令和 2年 6月24日(水):初稿 |
○「長男の首を絞める等で別居した妻の婚姻費用分担請求認容家裁審判紹介」の続きで、その抗告審の平成31年1月31日東京高裁決定(判タ1471号33頁)全文を紹介します。 ○妻である相手方が、夫である抗告人に対し、婚姻費用分担の調停を申し立てたが、不成立となり、審判に移行し、原審が、抗告人夫が相手方に対し、15万6454円を即時に支払い、当事者の離婚又は別居状態の解消までの間、毎月末日限り、1か月あたり1万6000円を支払うことを命ずる旨の審判をし、抗告人夫が、原審判を取り消し、相手方の本件申立てを却下する旨の決定を求めて抗告しました。 ○これに対し、東京高裁は、抗告人夫と相手方妻の別居の直接の原因は本件暴力行為であるが、この本件暴力行為による別居の開始を契機として抗告人と相手方との婚姻関係が一挙に悪化し、別居の継続に伴って不和が深刻化しているとみられ、本件暴力行為から別居に至る抗告人と相手方の婚姻関係の悪化の経過の根底には、相手方妻の長男に対する暴力とこれによる長男の心身への深刻な影響が存在するのでるから、そのような相手方が、抗告人に対し、その生活水準を抗告人と同程度に保持することを求めて婚姻費用の分担を請求することは、信義に反し、又は権利の濫用として許されないとして、原審判を取り消し、相手方妻の申立てを却下しました。妥当な判断と思います。 ********************************************* 主 文 1 原審判を取り消す。 2 相手方の本件申立てを却下する。 3 手続費用は,第1,2審を通じ,相手方の負担とする。 理 由 第1 抗告の趣旨等 1 抗告の趣旨 主文同旨 2 抗告の理由 本件抗告の理由は, 〔1〕相手方は,別居開始日である平成29年6月10日,に当事者間の長男C(以下「長男」という。)の首を絞め,抗告人を包丁で切りつけたものである上,それ以前から長男に対し,叩いたり,蹴ったりという虐待をしていたのであるから,別居の主な原因を作出した相手方の有責性は明らかであり,婚姻費用分担請求は信義則違反又は権利濫用として認められない, 〔2〕相手方は,抗告人と別居後も,抗告人が引き続き居住する住居に係る住宅ローンの返済として毎月24万6675円を支払い,更に相手方と長男が暮らす自宅の住居費として毎月18万6000円を支払っているのであるから,当該金額を婚姻費用から差し引くべきである というものである。 3 相手方の主張 相手方の主張の要旨は, 〔1〕平成29年6月10日における抗告人への包丁での切りつけについては,最初に暴行を行ったのは抗告人である、 〔2〕長男の首を絞めたことについては,記憶ははっきりしていないし,仮にこれをしていたとしても生命の危険のあるようなものではなかった, 〔3〕それ以前の長男に対する暴力は,長男に子育ての困難をもたらすような特徴的な行動傾向があったことに加え,抗告人にも,ほとんど長男の監護養育をしなかったという不適切な点があり,抗告人の主張は,10年に及ぶそれまでの抗告人,相手方,長男の家族関係の経緯を捨象したもので,極めて偏ったものといわざるを得ない, 〔4〕本件は,以前から別居を企図していた抗告人が同日のトラブルを契機として別居を敢行したものである, 〔5〕住宅ローンの支払は抗告人にとって資産形成の側面を有しており,抗告人が負担している住宅ローン支払額をそのまま住居費とみることは適切ではない というものである。 第2 事案の概要 本件は,妻である相手方が,夫である抗告人に対し,平成29年7月29日,東京家庭裁判所立川支部に婚姻費用分担の調停(平成29年(家イ)第2372号)を申し立てたが,平成30年3月23日不成立となり,審判に移行した事案である。 原審は,抗告人が相手方に対し,15万6454円を即時に支払い,平成30年10月から当事者の離婚又は別居状態の解消までの間,毎月末日限り,1か月当たり1万6000円を支払うことを命ずる旨の審判をした(原審判)。 抗告人は,これを不服として,原審判を取消し,相手方の本件申立てを却下する旨の決定を求めて本件抗告を提起した。 第3 当裁判所の判断 1 当裁判所は,原審判を取り消し,相手方の本件申立てを却下することが相当判断する。 その理由は,次のとおりである。 2 認定事実 認定事実は,次のとおり補正するほかは,原審判の「理由」中の「第2 認定事実」に記載のとおりであるから,これを引用する。 (補正) (1)原審判3頁7行目「続かなくなると,」と「長男を」の間に「長男が小学校に入学してからは週1回程度」を加える。 (2)原審判3頁8行目「なった。」の後に「相手方の長男に対する継続的な暴力のため,長男は心理的に深い傷を負い,相手方に対する恐怖を感じるようになった。」を加える。 (3)原審判4頁14行目「飛び出した。」の後に「抗告人は,そのような相手方の姿を見て,もう一緒に生活をすることはできないと考えた。」を加える。 (4)原審判5頁24行目「支払っている」の後に「が,相手方が鍵を取り付けて抗告人の立入りを拒んでいた」を加える。 3 婚姻費用分担義務の存否について (1)夫婦は,互いに協力し扶助しなければならないところ(民法752条),別居した場合でも,他方に自己と同程度の生活を保障するいわゆる生活保持義務を負う。夫婦の婚姻関係が破綻している場合においても,同様であるが,このような生活保持を求めて婚姻費用の分担を請求することが,当事者間の信義に反し,又は権利の濫用として許されない場合があると解される。 (2)本件において,抗告人と相手方が別居に至った経過は,前記認定事実のとおり,平成29年6月10日に,酔って帰宅した相手方が,長男に対し首を絞め,壁に押し付けて両肩をつかむなどの暴力をふるい,これを注意した抗告人ともみ合い,つかみ合いとなり,包丁を持ち出して抗告人に向けて振り回し,抗告人を負傷させるなどの行為(以下「本件暴力行為」という。)に及び,それを見た長男が玄関から裸足で飛び出したことから,抗告人が,自分と長男の生命,身体の危険を感じ,長男と共に家を出てホテルに宿泊した後,相手方と別居するに至ったというものである。長男は,同月12日,警察官に対し,これまで相手方から暴力をふるわれていたため,相手方とは暮らしたくないと述べ,D児童相談所に一時保護された。その後,自宅への立入りを巡って抗告人が相手方に対し,立入妨害禁止仮処分命令事件(東京地方裁判所立川支部平成30年(ヨ)第50号)を申し立て,相手方は離婚訴訟(東京家庭裁判所立川支部平成30年(家ホ)第182号)を提起するなどの状況となったものである。 このような経過に照らすと,抗告人と相手方が別居するに至った直接の原因が本件暴力行為であることは明らかであり,抗告人と相手方との間においては,別居の開始以降,婚姻関係を巡る相当に激しい紛争が続いているということができるところ,前記認定事実によれば,抗告人と相手方の婚姻関係は,同居中から円満とはいえない状態であったことがうかがわれるが,別居に至るほどの亀裂が生じていたとは認められず,本件暴力行為が原因となって一挙に溝が深まり,別居の継続に伴って不和が深刻化したと認められる。 相手方は,本件暴力行為の以前から,長男を叩く,蹴るなどしており,このような度重なる暴力によって長男の心身に大きな傷を負わせていたことがうかがわれ,その上に,酔余,生命に危険が生じかねない本件暴力行為に及んだものであって,相手方のこれらの暴力が長男に与えた心理的影響は相当に深刻であったとみられる。そして,児童相談所が,長男を相手方の監護下に置くことはできないとの判断の下に一時保護の措置をとり,抗告人は,相手方と別居して監護環境を整え,家庭裁判所により長男の監護者に定められ,その監護をすることとなったものである。このような経過を経て,長男は,相手方と暮らしたくないとの意思を明確に表しており,抗告人が相手方との別居を継続しているのは,本件暴力行為そのものに加え,このような長男の状況やその身の安全を慮ってのことでもあるということができる。 以上によれば,抗告人と相手方の別居の直接の原因は本件暴力行為であるが,この本件暴力行為による別居の開始を契機として抗告人と相手方との婚姻関係が一挙に悪化し,別居の継続に伴って不和が深刻化しているとみられる。そして,本件暴力行為から別居に至る抗告人と相手方の婚姻関係の悪化の経過の根底には,相手方の長男に対する暴力とこれによる長男の心身への深刻な影響が存在するのであって,このことに鑑みれば,必ずしも相手方が抗告人に対して直接に婚姻関係を損ねるような行為に及んだものではない面があるが,別居と婚姻関係の深刻な悪化については,相手方の責任によるところが極めて大きいというべきである。 (3)翻って,相手方と抗告人の経済的状況をみると,前記認定事実のとおり,相手方は,栄養士及び調理師として稼働し,平成29年には330万円余りの年収があるところ,抗告人が住宅ローンの返済をしている住居に別居後も引き続き居住していることによって,抗告人の負担において住居費を免れており,相応の生活水準の生計を賄うに十分な状態にあるということができる。 他方,抗告人は,会社を経営し,平成29年には約900万円の収入があって,それ自体は相手方の収入よりかなり多いが,相手方が居住している住宅に係る住宅ローンとして月額約24万6000円を支払っており,さらに,別居後に住居を賃借し,長男の一時保護措置が解除された後に同住居において長男を養育しているが,その住居の賃料及び共益費(月額合計18万6000円),私立学校に通学する長男の学費(年額91万9700円)や学習塾の費用(月額約4万円)などを負担している。 (4)上記(3)のような相手方及び抗告人の経済的状況に照らせば,上記(2)のとおり別居及び婚姻関係の悪化について上記のような極めて大きな責任があると認められる相手方が,抗告人に対し,その生活水準を抗告人と同程度に保持することを求めて婚姻費用の分担を請求することは,信義に反し,又は権利の濫用として許されないというべきである。 (5)相手方は,10年間に及ぶそれまでの抗告人,相手方,子の家族関係の経緯を見るべきであると主張する。前記認定事実のとおり,相手方は,抗告人及び長男との同居中,小学校に在籍する長男の世話のほとんどを担う中で,長男の問題行動に悩み,注意しても一向に治まらなかったことから暴力に及んだのであるが,相当に鬱屈した精神状態であったことがうかがわれる。 他方,抗告人は,育児を相手方に任せ,平成25年秋頃から平成27年秋頃までの間,長男に話しかけることも,長男からの話しかけに応答することもしなくなり,相手方とも話をしない状態となっていたものであり,抗告人のこのような態度が相手方の鬱屈の一因であったと考えられ,この点においては,抗告人と相手方の婚姻関係が同居中から円満とはいえない状態となったことについて,抗告人にも相応の非があったというべきである。しかし,平成29年春頃までには,長男と抗告人が共に外出したり,抗告人と相手方もある程度の会話をしたりするようになっており,抗告人,相手方,長男の家族関係は一応修復されていたとみられ,抗告人の非といっても,本件暴力行為から別居に至る過程との関係では,相手方の責任と比較すればごく小さな比重のものにとどまるというべきである。したがって,上記の抗告人の態度は,前記(4)の判断を左右するものではない。 (6)なお,相手方は,抗告人が,平成29年6月10日より前から別居を準備していたと主張し,その根拠として,同年3月31日に抗告人が家族3人の生命共済を解約していたこと(甲21の1ないし3,22,乙18,19),同年6月16日付けで抗告人の依頼した弁護士が受任通知を送付し,子の監護者指定の審判事件や保全事件を申し立てる旨を知らせたこと(甲14)を挙げるが,そのような事情だけで,抗告人が平成29年6月10日よりも前から計画的に別居を準備していたとまでは認められない。 4 小括 よって,その余の点について検討するまでもなく,相手方の抗告人に対する婚姻費用の請求は認められない。 その他,当事者の主張に鑑み,本件記録を精査しても,上記認定判断を左右するに足りる的確な主張及び資料はない。 第4 結論 以上のとおり,相手方の本件申立ては理由がなく,却下すべきであるから,これと結論を異にする原審判を取り消すこととして,主文のとおり決定する。 (裁判長裁判官 白井幸夫 裁判官 高取真理子 裁判官 榎本光宏) 以上:5,248文字
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