平成24年 1月 9日(月):初稿 |
○「NHK大河ドラマ50年に振り返る我が人生の来し方1」を続けます。 昭和62年「独眼竜政宗」の後、昭和63年「武田信玄」から平成6年「花の乱」までは、平成元年「春日局」を除いて、殆ど記憶になく、おそらく観ていなかったものと思われます。「春日局」主演大原麗子氏は、目元の涼しさに憧れた比較的好きな女優さんでした。この間、大河ドラマを殆ど観なかったのは、演じる役者に殆ど興味が持てなかったからと思われます。特に平成4年「信長 KING OF ZIPANGU」では、大好きな緒形拳氏長男緒形直人氏の信長が余りに高橋幸治信長のイメージと異なりすぎて、ガッカリして数回観ただけで止めてしまいました。 ○昭和60年から平成元年までの5年間は、我が人生で最も辛く苦しい日々でした。昭和58年1度目の結婚をして翌昭和59年8月長女をもうけるも出産で実家に戻った前妻はそのまま私のところへは殆ど戻らず、昭和60年5月離婚届提出を余儀なくされ、わが子と会えなくなった悲しみで離婚後3年間は1日一度はわが子を思い涙を流す辛く厳しい日々が続きました。しかし、この時期のたうち回って苦しんだことが我が人生の大いなるこやしになり、鶴亀通信やこのHP作りが出来る原動力となりました。 ○平成7年「八代将軍吉宗」から平成23年「江~姫たちの戦国~」までは、平成11年「元禄繚乱」、平成17年「義経」を除いて熱心に殆ど欠かさず観ていました。「義経」は最初の数回だけで殆ど観なくなり、「元禄繚乱」は、観たり観なかったりと言う程度で、何故、この2作だけ熱心に観なかったのか不思議ですが、どうも主演の役者に対する興味が薄かったからのようです。 ○平成7年から平成23年までの17話の中で特に印象に残っているシーンが多いのが、平成8年竹中直人秀吉、平成12年葵徳川三代西田敏行秀忠、平成14年香川照之秀吉、平成19年市川亀治郎信玄等です。私が一番興味を感じる歴史は、秀吉から徳川時代初期のようです。その意味で、平成23年「江~姫たちの戦国~」は、余りに史実とかけ離れた描き方に、これはちとひどすぎると感じながらも、最後まで欠かさず観てしまいました。 ○前記の通り、昭和60年(34歳)から平成元年(38歳)までの5年間は、私生活は悲惨なものでした。自分自身に対してスッカリ自信を失った結果、人に会うのも嫌になり、弁護士稼業もパッとせず売上低迷も続きました。それが持ち直した最大の原因は、平成元年11月に至っての新たな出会いと平成3年2度目の結婚、平成5年長男の誕生であり、その間、生涯の友となるデータベースソフト桐との出会いでした。このデータベースソフト桐との出会いは業務改善・合理化・省力化にとてつもない力を与えてくれ、また、桐を通じての人間関係の膨らみも我が人生では大いなる収穫でした。 ○平成2年長男誕生の年(42歳)から事務所売上も伸び始め、平均売上も30代10年間が40代10年間では2.3倍に膨れ、更に50代10年間は40代10年間の1.6倍と順調に伸びましたが、この結果は、2度目の結婚で家族に恵まれたことが最大原因ですが、昭和60年(34歳)から平成元年(38歳)までの悲惨な5年間の経験から学んだこと、また、業務合理化の面ではデータベースソフト桐を通じて業務の合理化・省力化の工夫を、これでもか、これでもかと繰り返したことが大きかったものです。また桐師匠【多遊】さんを始め桐を通じて膨らんだ人脈、そして、「自己に甘く,他に厳しく!」をモットーとするとんでもないボスにも拘わらず、長く勤務を継続して協力してくれている事務局各位のお陰と感謝しております。 以上:1,502文字
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