平成23年 8月14日(日):初稿 |
○大部昔、と言ってもこのHPを開設してからですので、平成16年8月以降ですが、無断録音はどこまで許されるのでしょうかと言う質問を受けたことがあります。実は、この問題は大変難しくて、明確に解説した文献も見当たらず、同業弁護士仲間に聞いても明確な見解を持っている方は、私の回りには居ません。なお、無断録音自体は問題でなく、無断録音した内容をどのように使うかが問題です。例えば無断録音した内容をネットで公開するなど何らかの形で他人の目に触れるようにする行為が問題となります。この問題の質問に対する回答は大変難しく、私も未だに考えがまとまっていませんが、以下、現時点での備忘録です。 ○無断録音されたテープが法律上問題になる典型的なケースは、訴訟で、証拠として提出された場合です。国家が国民に刑罰を課す場合に該当するかどうかを審理する刑事訴訟においては、厳格な証拠制限があり、録音テープに録音された会話内容は原則として証拠としては使えません。また、違法に収集された証拠は証拠には使えないとの大原則がありますので、無断録音テープは限りなく証拠としては使えません。証拠として使えると言うことは、事実認定の資料と出来ると言うことです。 ○問題は、民事訴訟の場合で、民事訴訟法では、刑事訴訟法のような厳格な証拠能力の規定はなく、当事者が事実を証明するために提出した証拠は、証明力即ち証拠価値は兎も角、その証拠能力は原則として存在することになります。ですから、無断録音されたテープの内容を反訳した文書も、原則は証拠能力を有し、事実認定の資料として使うことが出来るのが原則とされています。 ○それでは、民事訴訟に場合は、無断録音テープは、どのような方法でなされた場合も、無制限に証拠として使えるのかとなると、無制限ではありません。この無断録音テープ証拠能力の問題についての判例としては、昭和52年7月15日東京高裁判例があり、民事訴訟における証拠能力の一般論を次のように述べています。 ところで民事訴訟法は、いわゆる証拠能力に関しては何ら規定するところがなく、当事者が挙証の用に供する証拠は、一般的に証拠価値はともかく、その証拠能力はこれを肯定すべきものと解すべきことはいうまでもないところであるが、その証拠が、著しく反社会的な手段を用いて人の精神的肉体的自由を拘束する等の人格権侵害を伴う方法によつて採集されたものであるときは、それ自体違法の評価を受け、その証拠能力を否定されてもやむを得ないものというべきである。そして話者の同意なくしてなされた録音テープは、通常話者の一般的人格権の侵害となり得ることは明らかであるから、その証拠能力の適否の判定に当つては、その録音の手段方法が著しく反社会的と認められるか否かを基準とすべきものと解するのが相当であり、これを本件についてみるに、右録音は、酒席における石上らの発言供述を、単に同人ら不知の間に録取したものであるにとどまり、いまだ同人らの人格権を著しく反社会的な手段方法で侵害したものということはできないから、右録音テープは、証拠能力を有するものと認めるべきである。○この判例は、民事訴訟においては ①当事者が挙証の用に供する証拠は、一般的に証拠価値はともかく、その証拠能力はこれを肯定すべき ②その証拠が、著しく反社会的な手段を用いて人の精神的肉体的自由を拘束する等の人格権侵害を伴う方法によつて採集されたものであるときは、それ自体違法の評価を受け、その証拠能力を否定される ③話者の同意なくしてなされた録音テープは、通常話者の一般的人格権の侵害となり得ることは明らかであるから、その証拠能力の適否の判定に当つては、その録音の手段方法が著しく反社会的と認められるか否かを基準とすべき として、無断録音テープについても、その手段・方法が著しく反社会的と認められない限り、証拠能力を有することを明言しています。 ○とすると無断録音テープについて、「その手段・方法が著しく反社会的と認められるかどうか」の判断基準が問題になりますが、別コンテンツで検討します。 以上:1,676文字
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