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15年以上の間の過去の扶養料請求を認めた審判例紹介2

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平成29年 9月27日(水):初稿
○「15年分以上の過去の扶養料請求を認めた審判例紹介1」の続きです。
申立人が扶養した期間は、昭和34年6月から昭和50年1月で15年以上に渡りますが、扶養料請求権の発生を認めたのは、その期間全部ではなく、実際に扶養をしたと認定されたそのうちの79ヶ月間だけのようです。


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第8 上記認定事実によれば、事件本人は昭和34年以来扶養を必要とする状態にあつて同人は那覇市において申立人から扶養され生活の支給を受けた期間は次のとおりであるということができる。
昭和34年6月から同年12月まで 6か月
(計算の便宜上昭和34年6月1日から同年11月末日までとする)
〃 37年7月から同年12月まで 6か月
(計算の便宜上昭和37年7月1日からとする)
〃 38年1月から同年7月まで 6か月
(計算の便宜上上記のとおり昭和37年7月1日からとしたので昭和38年6月末日までとする)
〃 39年8月から同年12月まで  5か月
〃 40年1月から同年12月まで 12か月
〃 41年1月から同年12月まで 12か月
昭和42年1月から同年12月まで 12か月
〃 43年1月から同年12月まで 12か月
〃 44年1月から同年7月まで   7か月
〃 49年12月から同50年1月まで 1か月
(計算の便宜上昭和50年1月1日から同年同月末日までとする)
計 79か月

 事件本人が△△サナトリウムに入院した昭和46年7月24日から医療扶助を受けた昭和47年10月1日の前日までの生活費は、申立人請求の入院費用中に含まれるので、上記入院期間は生活費の支給を受けた期間としては計上しない。

第9 上記各期間における事件本人の生活費を直接認定するに足る明確な資料はないので、統計資料から算出するのほかはない。
 労働科学研究所の調査結果によると、昭和27年における東京都の軽作業に従事する60歳未満の既婚男子の最低生活費は月額7000円であり、同主婦のそれはその80%即ち5600円である。東京都区部における消費者物価指数は昭和45年を100とすれば、昭和27年は46であるから、昭和45年における東京都区部の主婦の最低生活費は
 5600円×100÷46=1万2174円である。
 沖縄県企画調整部統計課の調査結果による那覇市における物価指数の推移は、
(図一)
であり、これは昭和50年を100としたものであるから、昭和45年を100とすれば、次のとおりとなる。
(図二)
総理府統計局発表にかかる昭和49年度における消費者物価指数の地域差指数は東京都区部を100とすれば、那覇市は96.4であり、昭和45年度における東京都区部の消費者物価指数を100とすれば昭和49年度は152.7であるから、これらの率によつて、上記那覇市における物価指数を換算すれば
(図三)
となり、これが東京都区部における昭和45年度の物価指数を100とした場合の那覇市における物価指数である。

 東京都区部における昭和45年の主婦の最低生活費は前記のとおり月1万2174円であるから、これを上記表に基いて那覇市における各年度の最低生活費を算出すると次のとおりである。
昭和34年 6550円
昭和37年 6951円
〃 38年 7146円
〃 39年 7341円
〃 40年 7463円
〃 41年 7889円
〃 42年 8364円
〃 43年 8546円
〃 44年 9301円
〃 50年 2万0343円

これは労研の最低生活費である。ちなみに、昭和50年4月の一級地の45歳女の第一類生活扶助額は1万4330円であり、その2倍は2万8660円であるから、本件において標準家庭の最低生活費は上記各金額の1.5倍とするのが相当である。

 そうすると、上記金額にそれぞれ1.5倍すれば、次のとおりである。
昭和34年 9825円
〃 37年 1万0427円
〃 38年 1万0719円
〃 39年 1万1012円
〃 40年 1万1195円
〃 41年 1万1834円
〃 42年 1万2546円
〃 43年 1万2819円
〃 44年 1万3952円
〃 50年 3万0515円

事件本人は昭和5年3月24日生の主婦であるから、同人が申立人から扶養を受けた上記の期間の生活費は上記の割合によるもので、申立人は、これを負担したものということができる。これを、事件本人が申立人から扶養を受けた月別に記載すると別紙計算表中生活費の欄記載のとおりである。

第10 申立人は、事件本人のために沖縄における医療費として金18万円を支出したと主張している。事件本人は昭和34年6月から昭和50年1月までの間、精神病に罹患しており、申立人に扶養されていた上記79か月のうち、同疾病を治療するため△△病院や××病院に入院し、その余は通院したものであるが、同治療に要した費用の領収書は提出されていない。そこで、上記金額を79か月で割れば2278円となつて38円余る。

 事件本人が上記79か月の間1か月平均2278円以上の治療費を要したことは一件記録によつて認めることができる。そして、上記期間内において何時上記医療費18万円を支出したかを認めるに足る証拠はないので、上記79か月間に別紙計算表中医療費の欄記載のとおり毎月2278円(最終の昭和50年1月にはこれに38円を加えて2316円)宛が事件本人の医療費として申立人によつて支払われたものとして計算するよりほかはない。

第11 申立人は事件本人を△△サナトリウムに入院させ、そのために25万4191円を支出した旨主張するので検討する。
 事件本人が昭和46年7月24日から昭和49年12月19日まで神戸市所在の△△サナトリウムに入院し、申立人が入院当初から昭和47年9月末日までの入院費用を負担したことは前に認定したとおりである。昭和46年7月24日から昭和47年9月15日までの入院費用等の経費については、△△サナトリウム発行の医療費請求書、小遣領収書等の写が提出されている。

 事件本人が医療扶助を受けたのは昭和47年10月1日からであるから同年9月16日から同月末日までの入院料及び薬価代請求書一枚がある筈であるのに当裁判所には提出されていない。同期間以前の医療費請求書の記載からして、同半月間においても入院料は6930円、薬価は少くとも2000円以上は要したものと考えられるので、同期間の医療費は8930円と認める。この認定事実および上記請求書等の記載によれば、申立人が立替えた代金は計24万7570円でその月別の内訳は別紙計算表中昭和46年7月から昭47年9月までの医療費の欄に記載したとおりであることが認められる。

第12 申立人は事件本人のために、生活費、医療費のほかに、雑費として20万円を支出したと主張する。
 この20万円を事件本人が沖縄にいた79か月で割ると、2531円となつて51円余る。事件本人は精神病者であるからその外出には附添を要したであろうし、また病状が悪化したときは入院或は通院にタクシーを利用したであろうことは容易に推測でき、また一件記録によれば、事件本人が沖縄と相手方のいる大阪市とを往来するについて申立人が度々その旅費を支払つたことが認められるので、申立人が事件本人のために、事件本人が沖縄にいた上記79か月の間にその生活費や医療費のほかに毎月平均2531円以上の雑費を支出したことを認めることができる。

 そして上記期間内において、上記雑費20万円を支出した時を認めるに足る証拠はないので、申立人は事件本人のために、生活費や医療費のほかに、雑費として上記79か月の間に、別紙計算表中雑費の欄に記載したとおり毎月2531円(最終の昭和51年1月にはこれに51円を加えて2582円)宛の支払を余儀なくされたものとして計算することとする。

第13 次に、相手方の扶養余力について考える。
1 調査の結果によれば、次の事実が認められる。
 相手方は昭和29年事件本人と結婚した頃、相手方の肩書住所で自転車に××を積んで小売店に卸して歩く××の卸商を始めたが、×の相場の変動がはげしく、経営不振を来し、昭和42年に廃業した。昭和42年までの収入は不明であるが、すべて生活費にまわして、世間並の生活は出来る程度ではあつた。

 昭和43年始めから昭和46年末頃までは、00として就職先を転々と変えたが、月収は約10万円位はあつた。昭和47年始めから、×の解体、卸商を始めて現在に至つているが、月収は約12万円位である。
(相手方の母ナツは、大阪市00区××△丁目△番△△に宅地35・80平方メートル、同所×番地×番地上所在家屋番号同町00番0、木造瓦葺二階建居宅、床面積一階25・25平方メートル、二階20・25平方メートルを、同父信彦は同所△番地上所在家屋番号同町△△、木造柿葺二階建共同住宅、床面積一階49・58平方メートル、二階49・58平方メートルを、それぞれ遺して死亡したが、未だ遺産分割はなされておらず、その相続人は、相手方を含めて九人であると考えられるので、これら不動産に対する相手方の取得分は僅かであるのみならず、その換金は容易でないと認められる。よつて、本件においては、これら不動産に対する相手方の取得分を直接の資源としては考慮しないこととする。)

2 上記事実によれば相手方の昭和34年から昭和42年までの間の収入額は明かでないが、世間並の生活が出来たことその他諸般の事情からして、この間は事件本人のために申立人が支出した別紙計算表(略)記載の生活費、医療費・雑費の支払能力を有していたものと認めるを相当とする。

 昭和43年ないし昭和46年までの間の相手方の収入は月10万円で、昭和47年ないし昭和50年までの間のそれは月12万円である。これで相手方と事件本人、長男信茂(昭和30年8月1日生)、三男信宗(昭和32年12月24日生)、長女ノブ子(昭和35年3月19日生)、二女栄子(昭和36年11月9日生)の6人が生活しなければならないのである。

 労研方式によつて、この間の消費単位を相手方135、事件本人80、長男信茂昭和43年、44年85、昭和46年47年95、昭和50年105、三男信宗昭和43年44年60、昭和46年47年85、昭和50年95、長女ノブ子昭和43年44年46年60、昭和47年80、昭和50年90、二女栄子昭和43年44年55、昭和46年47年60、昭和50年80として、各年度における事件本人の生活費を算出すれば、昭和43年と昭和44年とは、いずれも月1万7021円、昭和46年は月1万5534円、昭和47年は月1万7944円、昭和50年は月1万6410円となる。

 事件本人が△△サナトリウムに入院したのは昭和46年7月24日である。相手方は月1万5534円の割合で事件本人のために同年同月23日までの生活費1万1、525円を負担ずみであるから、同月24日から同月末日までの間において、相手方が負担し得る事件本人の生活費は残4009円だけである。

 上記各金額が、相手方において負担できる事件本人の生活費等の限度である。この相手方の負担額を表にすれば別紙計算表(略)中負担能力の欄に記載したとおりである。

第14 そうすると、事件本人が那覇市にいて申立人から扶養されていた上記79か月間及び事件本人が△△サナトリウムに入院していた昭和46年7月から昭和47年9月までの間に申立人が事件本人の扶養料として支出した額は別紙計算表(略)中生活費、医療費及び雑費の各欄に記載した金額でその合計は同表中計の欄に記載したとおりであり、この内相手方が負担しなければならない額は同表中負担能力の欄に記載した額である。

 相手方は申立人より先んじて事件本人を扶養しなければならないのであるから、申立人が事件本人の扶養料として支払つた毎月の金額が、相手方の毎月の負担能力の範囲内であれば、相手方は申立人が支払つた金額を不当に利得しているもので申立人に対して、その支払額の全額を償還しなければならず、申立人の支払額が相手方の負担能力を超えておれば、同負担能力の限度で、不当に利得しているものとして相手方は申立人に対し、償還義務があるものといわなければならない。


 相手方の各月の償還金額は別紙計算表(略)中求償可能額欄記載のとおりである。この欄の合計は金151万7915円である。

第15 沖縄県が日本に復帰したのは昭和47年5月15日であり、それまでは沖縄県においてはドルだけが使用されていたのであるから、それまでの間に同県において申立人が事件本人を扶養するために支出したのはドルであつて日本円ではない。そこで、上記日本復帰までの間に申立人が相手方のために立替えた扶養料を算出するには、申立人が同県において現実に支出したドルの額を認定し、これを当時の為替相場に従つて日本円に換算しなければならないものであるが、諸般の情況によれば、申立人が事件本人のためにドルによつて現実に支出した生活費等は、上記日本円によつて計算した生活費等とほぼ同じであることが認められるので、本件においては、すべて日本円のみによつて計算することとした。

第16 申立人が相手方のために立替えて支払つた事件本人の昭和34年6月から昭和50年1月までの扶養料中、相手方に償還の請求ができるのは前記のとおり金151万7915円であり、申立人は相手方から、その中1万円の支払いを受けているので、これを差引き申立人は相手方に対し、残金150万7915円の償還を求めることができるものということができる。

第17 申立人が主張する事件本人に対する立替扶養料について、相手方との扶養の順序及び相手方が負担する扶養の程度についての当裁判所の判断は上記のとおりであるが、本件で問題となつているのは、申立人が支払つた過去の扶養料についてであるから、これらを主文に記載する必要はなく、家事審判規則98条49条に則り、主文のとおり審判する。(家事審判官 常安政夫)


以上:5,753文字

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