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合格前年に恩師を紹介してくれた先輩弁護士への報告書発見

平成28年 2月10日(水):初稿
○久しぶりに司法試験受験日記の話題です。
 繰り返し記載していますが、私は、東北大学3年次から本格的に司法試験受験勉強を始めたつもりでした。しかし、中耳炎の悪化により、大学4年の昭和50年3月、大学に籍を置いたまま仙台から地元気仙沼に帰り、実家から気仙沼市立図書館に通って1人で受験勉強を継続していました。

○1人での受験勉強に不安を感じ、気仙沼に帰った昭和50年8月、当時、福島で弁護士1年生となっていた気仙沼市大島出身の小野寺信一先生が、夏休みで気仙沼に帰省するとの情報を得て、面会を申し出ました。するとご快諾され、その年のお盆の時期に気仙沼市内の喫茶店で面会して、気仙沼で1人勉強の事情を説明し、それまでの勉強サブノート等を持参して、勉強法法等について質問しました。

○そのとき、小野寺信一先生が、私が持参したサブノートをじっと見ながら話した言葉に衝撃を受けました。「小松君、一生懸命勉強していることは判るが、このような勉強方法では、いつまでたっても受からないよ。」と言う言葉でした。小野寺先生は、その後、「私は,そんな言い方をするはずがない。」と盛んに仰いますが、聞いた方の私は、「いつまでたっても受からないよ。」との言葉の衝撃の大きさに、耳にこびりついて離れません(^^;)。

○小野寺先生は、さらに「今年(昭和50年)10月、Uさんという人が必ず受かる。Uさんを小松君に紹介するから、Uさんの指導を受けなさい。」とも言ってくれました。そこで私は、是非お願いしますと答え、実際、Uさんは、昭和50年10月に合格し、11月から私の通信で論文添削指導をしてくれることになりました。Uさん曰く、「自分は小野寺君の指導で受かることができた。この恩を小松君に返します。」とのことで、それまで全く縁もゆかりもない私を、全く無償で、結局、2年間に渡って50通の論文問題を提出して添削指導して頂きました。

○私の合格は、Uさんのご指導抜きにはあり得ませんでした。この意味でUさんをご紹介頂いた小野寺信一先生も私の大恩人です。昭和51年も短答式不合格となり、当時、関東地方に住んでいたUさんから、小松君を直接指導したいので、福島の小野寺先生のご自宅に来るよう指示され、昭和51年5月下旬、福島の小野寺先生ご自宅に一泊して、Uさんから司法試験勉強法法等について直接ご指導頂きました。その直後に、私が小野寺信一先生に送った40年前の手紙を、小野寺先生が倉庫整理をしていて見つけたとのことで、懐かしい手紙として、他の数通の手紙と一緒にPDFファイルにして送付頂きました。

○40年前を思い出し、思わず涙が出てきましたが、ホントに有り難いことで、小野寺信一先生には、あらためて感謝の念を持ちました。以下、私の貴重な人生データベースの一つとして掲載します。

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前略

 先日は、いろいろお世話様でした。貴重なお話を伺わせていただき、又Uさんの気さくなお人柄に、じかにふれることができ、本当に有益な体験でした。

 択一発表後、3週間程経過し、いくらか身辺も落ち着いてきました。
 択一発表の翌日、耳の精密検査のため、仙台の大学病院にでかけ、その後、2週間程、仙台気仙沼を行ったり来たりの生活が続き、ほとんど勉強も手につきませんでした。

 診察の結果、現在も中耳の炎症が続いていてこれを止めるには、手術以外方法がなく、又耳鳴りは、神経に障害があり、どうすることもできないとのこと、従って手術によっても、耳鳴りを止めることができず、場合によっては、手術によって却って耳鳴りが大きくなり、さらに聴力も低下する虞もあることが判明しました。

 しかしこの状態を続けておくと、容易にのうが多量にでる状態が再発し、さらに聴力が低下して行く可能性もあるとのことなので、思い切って手術をすることにしました。

 耳がこんな状態では、あまり無理もできないので、裁判所事務官の試験を受けて、もし合格したら就職しようかとも考えました。しかし、もし受験する場合は、手術は、10月以降になり、2か月程の入院を要するので、来年の司試に大幅な遅れをとることになります。事務官の試験にも落ちた場合は、かなり苦しい状態に追い込まれます。

 そこで、家族と相談の結果、今年は、試験よりも身体をなおすことが先決である、まず手術をしようということに決定しました。できるだけ早く手術したいのですが、患者が多く、ベッドがないので、7月まで待たされることになりました。

 Uさんには、すでに、来年の試験に向けてスタートが切られている、ここで気を抜いては、いかんと、再三注意されてます。しかし正直のところ、あまりのらない状態が続いてます。

 4年、5年、6年と3年連続して択一で振られるとさすが、択一恐怖症も昂進します。いかに択一攻略を進めるかあれこれ思案しています。

 不合格の原因を反省してみると、落ちるべくして落ちたのではないかという結論に達しました。最大の原因は気のゆるみでした。11月にUさんの通信指導を受けるまでは、全くダレた状態が長く続きました。意志薄弱な者は、やはり、地方で一人勉強するのは、困難でした。

 とにかく落ちるには、原因があるのですから、徹底的反省して今後の方針をたてるつもりです。ただ、耳の手術の結果が分からないことには、どうにも動きがとれません。今はただ自宅で勉強するしか方法がありません。

 大変なお世話になった、小野寺さんやUさんへの恩返しは、合格以外にないと思っています。とにかく頑張ります。今後とも宜しく御願い致します。

 では近況報告まで。 

昭和51年6月
                      敬具
以上:2,353文字

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