平成20年 6月 8日(日):初稿 |
○岡口裁判官の平成20年6月8日付けボツネタに「新潟市で裁判員制度の反対集会 」、「裁判員制度廃止を求めて署名活動 長野」と2つの裁判員制度反対の動きについての記事が紹介されていました。いずれも制度に強固に反対してきた弁護士の指導によるものと思われますが、弁護士の中には裁判員制度反対論者が相当数居ます。 ○私自身、当初、裁判員制度には反対でした。反対理由は唯一つ、証拠に基づく事実認定訓練を受けていない素人の方に事実関係に争いのあるケースの判断を求めるのは酷であり、また妥当な判断をすることは無理であろうと言うものでした。 ○しかし「陪審制度雑感-裁判の民主化」に記載したとおり平成17年3月にサンフランシスコ裁判所視察で、陪審制を目の当たりにしてきてからは考え方がちと変わってきました。サンフランシスコの弁護士事務所で、難しい事件は一人の裁判官では頼りないので陪審を選択し、陪審員が皆で合議しているうちに最終的には適正妥当な結論に至るので、これまの経験から揺るぎなく陪審制を信頼しているとの弁護士の回答を聞き、素人だから難しい判断を出来るはずがないと決めつけるのは、ちと傲慢すぎるかなとも思いました。 ○日本では私も含め、素人の裁判員は信頼できないと考える人が多いと思われますが、まだ実現しても居ないのに最初からそうだと決めつけるのは如何なものかという現在の私の考えです。裁判員制度に関する情報はネットに溢れていますが、その中で「記者の目:裁判員制度 重くなる弁護士負担」との記事を書かれた銭場裕司氏の意見は大変参考になります。 ○その記事の中で1998年に初めて裁判を取材した時は「傍聴席は蚊帳の外」に置かれたような感覚だったものが、「今春まで1年間、東京地裁の刑事裁判を担当したが、法廷のやり取りは格段に分かりやすくなった。」と記述している点が重要です。 ○難聴という身体障害を抱える私は、裁判は特に情報保障が重要と考えています。傍聴席に正確な情報保障がなされて初めて憲法が保障する裁判の公開が実現できるところ、これまでの日本の裁判官は正に「傍聴席は蚊帳の外」と考えているとしか思えませんでした。ボソボソと小さな声で当事者がようやく聞こえる程度の声で話し、裁判を傍聴席に聴かせるとの意識が全く感じられなかったからです。 ○ところがサンフランシスコの裁判所では裁判官も弁護士もマイクを使って大きな声で話し正に傍聴席に聴かせるための裁判が実現しており、正に裁判が公開されて傍聴席にもその内容が良く判り、傍聴席からのチェック機能も働くようになっています。裁判員制度によって傍聴席にも情報保障するとの意識が高まることを期待しています。 以上:1,104文字
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