平成24年 4月26日(木):初稿 |
○「転送義務に関する平成13年10月16日東京高裁判決紹介3」で、患者が医療水準にかなった医療が行われることにより、患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性が認められる場合、その可能性は法によって保護されるべき利益であり、医者の過失により医療水準にかなった医療を行わないことによって患者の法益が侵害されたと評価でき、その医師は、患者に対し不法行為による損害を賠償する責任を負うとの結論を紹介しましたが、以下、この高裁判決の根拠になった平成12年9月22日最高裁判所判決(民集54巻7号2574頁、判時1728号31頁、判タ1044号75頁)の備忘録です。 ○この最高裁判決の要旨は、医師の過失ある医療行為と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されないけれども、医療水準にかなった医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明される場合には、医師は、患者が右可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき不法行為責任を負うというものです。 ○事案は以下の通りです。 ・患者Aは、自宅において狭心症発作に見舞われ、上背部痛及び心か部痛を訴えて、B病院の夜間救急外来において、C医師の診察を受けた。 ・C医師の診察当時、Aの狭心症は心筋こうそくに移行し、相当に増悪した状態にあった ・C医師は、Aに急性膵炎に対する薬の点滴を実施し、右点滴中にAは致死的不整脈を生じ、容体の急変を迎えて死に至った。 ・Aの死因は、不安定狭心症から切迫性急性心筋こうそくに至り、心不全を来したことにある。C医師は、胸部疾患の可能性のある患者に対する初期治療として行うべき基本的義務を果たしていなかった。 ・C医師がAに対して適切な医療を行った場合には、Aを救命し得たであろう高度の蓋然性までは認めることはできないが、これを救命できた可能性はあった。 ・原審は、C医師が、医療水準にかなった医療を行うべき義務を怠ったことにより、Aが、適切な医療を受ける機会を不当に奪われ、精神的苦痛を被ったものであり、C医師の使用者たるB病院は、民法715条に基づき、この苦痛に対する慰謝料200万円及び弁護士費用20万円の限度で損害賠償の責任を認め、これを不服としてB病院が上告。 ○医療行為と患者の死亡等との間に因果関係の存在は証明されないとしても、この医療行為について医師の過失が認められる場合に、医師の賠償責任が認められないかという問題については、いわゆる期待権侵害の問題として論じられ、この責任を肯定する相当数の下級審裁判例があります(判タ838号54頁浦川道太郎「いわゆる『期待権』侵害による損害」参照)。 ○この「期待権」ないし「期待」を侵害したという考え方に対しては、このような主観的感情利益は法的保護の適格性に欠ける、損害との間の因果関係を無視して、債務不履行ないし不法行為による過失それ自体に損害賠償を認めることになるなどの批判的見解がありましたが、その後、治療機会喪失との、より客観的な損害を認めようとする説が現れ、現在では、結論として損害賠償請求を認める説が多くなっています。 ○期待権侵害による損害賠償請求を肯定する見解には、被害者側に存在する期待権の内容を明らかにして、権利侵害による慰謝料を積極的に位置付けようとするもの(新美育文「癌患者の死亡と医師の責任」ジュリ787号78頁)、加害者側に課された職務義務の特殊性を指摘して、職務に寄せる患者・依頼者の信頼を裏切った加害者の職務遂行における不誠実な態度を前面に出して慰謝料を肯定しようとするもの(石川寛俊「治療機会の喪失による損害」自正39巻11号35頁、同「期待権の展開と証明責任のあり方」本誌686号29頁、山嵜進「診療債務の不履行と死亡との因果関係が肯定されない場合の損害の成否」ジュリ949号125頁、手嶋豊・判評411号189頁、中村哲「医療過誤訴訟における損害についての2、3の問題」司研80号126頁)等があります。 ○このような損害賠償の請求を認めるに当たって最大の問題点は、どのような法益侵害があるといえるのかと言う点でしたが、これについて本判決は、「生命を維持することは人にとって最も基本的な利益であって、この可能性、すなわち、医療水準にかなった医療行為が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性は、法によって保護されるべき利益であり、医師が過失により医療水準にかなった医療を行わないことによって患者の法益が侵害されたものということができる」との判断を示したもので、医療過誤訴訟の実務にも大きな影響を与えるものと考えられています。 以上:1,934文字
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