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池上彰の世界を知る学校”紹介-中東問題の本質”は土地問題”3

平成30年10月15日(月):初稿
○「池上彰の世界を知る学校”紹介-中東問題の本質”は土地問題”2」の続きの備忘録です。

・ユダヤ人に有利なパレスチナ分割案が作られた
イギリスが統治を放棄後、国連がパレスチナに調査団を送り、ユダヤ人たちは調査に全面協力するも、アラブ人は一切協力せず、その結果、パレスチナ全体の56%をユダヤ人、43%をアラブ人、残り1%に当たるエルサレムを国際管理の土地とするとの分割案を作成し、1947年11月国連総会で決議採択、
ユダヤ人の強い希望でネゲブ砂漠全てユダヤ人としたが、ここにはウラン鉱山があり、このウランを元に巨大な核兵器製造工場と貯蔵施設を建設、その上空は飛行禁止区域とする

・建国直後のイスラエルは何故中東戦争に勝てたか
1948年第一次中東戦争(独立戦争)では、攻め込んだアラブ連合軍(レバノン・シリア・トランスヨルダン・イラク・エジプト)は連携がなく、且つ、武器は前時代的なものであったところ、イスラエルは大量に近代兵器を買い集め、撤退するイギリス軍から武器を盗み取り、更にイギリス軍相手のテロで訓練を積んでいたことから、イスラエルが圧勝し、国連が認めた以上の土地を取得

・「パレスチナ難民」は増え続ける
イスラエルに占領されたパレスチナの地に住んでいたイスラム教徒のアラブ人たちは、レバノン・シリア・イラク、ヨルダン川西岸地区、エジプト占領ガザ地区等に逃げ込み「パレスチナ難民」と呼ばれ、1948~1973年までの4回の中東戦争で230万人が難民となった
「パレスチナ難民」救済国連組織がUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)、難民全般を救済する組織はUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)で緒方貞子弁務官が有名、
パレスチナ難民のキャンプは各地にあるが1948から現在まで70年以上も継続し、500万人に増加、難民キャンプはテントが原則だが長期化によりコンクリート二階建て建物もあり、難民の高齢化により医療費増加が重大問題となっている

・アメリカが止めた第二次中東戦争
1956年エジプトはそれまでイギリス・フランスが支配してきたスエズ運河を国有化して通行料(標準的貨物船で一隻当たり1000~2000万円)を政府が取得、怒ったイギリス・フランスはイスラエルをそそのかしてエジプトを攻撃させて第二次中東戦争(スエズ動乱)始まる
「スエズ動乱」についてカナダ外相レスター・B・ビアソンがスエズ運河の安全を守り、イスラエルのエジプト侵攻をやめさせるために、国連平和維持軍創設を提唱し、アメリカも支持してスエズ動乱は収まる

・イスラエル軍の圧倒的勝利に終わった第三次中東戦争
1964年アラブ諸国側が「パレスチナ解放機構(PLO)」設立、エルサレム旧市街を含めた東エルサレム(「嘆きの壁」所在地)のヨルダン支配にイスラエルの不満高まり、一触即発状態となる
1967年6月5日イスラエルがアラブ諸国空軍基地に奇襲攻撃し、僅か6日間でアラブ諸国は降伏し第三次中東戦争はイスラエル軍の圧倒的勝利に終わり、イスラエルはエジプトガザ地区、ヨルダン川西岸地区も占領し東エルサレムも支配下に置き、エルサレムは永遠の首都であると宣言、
しかし国際社会はこれを認めず世界各国大使館はテルアビブにあるが、2017年12月6日、トランプ大統領がエルサレムを首都と公式に認め、2018年5月、アメリカ大使館をテルアビブからエルサレムに移した、

・核兵器を使いそうになった第四次中東戦争
1973年アラブ諸国がイスラエルに奇襲攻撃を仕掛け第四次中東戦争(ヨム・キプール戦争)始まる、「ヨム・キプール」とは「贖罪の日」と呼ばれるユダヤ教の最大休日で、この日は絶食で何もしないで静かに過ごす日に奇襲攻撃、イスラエル情報機関モサドはアラブ奇襲情報を得て首相に伝えるも動かず、奇襲を受けてから、「ヨム・キプールを守る必要はない」と宣言しようやくイスラエル軍も防戦に入るが大きな損害を受けた
この時イスラエル軍は核攻撃の準備をし使用寸前までいったが、イスラエル軍が息を吹き返し戦況が有利になったことで核攻撃は中止

・テロが起きて気づかされること-ノルウェーによる「オスロ合意」成立
イスラエルは4回の中東戦争全て勝利して領土を拡大するも、アラブ諸国側ではパレスチナ解放機構(PLO)が1969年アラファトが議長になって一気に過激組織に変貌し、パレスチナだけでなく世界各地でテロを繰り広げるようになり、「テルアビブ空港乱射事件」もその一つ、
テロが繰り返されることによって、世界中の人々がパレスチナ人たちの苦境に注目するようになり、「中東問題をなんとかしよう」と手を上げたのがノルウェー。
1993年ノルウェー首都オスロでイスラエル側とパレスチナ側で秘密協議が開かれ「オスロ合意」が成立

・中東問題を解決しないと世界平和はない
オスロ合意」とは、「パレスチナはイスラエルを国家として承認、その代わりガザ地区・ヨルダン川西岸地区からイスラエルは5年間手を引き、パレスチナ自治政府による自治を認め、その5年間の間に今後を協議する」というもので、パレスチナ自治政府議長にアラファトが就任、
しかしオスロ合意に調印したイスラエルのラビン首相が1995年に暗殺され強硬派ネタニヤフ首相になると一気に歩み寄りが止まり、パレスチナ側もアラファト議長率いるファタハはオスロ合意に基づくイスラエルとの共存を主張するも、対抗する1987年成立ハマスがイスラエルの存在を認めないと主張し、パレスチナ解放運動自体が分裂したが、2011年になってハマスが路線転換でイスラエルとの共存を認めるようになる
中東地域は、ユダヤ教・イスラム教・キリスト教の三大宗教の聖地であるエルサレムがあり、世界の産油量40%を占める石油大産地で、中東地域の治安情勢は世界中の国々に影響し、中東問題が解決しない限り世界平和はあり得ない

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