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別居期間9年8ヶ月での有責配偶者離婚請求認容例

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平成21年 2月19日(木):初稿
「有責配偶者の離婚認容要件-裁判例概観」で居期間9年8ヶ月で有責配偶者である妻から夫への離婚請求認めた平成3年7月16日東京高裁判決(判時1399号43頁)とそれを追認した平成5年11月2日最高裁判決(家月46巻9号40頁)を紹介しましたが、その内容をもう少し詳しく紹介します。尚、この判決は当然のことですが有責配偶者であつても清算的財産分与を請求し得るとされたことも注目されます。

事案概要
 A女(妻)とB男(夫)は、昭和39年7月2日に婚姻した夫婦で、その間に長男(昭和40年12月生)及び長女(昭和42年7月生)がおり、Bは、婚姻当時、会社員で昭和41年から昭和48年まで家族で高松市に居住し、昭和48年4月東京に転勤後、昭和47年に購入した自宅で生活。昭和48年頃まではまずまず平穏な生活。

 昭和49年10月ころからAが自宅で料理教室を開き、さらに昭和52年10月熊谷市内で料理教室を開設して経営するようになったのでBは、自分が仕事を辞めても家族が生活に困ることはないと考え、昭和53年3月に勤務会社を退職し1年間調理学校に通って調理師免許を取得するも、退職後の進路につき何ら具体的な方針を持っておらず、右免許取得後も終日家にいて徒食するという生活を送った。

 そのため料理教室の経営が順調になり多忙となっていたAは、働かずに生活費を負担しないBを疎ましく思うようになり、昭和54年4月頃から夫婦間の性関係も途絶え、同年7月ころからはBの帰宅が遅くなり、外泊することもあり、そのことから、BはAを責めて暴力を振るうようになり、Aの気持ちは、ますますBから離れた。なお、Aは昭和55年に会社勤務を再開するも全く生活費を負担しなかった。

 昭和56年9月、料理教室の記念行事のため外泊して帰宅したAをBが詰問していさかいとなり、Bが食卓をひっくり返したため、長男が負傷し、Aは2人(当時15歳と13歳)の子供を連れて別居し、Aは、昭和55年9月から昭和57年ころまでC男と男女関係になっていた。また、Bは別居後、子供の教育費の一部を支出したほかは、A及び子供らの生活費等を負担したことはなく、Aに対し帰宅を求めるなどして婚姻関係の回復を試みたことはなく子供らも、Aらの離婚に反対していない。

 そこで、昭和62年に至りAはBに対し離婚を求める訴えを提起したが、一審の浦和地裁熊谷支部が平成2年5月25日判決でこれを棄却したので控訴し、それに対し、Bは予備的反訴として1000万円の慰謝料を求めた。

控訴審(平成3年7月16日東京高裁判決)判旨概要
 9年8か月の別居期間、同居中から夫婦間に性関係がなかったこと、AがCと情交関係を持っていたことなどから婚姻関係の破綻認定。
 BのAは有責配偶者なので離婚は認められないとの抗弁については
有責配偶者離婚認容3要件①相当長期間の別居、②未成熟子の不存在、③苛酷状態の不存在に照らして、
①9年8か月の別居は相当長期間と認定、
②未成熟子の不存在、
③Bが実母らと同居しAとの婚姻共同生活を回復するについての積極的意欲がないこと等からBの苛酷も不存在である
として抗弁を排斥。
 Aが求める財産分与(清算的財産分与)については有責配偶者も求め得るとして、700万円の財産分与を認め、他方、不貞行為を行ったAに対し、200万円の慰謝料の支払を命じる。
以上:1,386文字

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