平成26年 5月26日(月):初稿 |
○「診療不作為と死亡の因果関係を認めた平成11年2月25日最高裁判決全文紹介1」の続きです。 ******************************************************* 原審は、次のように判示し、上告人らの主位的請求を一部認容すべきものとした。 1 太郎は、被上告人の診療を受け始めた昭和58年11月4日当時、肝細胞癌の発生する危険性が高い状態にあったのであるから、当時の開業医の医療水準として、被上告人は、自らこれを行うか、又は太郎に対して小倉記念病院等他の医療機関で受診するよう指示するなどして、少なくとも年2回、すなわち、6箇月に一度は、AFP検査及び腹部超音波検査を実施し、その結果肝細胞癌が発生したとの疑いが生じた場合には、更にCT検査等を行って、早期にその確定診断を行うようにすべき注意義務を負っていた。 それにもかかわらず、被上告人は、昭和61年7月5日にAFP検査を一度実施した以外は、太郎について肝細胞癌の発生を想定した検査を一度も実施していないから、被上告人は右注意義務に違反したというべきである。当時の検査装置の性能において検出可能とされる腫瘍の直径が最小1.5センチメートルとされていたことや、太郎について肝細胞癌が発見された当時の腫瘍の状態、肝細胞癌の成長速度に関する知見を考慮すると、被上告人が右注意義務を尽くしていれば、遅くとも昭和61年1月ころまでには、被上告人は太郎につき肝細胞癌を発見し得る高度の蓋然性があったと認められる。 2 仮に右の時点で太郎について肝細胞癌が発見されたとした場合、実際の発見時における肝細胞癌の状況及び当時の太郎の肝臓の機能が比較的保たれていたことなどからみて、外科的切除術も適切な治療法として実施可能であったと認められる。そして、外科的切除術による治癒又は延命の効果は、腫瘍の直径に応じて大きく異なるが、仮に太郎につきこれが2センチメートル未満の状態で発見されていたとすると、治癒するか長期にわたる延命につながる可能性が高かった。 また、TAE療法の実施についても、腫瘍の直径が2センチメートル未満であれば、一般に門脈への浸潤はなく、同療法の実施は可能である。また、同療法は、4個以上の病巣を持つ多中心性の肝細胞癌や腫瘍の直径が3センチメートルを越える肝細胞癌に対しても、また、肝機能が悪化して外科的切除術が実施できない場合についても、有効であって、他の療法と組み合わせて実施することにより、大きな腫瘍の場合であっても、延命は可能である。 このように、被上告人が太郎について当時の医療水準に応じた注意義務に従って肝細胞癌を発見していれば、右各治療法のいずれか又はこれらを組み合わせたものの適切な実施により、ある程度の延命効果が得られた可能性が認められる。 3 しかしながら、右のように太郎について延命の可能性が認められるとしても、いつの時点でどのような癌を発見することができたかという点などの本件の不確定要素に照らすと、どの程度の延命が期待できたかは確認できないから、被上告人の前記注意義務違反と太郎の死亡との間に相当因果関係を認めることはできない。 4 もっとも、太郎は、被上告人の前記注意義務違反により、肝細胞癌に対するある程度の延命が期待できる適切な治療を受ける機会を奪われ、延命の可能性を奪われたものであり、これにより精神的苦痛を受けたと認められる。本件の事情を総合考慮すると、太郎の右精神的苦痛に対する慰謝料については、300万円をもって相当と認め、他に弁護士費用として60万円をもって相当と認める。上告人らは、右各損害合計360万円についての太郎の損害賠償請求権を、各自の相続分に従って相続したものというべきである。 三 しかしながら、被上告人の注意義務違反と太郎の死亡との間の因果関係の存在を否定した原審の右3の判断は是認することができず、したがって、損害額に関する右4の判断も是認することができない。その理由は、次のとおりである。 1 訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである(最高裁昭和48年(オ)第517号同50年10月24日第二小法廷判決・民集29巻九号1417頁参照)。 右は、医師が注意義務に従って行うべき診療行為を行わなかった不作為と患者の死亡との間の因果関係の存否の判断においても異なるところはなく、経験則に照らして統計資料その他の医学的知見に関するものを含む全証拠を総合的に検討し、医師の右不作為が患者の当該時点における死亡を招来したこと、換言すると、医師が注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が証明されれば、医師の右不作為と患者の死亡との間の因果関係は肯定されるものと解すべきである。患者が右時点の後いかほどの期間生存し得たかは、主に得べかりし利益その他の損害の額の算定に当たって考慮されるべき事由であり、前記因果関係の存否に関する判断を直ちに左右するものではない。 2 これを本件について見るに、原審は、被上告人が当時の医療水準に応じた注意義務に従って太郎につき肝細胞癌を早期に発見すべく適切な検査を行っていたならば、遅くとも死亡の約6箇月前の昭和61年1月の時点で外科的切除術の実施も可能な程度の肝細胞癌を発見し得たと見られ、右治療法が実施されていたならば長期にわたる延命につながる可能性が高く、TAE療法が実施されていたとしてもやはり延命は可能であったと見られる旨判断しているところ、前記判示に照らし、また、原審が判断の基礎とした甲第79号証、第88号証等の証拠の内容をも考慮すると、その趣旨とするところは、太郎の肝細胞癌が昭和61年1月に発見されていたならば、以後当時の医療水準に応じた通常の診療行為を受けることにより、同人は同年7月27日の時点でなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が認められるというにあると解される。そうすると、肝細胞癌に対する治療の有効性が認められないというのであればともかく、このような事情の存在しない本件においては、被上告人の前記注意義務違反と、太郎の死亡との間には、因果関係が存在するものというべきである。 してみると、被上告人の注意義務違反と太郎の死亡との間の因果関係を否定した原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があるというほかはなく、この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。この点をいう論旨は理由があり、その余の論旨について判断するまでもなく、原判決中上告人ら敗訴の部分は破棄を免れない。そして、右部分については、更に審理を尽くさせる必要があるから、原審に差し戻すこととする。 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 (裁判長裁判官遠藤光男 裁判官小野幹雄 裁判官井嶋一友 裁判官藤井正雄 裁判官大出峻郎) 以上:2,990文字
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