平成 1年11月30日(木):初稿 平成17年 1月 8日(土):更新 |
□香港市内観光あれこれ2 香港の商店には生鮮食品店が非常に目につく。魚屋では魚をいけすで生きたまま売っている。買い手がつくとその場で処理して売る。驚いたのは鶏の販売店だ。生きた鶏を大きな篭にぎっしり詰めて売っている。店の周辺はひどい悪臭だ。買い手がつくと奥で断首刑にし、毛をむしって裸にして客へ渡すらしい。肉販売店でも店先で店員たちが上半身裸で肉の処理をしながら売っている。日本ではあまり見られない光景だ。 晩飯は庶民の入る店で取ろうということで、あえていかにも安食堂といった感じの店へ入った。店のおばさんが注文を取りに来るが英語が全く通じない。中国語のメニューを見ても何が何だかわからない。とにかく麺を食べたいということで麺という字を指差し注文する。日本でいう牛肉がたっぷり入った肉ラーメンが出てきた。麺は日本と違いかなり細い。日本のソーメン位だ。残念ながら味は香港八角が強烈に効きあまりなじめなかった。我々はそこでラーメンとビール2本と菜料理を注文し清算すると2人分でたったの25香港ドル(450円)だった。尚、水が出てこなかったので水という漢字を紙に書き店員に示したところお湯が出てきた。香港の食堂では水を用意してないらしい。或いは衛生事情が悪く水のままでは飲めないのかも知れない。 尚、我々は成田から香港までノースウエスト航空機を利用した。右飛行機は出発一週間前にチケットを取ったもので、当初は乗客は満員であろうと予想していた。しかし実際乗ってみると乗客はせいぜい2割位である。いわばガラガラという状態で空いた4つ位の席をベッド代わりに利用して眠っている乗客も多かった。そして搭乗手続の時貰ったチケットを見るとそれには「タカハシ・・・」というローマ字が書いてある。私はこのチケットを見て、もしこの飛行機が墜落した場合私は「タカハシ・・・」という名前でテレビのニュースの乗客名簿に載るのだろうかと不安になる。 □香港からドバイへ 8月21日午後9時半、我々は英国航空ジャンボ機で香港空港からイギリスガトウィク空港へと旅立った。南(中東)回りのため17時間に及ぶ長旅である。この飛行機もガラガラにすいていることを期待したが、残念ながら完全な満席。空席をベッド代わりに眠るという甘い期待は裏切られた。乗客は殆どが香港人と西洋人である。たまたま隣の席に日本人の学生が座っており、彼は我々を見てホッとした顔で「日本人ですか?」と声をかけてきた。彼は大学の3年生でこれから一ケ月かけてヨーロッパを旅行するという。自分の学生時代は、学生の身分で海外旅行などとても考えられなかった。日本も豊かになったものだと思う。 12時間程飛んだところで給油のためアラブのドバイ空港に着陸。乗客全員ドバイ空港に降りる。ドバイ空港に着いたのは現地時間真夜中の午前1時頃であるが、その暑さは先程の香港の暑さをはるかに上回る。真夜中でこれだけの暑さでいったい昼の暑さはどれ位か見当もつかない。こんな暑い所でよく人間が生活できるものか不思議に思う。しかしドバイ空港内は冷房が効き心地良い。私は空港内の免税店を散策した。香港の免税店でもそうであったが、免税店で売られている電気製品は殆どが日本製である。免税店を見ると日本の電気製品が世界市場を制覇したことが実感としてわかる。 ドバイ空港での一時間程の休憩の後、ロンドンへ向けてもう5時間程の旅が始まる。さすがに身体が疲れを感じ始めている。 □英国到着とベトナム難民 現地時間朝6時55分、我々を乗せた航空機はイギリスのガトウィク空港に到着した。機内で英国の陸地が見えてきたときは丁度明け方であり、その美しい光景を愛用のビデオに収める。ガトウィク空港入国ロビーに降り立つとロビー内に敷き詰めた分厚いじゅうたんにどことなく上品な雰囲気を感じる。この雰囲気は英国にいた時よく感じたが、成熟社会の余裕に伴う雰囲気かもしれない。 ガトウィク空港では入国審査の時間が長かった。我々の前に並んでいた労働者風の西洋人達に対する審査官の調べが執拗を極めていたからである。我々の前のわずか10数名の入国審査に一時間近い時間がかかった。ところが、すぐ隣のEC諸国の入国審査官はまるで駅の改札をするように次々と入国審査を済ませ、あっという間に全員が入国手続きを終えた。 入国審査を待っている時、不安と緊張でせっぱつまったような表情をしたアジア人が私に声をかけてきた。何やら英語で私に質問している。私はさっぱりわからず鈴木氏にバトンタッチ。鈴木氏は彼の話を聞いて空港内の職員を呼び、彼等はその職員と共に別の場所へ去っていった。鈴木氏の説明では彼等はベトナムから来た難民であった。したがってビザもなく入国手続きも我々と別になる。鈴木氏と話をしたリーダー格の男は30歳位だが、その一団は2、3才の幼児から70才までの老人まで20数名はいた。一族郎党を引き連れて英国へやって来たのであろう。彼等の服装はなかなか良いものであり、日本に流れ着く難民とは違い裕福な階級と見えた。しかし彼等が故国から離れた遠い異国の土地で果たして生活していけるのか、貯えが底をついた後は大丈夫かと心配になる。私は今回の旅行で英国が好きになったが、日本を離れて英国に住みたいと思ったことは全くなかった。ベトナム難民の姿を目の当りに見て日本に生まれた幸運を感じた。 □緊張の入国審査とガトウィック空港の美少女 そうしているうちにようやく私が入国審査官に呼ばれた。私は緊張して前へ進む。審査官はパスポートを見るなり私に「グループで来たのか?」と聞く。私はつい日本語で「2人」と答えてしまう。その後もなにやら聞かれたが、わからないので何度か聞き返すと「もういい、行け」と言う感じで。ほんの1、2分で通してもらった。私の後に入国審査をした鈴木氏の話では、その入国審査官は「I have no good communication」と隣の入国審査官と話をしていたそうである。 入国審査を終えてガトウィク空港ロビー内に入る。ガトウィク空港は、日本では羽田空港に当る国内空港であるため英国人が多い。この空港を行き交う英国人の全体的センスの良さ、落ち着いた雰囲気に驚く。一種のカルチャーショックか。ああ本当に自分は英国に来たんだという実感。早速売店でテレホンカードを購入しグラスゴーのベニーへ電話。その日の夜行列車でグラスゴーへ向かう予定を変更しロンドンへ一泊する旨を伝える。そして鈴木氏と空港内のホテルインフォメーションへ行く。そのインフォメーションの受付嬢の何と綺麗なことか。年の頃は18,9ぐらいか、透き通るような白い肌にブルーの瞳、ビデオに撮るのも忘れて私はつい見とれてしまった。英国で最初に感動して見たせいか今回の旅行で最もその美しさが印象に残った。英語がうまく話せない自分が実にもどかしかった。鈴木氏が彼女と話を進めて今夜のホテルを決める。そしてバスでロンドン・ビクトリア駅へ向かった。 以上:2,867文字
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