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中島敦の山月記2-李徴が虎になるまでのいきさつ

平成21年 3月16日(月):初稿
○中島敦氏の山月記を続けます。
 虎となった李徴は、袁サンの呼び掛けに応え、叢(くさむら)の中から話を始め、虎になるまでのいきさつを告白します。告白では、1年程前旅に出たときの夜、誰かの呼ぶ声に応じて走り出し、山中を駆けていくにつれ、人間から虎になっていることに気付いたが、1日の内一定時間は人間の気持ちを取り戻すが、この人間に戻る時間が日に日に少なくなってきたとのことです。

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 叢の中からは、暫(しばら)く返辞が無かった。しのび泣きかと思われる微(かす)かな声が時々洩(も)れるばかりである。ややあって、低い声が答えた。「如何にも自分は隴西の李徴である」と。

 袁サンは恐怖を忘れ、馬から下りて叢に近づき、懐(なつ)かしげに久闊(きゅうかつ)を叙した。そして、何故(なぜ)叢から出て来ないのかと問うた。李徴の声が答えて言う。自分は今や異類の身となっている。どうして、おめおめと故人(とも)の前にあさましい姿をさらせようか。かつ又、自分が姿を現せば、必ず君に畏怖嫌厭(いふけんえん)の情を起させるに決っているからだ。しかし、今、図らずも故人に遇(あ)うことを得て、愧赧(きたん)の念をも忘れる程に懐かしい。どうか、ほんの暫くでいいから、我が醜悪な今の外形を厭(いと)わず、曾て君の友李徴であったこの自分と話を交してくれないだろうか。

 後で考えれば不思議だったが、その時、袁サンは、この超自然の怪異を、実に素直に受容(うけい)れて、少しも怪もうとしなかった。彼は部下に命じて行列の進行を停(と)め、自分は叢の傍(かたわら)に立って、見えざる声と対談した。都の噂(うわさ)、旧友の消息、袁サンが現在の地位、それに対する李徴の祝辞。青年時代に親しかった者同志の、あの隔てのない語調で、それ等(ら)が語られた後、袁サンは、李徴がどうして今の身となるに至ったかを訊(たず)ねた。草中の声は次のように語った。

 今から一年程前、自分が旅に出て汝水のほとりに泊った夜のこと、一睡してから、ふと眼(め)を覚ますと、戸外で誰かが我が名を呼んでいる。声に応じて外へ出て見ると、声は闇の中から頻(しき)りに自分を招く。覚えず、自分は声を追うて走り出した。無我夢中で駈けて行く中に、何時(いつ)しか途は山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は左右の手で地を攫(つか)んで走っていた。何か身体(からだ)中に力が充(み)ち満ちたような感じで、軽々と岩石を跳び越えて行った。

 気が付くと、手先や肱(ひじ)のあたりに毛を生じているらしい。少し明るくなってから、谷川に臨んで姿を映して見ると、既に虎となっていた。自分は初め眼を信じなかった。次に、これは夢に違いないと考えた。夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、自分はそれまでに見たことがあったから。どうしても夢でないと悟らねばならなかった時、自分は茫然(ぼうぜん)とした。そうして懼(おそ)れた。全く、どんな事でも起り得るのだと思うて、深く懼れた。

 しかし、何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判(わか)らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。自分は直(す)ぐに死を想(おも)うた。しかし、その時、眼の前を一匹の兎(うさぎ)が駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中の人間は忽ち姿を消した。

 再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分の口は兎の血に塗(まみ)れ、あたりには兎の毛が散らばっていた。これが虎としての最初の経験であった。それ以来今までにどんな所行をし続けて来たか、それは到底語るに忍びない。ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心が還(かえ)って来る。そういう時には、曾ての日と同じく、人語も操(あやつ)れれば、複雑な思考にも堪え得るし、経書(けいしょ)の章句を誦(そら)んずることも出来る。その人間の心で、虎としての己(おのれ)の残虐(ざんぎゃく)な行(おこない)のあとを見、己の運命をふりかえる時が、最も情なく、恐しく、憤(いきどお)ろしい。

 しかし、その、人間にかえる数時間も、日を経るに従って次第に短くなって行く。今までは、どうして虎などになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気が付いて見たら、己(おれ)はどうして以前、人間だったのかと考えていた。これは恐しいことだ。今少し経(た)てば、己(おれ)の中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋(うも)れて消えて了(しま)うだろう。ちょうど、古い宮殿の礎(いしずえ)が次第に土砂に埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分の過去を忘れ果て、一匹の虎として狂い廻り、今日のように途で君と出会っても故人(とも)と認めることなく、君を裂き喰(くろ)うて何の悔も感じないだろう。

 一体、獣でも人間でも、もとは何か他(ほか)のものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか? いや、そんな事はどうでもいい。己の中の人間の心がすっかり消えて了えば、恐らく、その方が、己はしあわせになれるだろう。だのに、己の中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐しく、哀(かな)しく、切なく思っているだろう! 己が人間だった記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じ身の上に成った者でなければ。ところで、そうだ。己がすっかり人間でなくなって了う前に、一つ頼んで置きたいことがある。


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