平成22年 7月 5日(月):初稿 |
○私が一度だけ受けた司法試験論文式試験は昭和52年6月22日(水)から同月25日(土)まで4日間かけて行われました。以下、後半2日間と試験終了後3日間の日記を紹介します。読み返してみて、当初、えー、こんなことあったっけと、記憶は完全に忘却の彼方のこともありましたが、なんとなく、思い出してきて、懐かしさがこみ上げてきました。人間の記憶のいい加減さと、日記の重要性を再認識しました。正に自己満足に過ぎませんが、よーし、まだまだ頑張ろうという気持になってくるから、不思議です。 ****************************************** 昭和52年6月24日(金) 6:30~7:30刑訴法軽く読み直す 7:30~8:40朝食 9:00~12:00市立図書館へ 2:00~4:00刑訴法 昨夜12:00頃寝たのに今朝は5時半には目が覚めた。やはり緊張しているのだろうか。 刑訴法ー1問は挙証責任。あまりに大きな問題で構成に苦労。何とか合格点はとれたのではないかと思うが、あまり差はつかないだろう。2問は未だに自信なし。訴因変更と一事不再理効の問題ととらえて記述してきたが、全く自信なし。もし俺がとらえた通りの問題とすれば、かなりよいセンをいったと思う。致命的失点にならねばよいが。 朝食:800円、昼食:650円さしみ定食、夕食:750円ヒレカツ定食。 昭和52年6月25日(土) 5:00~7:30心理学 10:00~12:00刑政 2:00~4:00心理学 刑事政策ー1問は起訴猶予。まずヤマがあたった。まず大丈夫であろう。2問は、精神障害者と犯罪。何とか書けたと思う。 心理学ーいよいよ最後の問題。しかし、ここでひどい問題が出た。ここ2~3年の傾向と同じ、教科書だけでは書けない問題である。とにかく、意味の通る文章を書くことのみこころがけた。論文式試験全日程終了。 朝食:800円、昼食:650円銀座定食。 昭和52年6月26日(日) 8:00頃(仙台で弁護士を開業されている気仙沼高校の先輩で弁護士の)Cさんより電話。11:50に仙台ホテルのロビーで待ち合わせることを約する。 9:50ホテルを出て(小学時代以来の親友)Dの寮へ。11:30で寮を出る。ところが、予想外に道路が渋滞。エンドーの前で立ち往生。仕方がないのでDに運転を任せ、歩いて仙台ホテルへむかった。幸いCさんは未到着。2分くらいしてから来た。ところが、Dが指定の場所にいつまでたってもあらわれない。事故でもおこしたのではないかと心配になり、駅前周辺をさがしたがなかなか見つからない。駅前周辺グルグル3回程(時間にして20分位)まわったところで指定の場所にDが来ているのを発見した。なんと気をもませることか。エンドー横の駐車場の前で車と車の間にはさまれ動きがとれなくなったとのこと。 その後Dも含めてCさん宅へ向かった。G君という赤ん坊が増え、Eちゃんも大きくなっていた。昼食をはさんで、面白く、かつ有益な話を伺う。俺も早く弁護士になりたいとつくづく思った。 Cさん宅をでた後、中山ニュータウン、桜ヶ丘団地、旭が丘、南光台等なつかしい地を回って(学生時代お世話になった親戚で)鶴ヶ谷のH氏宅へ。ところが特に南光台が随分変わっていて、ー番地が昔と全然違うー道を間違えて難儀した。真っ直ぐ鶴ヶ谷へ行けばよいのに、高松の方にでてグルリと遠回りの後、やっとH氏宅へ。 疲れて早く寝た。 昭和52年6月27日(月) 9:00H氏宅を出て労災病院へ。 12:00労災病院を出て気仙沼へ。 3:00中谷地スタンド到着。K君に結果報告。記念撮影。 3:30自宅に到着 (労災病院にて)I先生が診察。すこぶる良いという。第一関門を突破したことを報告。最後まで合格すれば耳鳴りも止まるという。そうかもしれん。 その後聴力検査。検査技師がかわっていた。大柄な、大変感じのよい娘さんであった。意外にも、左右ともに聴力がアップしていた。右はほとんど左と同じ位になっていた。 その後Y先生が診察。全く良いという。水泳も普通の人並みにできるという。 診療費:816円。食堂でカツ丼:380円。 昭和52年6月28日(火) 午前中:Uさんに手紙書き。 午後は頭が重く、勉強する気にならずギター弾き。大分腕が落ちていた。 4:00WT (WT)やはり疲れがとれていないためか、力がはいらず苦しかった。徐々に回復していこう。 CH=0kg*15*3,NP=25kg*10*3,UR=25kg*10*3,SS=25kg*10*3,SR=7.5kgW*10*3,BD=0kg*10*2,BR=40kg*10*1, DR=25kgW*10*1,S=50kg*10*1 以上:1,935文字
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