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快体験の極致

平成13年 9月 1日:初稿 平成16年 9月23日:更新
◆快体験例-性による快感
 快体験の極地は男女夫婦間では、言うまでもなく性による快感です。特に女性の性快感は男性に比較できない程高く且つ強く、この快感を充足されている限りその夫婦の破綻は、他に特別な事情がない限りあり得ません。

 離婚相談にくる夫婦は殆どが夫婦関係が数ヶ月から数十年に渡りないと告白します。希に夫が強すぎ連日奉仕を強いられ苦役であると訴えてくる例があります。
 この場合、妻にとっては性は「不快体験」にすぎません。連日の奉仕を強いなくても、夫が、性を単にたまったものを排泄することぐらいにしか考えていないと、相手を勤める妻にとっては、性は「快体験」にはなりません。こんな夫は、女性は単に性のはけ口ぐらいにしか考えていませんので到底、「快体験の共有」には至らず、夫婦間の絆を強めるには及びません。

◆夫婦間性行為即「快体験の共有」?
 性特集でも書きましたが、夫婦間の性は、結婚生活が長くなればなるほど、行為即「快体験の共有」になるとは限らないやっかいな面もあります。

 私の印象では、結婚生活も長くなり、中高年になると、夫婦間の性は、「快体験の共有」というよりむしろ苦役と感じる方の方が多くなるのではと思っておりました。

 日本人は、住居構造、子供との関係等から結婚すると性に対しては淡泊になりがちです。結婚生活が長くなるほど、淡泊傾向は強くなり、夫婦間の性については無頓着になっているような気がします。
 しかし「快体験の共有」の重要性を自覚すると、たとえお互いに淡泊だから、性による「快体験の共有」は無くても良いと思っても、それでは夫婦関係の絆が弱くなりがちであり、やはり相互に「快体験の共有」の重要性についての意識と自覚が必要であり、相互の工夫によって「共有」の努力が重要と思うようになりました。

◆性における快体験共有の努力とは
 ジャーナリスト齋藤茂男氏の「妻たちの思秋期」という言う本に、性を単に自分の貯蔵物を排出するだけと考えている亭主に対する恨みの記述がありました。

 亭主が妻の状況を殆ど考慮せず、排出し、挙げ句に排出後は、いつも、まるで汚いものに触ったように丁寧に洗浄する様子を見て、そんなら触るなと怒鳴りつけたい妻の心情を記述していました。
 ここでの夫は確かに自分にとっては性行為が「快体験」になっていますが、妻にとっては「不快体験」に過ぎず、夫の「快体験」が妻の「不快体験」の程度を増幅させており、何れ痛烈な復讐を味わうことになるでしょう。

 性はお互いの快体験の共有であるとの認識を持っていれば、妻の状況を考慮せず自分だけ、排出し、更に事の終了後にこれ見よがしに洗浄するなど出来ないはずです。
 又、相手に気持ちの良い体験をさせる即ち満足させようとの気持ちがあれば、自分に欲求があっても妻の気持ちを考慮して、時に何もしないで単に腕枕で寄り添って寝るだけにする配慮も必要でしょう。

 ところが、夫は慣れっこになった妻にはそこまで思いやる気持ちはなかなか持てなくなるようです。
 男性たるもの特に妻との関係では、性イコール臨戦態勢での結合と硬直的に考えず、妻が何を求めているかに注意して、求めに応じた満足を与えるべく努めるべきなのでしょうね。

◆その他の「快体験の共有」
 性関係が無くなる或いは極端に少なくなったら夫婦関係は終わりかというとそうでもありません。性体験に代る快体験はいくらでもあります。

 性という快体験が共有できなくなっても一緒に旅行に行く或いは面白い映画を見る等快体験を多く共有している夫婦は大丈夫でしょう。
 ですから、性による快体験が厳しい状況になった場合、それに代わる楽しい趣味を共有するとか旅行を一緒に楽しむとか快体験の共有を意識して持つ努力がより一層重要になります。

◆「不快体験」の優越性
 離婚相談に来る夫婦の殆どは、過去には「快体験共有」もあったはずなのに、今は忘却の彼方に飛び去り、「不快体験の共有」量のみが増え続けている方々ばかりです。

 人の争いを見ていると神は人間を基本的に根に持つ性分にお作りになったとつくづく感じます。
 私は自己紹介の時にいつも、「私は根に持つ性格です。受けた恩義は直ぐ忘れ、受けた恨みはしっかりと心に深く刻み付け、子、孫と伝えて、100年に渡ってたたります。」とやります。
 普通はこれで笑いが取れるのですが、先日、高校生相手の講演でやったときは、しーんと静まりかえり慌てました。これが人間の本性ですと弁解したのですが、ホントに根に持つ嫌な人間と思われたかも知れません。

 しかし、人間の本質は根に持つことで、言い換えると、人間の記憶としては「不快体験」の方が、「快体験」より遙かに優越的地位にあると確信しております。
 長年に渡る「快体験の共有」の努力も、一瞬の「不快体験」で水泡に帰する場合も往々にしてありますから、「不快体験」フォローの努力も必要ですね。
以上:2,007文字

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