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佐村河内守氏対プロモーション会社間訴訟第一審判決紹介3

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平成30年 2月17日(土):初稿
○「佐村河内守氏対プロモーション会社間訴訟第一審判決紹介2」の続きで、裁判所の判断部分全文を4回に分けて紹介します。
先ず被告が作曲したとする交響曲第1番「HIROSHIMA」・ピアノ・ソナタ第1番及び同第2番(本件楽曲)と、被告の説明が虚偽であることを隠して多数回の実施を強く申し入れたことにより,原告が多数の全国公演を実施すること(本件公演)となったが,被告の虚偽説明等が公となり原告が本件公演を中止するに到った経緯等についての事実認定です。

○被告は、平成26年2月3日に「文春の記者からの転送メールは全て真実です。私は人間のクズです。どれだけ詫びても詫び切れません。償い切れないほどの裏切りをしてしまいました。本当に本当に申し訳ございません。多大なご迷惑をおかけしてしまいました。死ぬ覚悟は前から出来ています。大変な損失を与えてしまいました。如何なる形でも私を制裁ください!」とのメールを原告宛に送付しています。

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第3 当裁判所の判断
1 認定事実
 後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる(前提事実を含む。)。
(1)本件楽曲の作曲に至る経緯及び被告をめぐる諸状況

ア 被告は,平成8年に映画音楽制作のため紹介を受けたP2と知り合い,その後,P2に対し,楽曲の作曲を依頼するようになった。
 当初の映画音楽については,被告がオルゴール音を使ったメロディーをテープに録音してP2に渡し,P2がこれをベースに編曲するなどして作られた。
 被告は,平成10年にゲームソフト「バイオハザード」の音楽を担当し,その後,平成11年には同じくゲームソフト「鬼武者」の音楽を担当することとなり,P2に対し,20分ほどの交響曲の作曲を依頼した。P2は,被告が作成したファンファーレ部分やメロディーをアレンジし,P2自身の作曲したものも加え,同交響曲を完成した。
 平成13年9月頃,アメリカの「TIME」誌が,被告が聴覚障害を抱えながら,「鬼武者」を作曲したことを紹介する記事を載せた。(甲183・5頁,20から21頁)

イ 被告は,平成13年,P2に対し,本件交響曲の作曲を依頼し,平成15年9月,P2は,本件交響曲を完成させ,被告は,P2に対し,報酬として200万円を交付した。
 被告は,P2が作曲するに際し,P2に対して被告が作成した「交響曲第1番『現代典礼』(無調-ニ短調)」という曲名が記載された図表(乙6,以下「本件指示書」という。)を渡した。本件指示書には,グレゴリオ聖歌からバッハまでの宗教音楽の技法の全てを,作曲家独自の現代語法により同化統合させるなどとされ,楽章ごとの時間,合計74分の曲とすること,祈り・啓示・受難・混沌という4つの主題を設定しそれを各楽章でどのような順番で組み合わせるか,音量や時間配分などが図示され,各主題の協和,不協和の度合い,調性音楽部分と現代音楽部分の割合の指示もあった。(甲183・22から24頁,乙6)

ウ 被告は,平成19年10月,自らを著者とする自伝である「交響曲第一番」(以下「被告自伝」という。)を出版し,同書の帯には,被告が被爆二世として生まれた作曲家であること,突然すべての聴力を失った後に,心身の苦痛に耐えながら孤高の闘いを続けている旨が記載されていた。被告自伝には,被告が,「鬼武者」の音楽制作をしている頃に,全ろうとなったが,よく演奏していた名曲を記譜することにより,自身には絶対音感が備わっていることを確認して作曲活動を継続することとし,当時,耳鳴りや偏頭痛,さらに頭の中で轟音が鳴り響くような頭鳴症に耐えながら,記譜することにより作曲していた状況が記載されている。(甲173)

エ 平成20年に入ってから,全国紙や雑誌等が,聴力を失ってから作品を生み出した作曲家などとして,被告についての記事を掲載するようになった。同年9月にはTBSテレビが「NEWS23」において,被告を取り上げた「音をなくした作曲家 その闇と旋律」と題する特集を放映し,被告が頭鳴症に苦しめられながら,明るい光を見ると発作を起こすため,暗い室内で机に向かい,楽器に触れることなく頭の中だけで音符を組み上げていくという作曲方法が紹介された(甲183・6頁)。
 その後も,総合雑誌や全国紙(地方版)において被告を取り上げる報道がされ,平成21年8月にはテレビ新広島が,「いま,ヒロシマが聴こえる・・・~全聾作曲家・P1が紡ぐ闇からの音~」と題する番組を放映した(同7から8頁)。

オ 平成22年には東京芸術劇場で本件交響曲が演奏され,その後,日本コロンビアからCD販売の申出がされ,テレビ朝日の番組でも被告が取り上げられた。
 平成23年には,本件交響曲のCDが発売され,そのことが報道されるなどし,その後も音楽雑誌が被告を取り上げる記事を掲載するなどした。
 平成24年には,NHKやテレビ朝日の情報番組で相当時間を割いて被告が取り上げられ,NHKの番組では,被告が「TIME」誌において現代のベートーベンと讃えられているなどとして紹介され,被爆二世として生まれた後の生い立ちや,本件交響曲を作曲するまでの経緯等が詳しく紹介された。(甲183・9ないし11頁)

カ 被告は,平成24年,ピアノの作品集のCDを作りたいと考え,P2に対して作曲を依頼した。被告は,P2が録音していた10のモチーフから二つのモチーフを選び,その順序等を提案した。
 被告は,同年12月末頃,NHKのディレクターから被災者のための鎮魂曲(レクイエム)を作曲する過程を描く「NHKスペシャル」の提案を受け,P2に対し,同番組でピアニストが被災地で演奏するピアノ曲を作るよう依頼した。被告とP2は,話合いの上,上記の二つのモチーフを使うこととし,被告が,P2に対し,被災地のための鎮魂曲(レクイエム)とすること,イ短調でバロックの主題でソナタ形式にすること,二つのモチーフの順序,最後はピアノの最低音のイ音を鳴らすこと等を希望した。P2は,「ピアノのためのレクイエム・イ短調」を作曲し,平成25年2月18日,被告に譜面とともに,被告の要望により何も書き込まれていない五線紙を渡した。同年3月,宮城県石巻市の小学校の体育館で被災者を前に「ピアノのためのレクイエム・イ短調」が演奏された。
 その後,P2は,被告の,調性音楽で超絶技巧を織り交ぜて重厚荘厳壮麗なレクイエムを36分間の長さで作ること,上記ピアノ曲で用いた二つのモチーフを使用しながら,全体としては異なる印象の曲にしてほしいといった希望を受け,「ピアノ・ソナタ第2番」を作曲し,同年5月頃に被告に譜面を渡した。(甲183・25から26頁,乙9)

キ 平成25年3月31日,NHKは「NHKスペシャル 魂の旋律 音を失った作曲家」と題する番組を放映し,35歳で聴力を失い,絶対音感により,音を五線紙に記載することで作曲したことが紹介された。
 同年4月には本件交響曲のCD売上げは急上昇し,異例のヒットとなった。
 その後も多数のテレビ局で被告を取り上げた番組が放映され,その中では本件交響曲やピアノ・ソナタ第2番が演奏されるなどした。被告自伝は,同年6月に文庫化され,被告の半生や作曲過程を描いた書籍も同年10月に刊行された。さらに週刊誌や全国紙が被告や被告の楽曲についての報道をした。(甲183・11ないし13頁)

ク 被告は,複数のテレビ局の番組において,記譜する場面の撮影を依頼されたが,何も書いていない五線紙に向かう様子や完成した楽譜を前にした様子の撮影を除き,全て断った(甲183・36から37頁)。

(2)本件公演に至る経緯
ア 本件交響曲公演
 原告は,平成25年3月頃から,被告に対して本件交響曲の全国ツアーを提案してその了承を求めていたところ,被告は,コンサート会場,出演オーケストラや指揮者等について希望を述べ,原告がこれに対応して,被告が強く希望する指揮者が本件交響曲公演の多くを指揮する方向となったことから,被告は,同年3月24日,原告に対し,「これで,晴れてP1 交響曲第1番《HIROSHIMA》全国ツアー2013スタート決定ですね!!!」とのメールを送信した。さらに,同月27日には,被告の希望する指揮者が原告の所属となることを受け,本件交響曲公演の回数を増やすことを了承する意向を示すメールを送信した。(甲1ないし甲17,甲21)。

 原告は,同月28日,被告に対し,本件交響曲公演の日程(決定済み8,調整中7,その他最低5公演の調整中)や,新聞・雑誌における広告予定や内容等について報告した(甲23,甲24)。
 被告は,同年5月から6月にかけて,原告に対し,「交響曲第1番《HIROSHIMA》全国ツアー残り 19都市の決定ですが なにをモタモタしてるんですか?つぎから次に決めて公表できないの? 21都市で ずっと止まったままじゃない! 30都市のやる気を疑うよ!」などとして,本件交響曲公演の追加を強く要求し,最終的には30回の公演を要求するなどした(甲145の1,甲147,甲148,甲158)。

イ 本件ピアノ公演
 原告は,被告の依頼により原告が紹介したピアニストのうち,被告が希望する女性ピアニストによる公演を組むこととなり,平成25年5月2日,被告に対し,同年8月から10月にかけて本件ピアノソナタを含む楽曲を演目とする4回の本件ピアノ公演を提案した(甲139ないし甲142)。
 被告は,同年5月から7月にかけて,原告に対し,「今日からチケット売り出し新聞掲載日まで40日もある。 これだけの余りある期間の中で新聞掲載日に20都市の決定発表ができないなら無能と見なされてもやむなし。そう思って下さい!」などとして,本件ピアノ公演の回数を増やすように強く要求し,最終的には50回の公演を要求するなどした(甲29の2,甲145,甲148,甲158,甲162ないし甲164)。

ウ 本件交響曲公演は,平成25年6月から平成26年にわたって開催が予定され,本件ピアノ公演は,平成25年9月から平成26年にわたって開催が予定されていたが,その後も本件交響曲公演は全国30公演,本件ピアノ公演は全国50公演まで順次増やしていくこととなった(甲116の7,甲158ないし甲161)。

エ 本件公演の広告等
 原告は,本件交響曲公演の広告に,「現代のベートーヴェン」「孤高の作曲家が 凄絶な闘いを経て たどりついた世界 深い闇の彼方に 希望の曙光が降り注ぐ 奇跡の大シンフォニー」などの言葉とともに,被告の顔写真を掲載し,また一部には,被告の紹介として,被告自伝に記載されたと同様の被告の生い立ちから本件交響曲を作曲した状況までを詳しく記載していた(甲116の3及び7,甲123の3,甲125の3,甲126の3,甲127の3,甲129の3,甲132の5,甲135の3,甲136の7)。

 また,本件交響曲公演のプログラムには,被告の顔写真と本件交響曲の譜面を想起させる手書きの五線譜の写真が多数掲載され,被告自伝と同様の生い立ちや本件交響曲を作曲した状況を記載した作曲者紹介だけでなく,作曲者へのインタビュー形式で,被告が35歳の時に全ての音を無くし,絶対音感はあっても耳鳴りという大きな壁を乗り越え,内側から生まれる音だけで作曲した旨の記載などがあった(甲79の2)。
 原告は,本件ピアノ公演の広告に,「『NHKスペシャル』で大反響を呼んだ あのピアノ曲『レクイエム』が,壮大なピアノ・ソナタに生まれ変わり」などの言葉とともに,被告や女性ピアニストの写真を掲載した(甲128の3,甲130の3)。

オ 本件公演の実施
 本件公演は,別紙公演目録記載1(1)及び2(1)のとおり,平成25年6月以降順次開催され,平成26年2月2日までのものが実施された。

(3)本件公演中止に至る経緯
ア 被告は,平成26年2月2日夕方頃,原告に対し,P2が被告のゴーストライターを18年間やっていたことを告白しているなどの内容を記載した,週刊文春の記者から被告宛てのメールを転送した(甲30)。
 被告は,翌3日,原告に対し,「文春の記者からの転送メールは全て真実です。私は人間のクズです。どれだけ詫びても詫び切れません。償い切れないほどの裏切りをしてしまいました。本当に本当に申し訳ございません。多大なご迷惑をおかけしてしまいました。死ぬ覚悟は前から出来ています。大変な損失を与えてしまいました。如何なる形でも私を制裁ください!」などと記載されたメールを送った(甲31)。

 原告は,同日,文藝春秋「週刊文春」編集部から,「取材のお願い」と題する書面をファックスで受け取った。同書面には,「P1氏は,代表曲『交響曲第一番 HIROSHIMA』など1996年以降に発表した楽曲の全てを,別の作曲家・P2氏に作曲を依頼し,自分が作曲したと偽って発表しています。P1氏は,作曲はおろか譜面すら読むことが出来ません。貴社は,この事実をご存知でしたか。」,「このような聴き手やファンを欺くP1氏の行為は〝詐欺〟に等しいものですが,P1氏を礼賛し世に広め,現在全国ツアーを組んで観客から入場料を取っているサモンプロモーションも結果として,〝彼の詐欺の片棒を担いだ〟ことになりませんか。この責任をどのようにお考えですか。」,「P1氏は全聾という事になっておりますが,小誌は『P1氏は,耳が聞こえているのではないか』という証言を多数得ております。貴社及び代表のP4氏には『彼は耳が聞こえている』という認識はございましたか。」等の質問が記載されていた。(甲33)

イ 被告は,同月5日未明,弁護士を通じ,別の人物に作曲をさせていたことを認める文書を報道機関に送付した。これを受けて,NHKは,同日朝のニュース番組等で,被告が別の人物に曲を作らせていたことを伝え,これまでの同社の番組の制作過程において被告が作曲していないことに気付くことができなかったことについて視聴者等に対しておわびをするなどした。(甲35)
 JASRACは,同日,著作権の帰属が明確になるまで,被告の著作物となっている作品の利用許諾を保留するとの声明を出し,楽譜管理会社も,同月8日頃までには本件交響曲の楽譜の貸出しを中止した。(甲36,甲137,甲181,甲182)

ウ P2が同月6日に開いた会見には100名以上の記者やカメラマンが集まり,P2は,18年間,被告に依頼されて曲を書いていたことなどを述べて謝罪した。P2は,本件交響曲の作曲を依頼された時に交付された本件指示書について,「あの図表は実際の作品の曲の成りゆきとはまったく異なりますけれども,ただ,あの表を私が机の横に置くということで,それをある種のヒントとして,私が作曲する上では必要なものだったとは思います。」と述べた。また,ピアノの鎮魂曲については,P2がいくつかの音のモチーフを譜面に書きピアノで弾いて録音したものを被告が聞き,被告が選んだいくつかの断片を基にP2が作曲するという方法であったとの説明を行った。さらに,被告について,「彼は実質的にはプロデューサーだったと思います。彼のアイデアを自分が実現するということです。彼が自分のキャラクターを作り,世に出したということで,彼のイメージを作るために私は協力をしたということだと思うんです。」などと述べ,また,被告の聴力に関し,被告の耳が聞こえないということを感じたことは18年間1度もないなどと述べた。そして,P2は,被告に提供した楽曲の著作権については,全て放棄したいと思っている旨述べた。(甲171)
 被告の楽曲を別人が作曲していた事実は,同日の全国紙等で報道されるなどした。(甲36,甲37)

エ 被告は,同月7日,謝罪会見を開き,自身の聴力について,3年前くらいから言葉が聞き取れることもあるまで聴力が回復したが,音声がゆがんで聞こえるため手話通訳を必要としていると説明し,被告には絶対音感はなく,相対的な音程の聞き分けはできるが,複雑な和声なども全くわからないこと,オーケストラにあこがれがあったものの自分では書けないことから,自分の希望を伝えてアレンジや編曲をP2に依頼し始めた旨を述べた。また,本件交響曲に関し,被告は,現代音楽については肯定的でなく,調整音楽を希望しており,自身が全体の設計図,内部の事細かな構成を作って,P2というゴーストライターにお金を支払い,音符を書いてもらい完成させたものであると説明した。(甲172)

オ P2は,後に,本件交響曲に関し,P2がシンセサイザーで弾き録音したものを聞いて,被告が鐘の音を入れるアイデアを出し,また,その箇所を指示したとし,これが,被告が本件交響曲において唯一作成したといえる部分である旨,ピアノ・ソナタ第2番に関し,使用したモチーフはP2自身が作曲したものを録音して被告に渡したとし,被告がプロデューサー,P2が作曲者と,役割が分かれていたと思う旨述べた。被告は,ピアノ・ソナタ第2番のモチーフは自分が歌ってみせたメロディーをP2が記憶していて楽譜にしたとしている。(甲183・23,25頁)
 また,P2は,平成27年に出版した著書において,本件交響曲につき,「『HIROSHIMA』は,彼と私の組み合わせでなければ完成しなかった作品ですが,作品についてのお互いの捉え方はまったく異なっていました。」,「ただ,私の書いたものではあっても,彼がいたからこそ成立したものでもあります。あのフォーマットは彼を必要とするんです。」などと記載している(乙16)。


以上:7,247文字

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