平成27年12月24日(木):初稿 |
○本日はクリスマスイブですが、20日前の12月4日、午前9時、お客様と打ち合わせ中に、気仙沼の実家の義兄から事務所に電話頂きたいとの電話が入りました。打ち合わせが一段落した午前10時頃、気仙沼の実家に電話すると義兄が出て、「かあちゃんが、今朝の6時頃、亡くなった。」とのことで、私としては全く想定外の言葉に仰天しました。携帯電話を見ると朝の6時過ぎから着信が何回か入っていましたが、事務所に置きっぱなしのため気づきませんでした。 ○母は、気仙沼の実家で長女夫婦と暮らしていましたが、80代後半に入ると認知症等老化が進み、東日本大震災のあった平成23年2月、88歳の時から介護施設に入っていました。気仙沼に帰る度に介護施設に母を見舞っていましたが、3年程前から私の顔も判らなくなっていました。しかし、平成27年5月に気仙沼に帰ったときに見舞ったときは、私の顔は判らなくても元気そうで、まだまだ大丈夫だと思っていました。平成27年11月東京の次姉が見舞ったときの写真をメールで送って貰いましたが、そこに写る母の顔は、目つきがシッカリしており、あと数年は大丈夫と思っていました。 ○それが平成27年12月4日亡くなったとの報告に仰天しましたが、94歳という高齢であり、臨終に立ち会えなかったのは残念でしたが、苦しむことなく亡くなったとのことで天寿を全うしたと思い直しました。当日夜家族で気仙沼に向かい、棺に納められた母の遺体と対面しましたが、立派に死に化粧がなされて凜とした顔をしていました。「次姉と比較されてけなされてきた思い出-強い劣等意識」に記載したとおり、母は、病弱で気弱に生まれついた私をとことん心配してくれ、精一杯の愛情を注いでくれました。 ○父と母の夫婦仲は余り良いものではありませんでしたが、夫婦間相互の愛情が少なかった分、夫婦そろって子供や孫達に大きな愛情を注いでくれて、私は両親の愛情をシッカリ感じて成長することができたことに感謝しています。父の喪中の挨拶も掲載します。 ******************************************** 喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます。 本年中は、大変お世話になりました。 本年12月4日、母なつ子が94才にて永眠しました。 私事で恐縮ですが、母は、私と違って、大変気の強い女性で、生まれつき病弱で気の弱かった末っ子の私を心から案じ続け、幼少時から私に対して、厳しく叱咤激励を続けてくれました。 少しは「なにくそ根性」が身につき、64歳の今日まで、何とか人並みの生活を送ることが出来ているのは、幼少時から受けた母の叱咤激励のお陰と感謝しています。 弁護士業界は、依然として厳しい状況が継続していますが、長年支えてくれるスタッフ・勤務弁護士等の尽力で何とかやっており、この12月から2人目の勤務弁護士も加入して、来年に向けての営業戦略をあれこれ思案しています。 母を見送り、母から受けた多くの愛情を自分の子供達に返していくことが私の務めであると、心を新たにして、精進していくつもりです。 来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。 平成27年12月 弁護士 小 松 亀 一 ******************************************** 喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます。 本年中は、大変お世話になりました。 本年11月6日、父亀治郎が87才にて永眠しました。 私事で恐縮ですが、今でも私の瞼にクッキリと焼き付いているのは私が25才、父64才の暮れ、鰹船乗組員としての長い漁から帰った父が、日焼けで真っ赤になった顔で、俺ももう1年頑張るからお前も頑張れと淡々と励ましてくれた姿です。 父を見送り、父から受けた多くの愛情を自分の子供達に返していくことが私の務めであると心を新たしているところです。 来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。 平成11年12月 弁護士 小 松 亀 一 以上:1,657文字
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