平成11年11月11日(木):初稿 平成17年 1月 8日(土):更新 |
父の死と葬儀父の死と葬儀平成11年9月22日から腎機能が殆どなくなり、気仙沼公立病院に入院して人工透析治療を継続していた父が、11月5日肺炎を併発し、翌11月6日午後6時53分、妻と3人の子供全員に見とられながら永眠しました。享年87歳でした。 ご厚誼・ご芳情賜りました皆さんにはこの場を借りて心より御礼申し上げます。 私にとって初めての身内の葬儀の経験で、数多くの失敗を繰り返し、葬儀とは面倒なものだと実感した次第です。何方でもいつかは、身内の葬儀に遭遇するものです。何らかのご参考に私の失敗例をご紹介します。但しこれはあくまで気仙沼地方の慣習で、他の地域の方々には参考にならないかも知れません。地域によって慣習は相当異なるようです。 結構長文になりましたので、興味のある方のみお読み下さい。 失敗例1-葬儀日程は親類が決めるもの 死後看護婦さんから、以後の段取りを書いた書面を交付されました。午後8時30分から病院内で清めの儀式が始まるので、それまでに病室から個人の荷物等を片づけ、故人に着せる着物、布団等を準備するように指示されました。 そして午後9時病院から自宅へ遺体搬送。自宅には連絡を受けた親戚や、近所の方々が集まって今後の段取りを協議中でした。 せっかちな私は、直ちに菩提寺法玄寺と市役所に電話し、長姉と母の確認を取って、8日午後1時30分からの火葬と9日午後3時からの本葬を手配しました。喪主である兄(長姉の夫で父の養子)が漁船員で、先日出漁に当たり、私に父がもしものことがあったら宜しく頼むと念を押されていたので、段取り等決めたのです。 ところが、それを聞いた次姉から、「葬儀等の段取りは親戚達が決めるもので、遺族が勝手に決めるものではない」を強く叱られました。そこで親戚達には、手配した時間が空いているとの話ですがと報告すると、それではその段取りでやりましょうということになり、一件落着しましたが、端(はな)から失敗の始まりでした。 私は葬儀の段取りは当然遺族が決めるものと思っていましたが、気仙沼の慣習では親戚の指示に任せることを初めて知りました。 失敗例2-親類と親戚の違いあり 新聞に出す死亡公告文に親類代表と親戚代表の記載が必要であり、その違いが分からず恥をかきました。辞書を引いてもその違いは明確でありませんが、父の場合は父方甥(父の兄の長男)が親類代表、母方甥(母の兄の長男)が親戚代表になりました。 失敗例3-焼香客を立って見送ってはならない。 仮通夜、通夜等遺族は祭壇側に正座して弔問を受けます。長く正座していると尻と足が痛くなり大変です。私は自分の知合いの焼香客は、足を休める意味もあり立って玄関先まで見送りましたが、母から途中で強く戒められました。遺族は焼香客を決して立って見送ってはならないそうです。理由はいまいち分かりません。 失敗例4-生き物は殺すな 通夜の晩、戸を開けていたら蛾が飛び込んできました。私は、直ぐ始末しようと追いかけましたが、なかなか捕まらず、はえ叩きを探したところ、通夜においては生き物は決して殺していけないと叱られました。理由は故人の魂が蛾となって飛び回っているかも知れないからだそうです。 失敗例5-死亡当日は故人と一緒の部屋に寝る 父が死去した土曜日は宿泊(単に見舞で父の死は全く予定していませんでしたが)のホテルを取っておりました。実家宿泊では妻が気を使うからです。遺体を祭壇予定の部屋に仮祭壇の後ろに安置し、ホテルに帰ろうとしたら叱られました。翌日火葬であり、一晩中線香を絶やさないように見守り、出来るだけ故人と一緒にいなければならないとのことです。妻と子供はホテルに帰し、私は仮祭壇の前に服を着たまま座布団の上に毛布を掛けて寝ましたが、殆ど眠ることが出来ず、翌朝は朦朧としていました。 失敗例6-葬儀社の言いなりになるな。 死去翌日の日曜朝葬儀社が今後の段取りの説明、祭壇・棺等の見積に来ました。祭壇・棺等何れもこの位が妥当と言われたものをそのまま注文しました。もっと安いのにして下さいとは到底言えない雰囲気です。火葬後、菓子屋で葬儀に詳しい同級生から最高級の棺とはさすが弁護士随分気を張ったなと揶揄されました。失敗したと思っても後の祭りです。葬儀社からは一番高いランクのものだけ説明され、選択の余地が与えられませんでした。選択のための情報を得ておく必要があります。 失敗例7-火葬当日まで遺骨と一緒の部屋に寝る。 葬儀社との段取り終了後、直ちに仙台に戻り、礼服等を持って午後気仙沼に戻ると祭壇が出来、遺体は立派な棺に納められていました。仮通夜が始まり、遺族は正座したまま焼香客の応対・挨拶を繰り返します。時間が経つほどに足と尻が痛くなり結構大変です。前日の寝不足もあり、すっかり疲れてその晩は、妻子とホテルに泊まりました。 翌日月曜日は午後火葬でした。火葬後遺骨を祭壇に安置し、本通夜が始まり、正座したままでの焼香客の応対・挨拶に疲れ、その晩も疲れた私は、その日はホテルに帰りました。 すると後日姉達から、一人息子のくせに父が家にいる最後の日(火葬の日)に父と一緒の部屋に寝ないとは何と不人情な奴だとさんざん嫌みを言われました。 以上:2,133文字
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