平成24年 8月 5日(日):初稿 |
○「土地境界争い等の強力武器-国土変遷アーカイブ」を続けます。 わが郷里気仙沼の航空写真です。平成24年3月11日発生東日本大震災での津波被害後、相当数緊急撮影がなされていました。流石にGoogle等の大震災後写真より迫力があります。 昭和22(1947)年米軍撮影、太田2丁目(当時は魚町8区)の我が実家の最初の家は、私が2歳頃の昭和28年頃の建築ですから、この撮影当時は、何も見えません 昭和56年(1981年)国土地理院撮影、私が弁護士2年生で30歳の頃、当時は気仙沼の事件を相当数取り扱い、毎週月曜日は気仙沼に帰っていました。太田2丁目の我が家の当たりも家が建て込んでいます 平成24年3月19日国土地理院緊急撮影、大震災の津波発生後8日目の気仙沼の惨状が良く判ります 平成24年5月26日国土地理院撮影、魚町地区から鹿折地区の拡大写真。JR気仙沼線鹿折駅前方に打ち上げられた漁船が鮮明に写っています 以上:398文字
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