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映画”日本のいちばん長い日”を観て

平成24年 8月17日(金):初稿
○平成24年のお盆休み中の8月15日終戦記念日に、これまで積ん読であったBD版映画「トラトラトラ!」を観ました。昭和45(1970)年制作ですから42年も前の作品ですが、日本海軍ゼロ戦による真珠湾奇襲の状況がリアルに再現されており、特に大編隊の飛行機群が飛び交うシーンに圧倒されました。

○CGのなかった当時、どうやったあんなにリアルな飛行シーンを撮影したのかと不思議に思いながら観ましたが、特典での制作者の解説でアメリカの練習機で日本の太平洋戦争当時の飛行機に似たものを選んで飛行に支障のない範囲で改造して日本の飛行機に似せて作り、実際に飛行させて撮影したことが判り驚きました。しかし、シーンのところどころに、どこかで観た記憶があり、映画館で観ていたかも知れず、若年性健忘症の進行を感じざるを得ませんでした(^^;)。

○8月15日終戦記念日にこの太平洋戦争開戦の端緒となった真珠湾攻撃の映画を観て、確か購入済みで積ん読であったと記憶していた「日本のいちばん長い日」が観たくなってAVルームのDVD収納棚にある数百本のDVDソフトの中を懸命に探すも見当たりません。どうやら購入済みは私の記憶違いと判明し、盆休み明けの16日に至りヨドバシ仙台に在庫確認すると1本だけあるとのことで、取り置きをお願いして、仕事終了後買い求め、夕食後、午後8時頃からの鑑賞となりました。

○BD版は出ていないとのことで、DVD版を購入しましたが、映像の質は悪く、それが却って終戦時ドキュメントとの感じを醸し出してリアルさを出す効果を上げているようにも感じました。2時間30分の大作でしたが、全編行き詰まる緊迫感が漂い、ハラハラ・ドキドキの連続で、この長時間があっと言う間に過ぎ、見終えて午後11時30分頃には、グッタリと疲れ、しばし席を立てない状況でした。これもどこかで観た様なシーンがあり、或いは封切り時の昭和42年に映画館で見ていたのかも知れません(^^;)。

○映画の中で、これだとシッカリと記憶に残ったのは、陸軍大臣阿南惟幾役三船敏郎氏と海軍大臣米内光政役山村聰氏の8月14日閣議での終戦の詔書(大東亜戦争終結ノ詔書、戦争終結ニ関スル詔書)文言検討会議での論争です。「戦勢非にして」との文言に阿南が異議を申し出、米内がこれに猛反対し、両者の議論が白熱して、会議の進行がストップします。

○以下、三船阿南陸軍大臣と山村米内海軍大臣の遣り取りです。
陸軍大臣;開戦以来3年半、陸軍は小さな島々で戦っただけで一度も本格的な会戦をやっておらん
     本土決戦こそ、その会戦と称すべき勝負であった
海軍大臣;では陸相はこれまでの戦争をことごとく小さな局地戦にすぎぬと言われるのか
     20万5000の兵力を投入してそのうち戦死者20万…フィリピンレイテ島のこの悲惨な戦闘を単に補給戦に負けたに
     すぎぬと陸相はその責任を他の部門に転嫁されようとするのか?
      (中略)
     沖縄には10万2000を投入して9万 いや沖縄では軍人だけでなく9万2000の一般国民までが…
陸軍大臣;私の言いたいのもその点である!多くの者がなぜ涙をのんで死んでいったのだ 結果的な批判は何とでも言える
     しかしこれは誰にしても日本を愛し日本の勝利を固く信じたればこそのことである
     然るに負けたというこの「戦勢非にして」ではこれまで死んでいった300万の人々に対し何と申し訳が立つ?
     またいまだに戦っている700万の部下には何としてでも栄光ある敗北を与えてやらねばならぬ
     それがせめてもの我々の責務ではないか!
     これはあくまで「戦勢非にして」ではなく絶対に「戦局好転せず」と訂正すべきである
海軍大臣;いやあなたがどのように言われようと私はそうは思わぬ!
     (中座して書記官長に対し)
     よんどころない用事があって中座する、しかし「戦勢非にして」ですよ絶対に…
     負けたことは率直に国民に知らせるべきだ いいね この期に及んでまで国民に嘘はつけない


○結構激しい遣り取りがあり、海軍大臣は中座して海軍省に戻りますが、海軍省から帰ると、会議室に入るまでは苦悶の表情を浮かべながらも、会議室に入ると、あっさり、陸軍大臣に「戦局好転せず」に同意すると伝えます。官長が、つい先ほどまであれほど猛反対していたのにと、確認を入れると鈴木貫太郎首相がすかさず、「書記官長 そのとおりに これは訂正しましょう」と断言して、会議が動き出しました。

○「全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言」したポツダム宣言受諾を決定したのですから、受諾理由が「戦局好転せず」でも「戦勢非にして」でも、無条件降伏が決まっており、どちらを用いても結論は変わず、どっちでもよいものでした。陸軍大臣が大まじめに何としても「戦局好転せず」とこだわることに対し、海軍大臣が「戦勢非にして」にこだわるも大人げないとと思いましたが、最後は、海軍大臣が折れ、文言検討会議は動き出しました。

○この論争での、「これまで死んでいった300万の人々に対し申し訳が立たない」との思いが強すぎて、敗戦が認められず、ズルズルと泥沼から抜けられなかった当時の状況が良く判りました。反乱軍となった若い将校たちもしきりに「これまで散った300万の英霊に対し」との言い訳をしていました。300万の英霊としては、「犠牲は我々だけでよい、もうこれ以上の犠牲は出さないで欲しい」との意見もあったはずですが、当時の人々、特に軍人はここまで思い至るのは困難だったのでしょう。

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