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気仙沼高校にクラシックギター愛好会を創設した思い出

平成25年 9月16日(月):初稿
○「中学高校時代に熱中した映画音楽”夜霧のしのび逢い”の楽譜探索」を続けます。
昭和40年中学2年の夏に初めてギターに触り、興味を覚えた私は、その年の11月に初めて自分のギターを購入し、中学3年になった翌昭和41年4月から東京音楽アカデミー通信教育でクラシックギターの基礎を勉強し始めました。中学3年時は、特に、ソノシートで聞いた舟山幸一氏演奏アルハンブラの思い出に感激して、何とか、これを演奏したいと、そのための基礎であるアルペジオ(分散和音)の練習に励みました。

○東京音楽アカデミーのソノシート通信指導の講師は、小原安正氏で、ソノシートの中で「トレモロを綺麗に弾くには、アルペジオが機関銃のように速く出来なければなりません。」と言う言葉があり、この言葉に従ってアルペジオ練習を繰り返しました。中学3年時は、学校のクラブ活動はしていませんでしたので、学校から帰ると直ぐにギターと取り出して、アルペジオの練習に数時間も励んだものでした。

○その甲斐があって、中学卒業時には、アルハンブラの思い出全曲を暗譜して、何とか、音をなぞることが出来るようになりました。そして昭和42年春気仙沼高校に入学した私は、ギター部があればこれに入部するつもりでした。しかし、気仙沼高校には音楽部はありましたが、特にギターはやっておらず、色々考えた末に、硬式テニス部に入部しました。しかし、ギターが好きで、テニス部の活動で忙しい中でも少しずつ継続して、高校時代は、前半はテニス、後半はギターに取り組むと決めました。

○そして、高校1年生の時から、親しい友人でギターに興味を持ち、或いは、ギターを練習したいと思っている人に密かに声をかけて、高校2年の夏には気仙沼高校にギタークラブを作りたいので一緒にやりませんかと誘っていました。高校2年になるまでに、私の外に5人ほど一緒にギタークラブをやってもよいとの友人を確保し、2年の夏休み直前に硬式テニス部部長に退部届を出しました。

○硬式テニス部では、2年まで継続して退部する例はないとのことで、部長にはチームワークを乱すとものだと叱られましたが、当初からの予定の行動ですと伝えて、退部を強行しました。そして、昭和43年高校2年の夏に、私を含めた6名で気仙沼高校ギター愛好会を結成して高校に届けました。

○すると3年生にも4名ほどギターを練習していた方が居て、その方々も加わり、一気に10名の会員になりました。3年生の中に中程度の曲は初見で演奏が可能という楽譜理解能力が高く、演奏も上手な方が一人居て、その方に合奏指導者となって頂き、3パートに分けての合奏曲の練習を始めました。その中に合奏曲用「夜霧のしのび逢い」もありました。その他には「ブーベの恋人」、「哀しみは星影と共に」等の映画音楽中心でした。

○そして8月に結成して、その僅か2ヶ月後の10月、気仙沼高校文化祭に愛好会として初参加して、合奏曲を5曲ほどと私の独奏として「アルハンブラの思い出」を演奏しました。初めての舞台での演奏は大変緊張するもので、この時のアルハンブラの思い出は、脂汗を流しながらのしどろもどろの演奏で、余りの出来の悪さに、ひどくガッカリしたのを覚えています。

○文化祭後は殆どの3年生が受験勉強のため引退しましたが、文化祭出演をきっかけに1年生が3人ほど入会し、更にテニス部で親しかったギター好きのA君もテニス部を退部して入会し、10人程の会員数を維持して、気仙沼市民音楽祭等の出演を目標に練習を継続しました。
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