自分は良心的な弁護士だから、顧客が来なくとも宣伝などできない!」と、公言している弁護士先生は相当数いるのです。

しかし私は、自分が弁護士として提供するサービスを、本当に良いものだと確信しています。自分のサービスを多くのお客様に知って貰うために、できる限りのことをしたいのです!「親鸞、なおもてマーケティングする。いわんや弁護士をや。」

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◇ 弁護士より一言

4月から高校生になった長女が、小学5年生の息子の算数を見てくれています。ところが、娘の方も分からなくなって、「パパ、教えてあげてよ。」なんて言ってきました。「しょうがないな。小学生の算数が分からないのかよ。」なんて言いながら、やってみたんですが、ちっともわからない。だ、誰だよ?こんな難しい問題を小学生に出す奴は!
「今度、塾の先生に聞いたら、パパにも教えてあげるね。」と、息子に言われました。ううう。。。
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