平成30年 3月25日(日):初稿 |
○日弁連「HP」の「基礎的な統計情報(弁護士白書2017年版等から抜粋)」を眺めている内に感じた久しぶりに法曹養成の話題です。 私が仙台弁護士会に入会した昭和55年当時、仙台弁護士会で親子健在の親子弁護士で法律事務所を営んでいる例は、ザッと見て3,4組でした。当時仙台弁護士会会員数は110名くらいだったと記憶しています。それが38年経た平成30年3月現在、親子健在で親子弁護士で法律事務所を営んでいる例は、私と同じビルだけで2組います。随分親子弁護士例が増えたのではと感じていました。 ○しかし、平成30年仙台弁護士会会員数は、454人です。昭和53年当時から4倍になっていますので、仮に昭和55年4組の4倍とすれば、少なくとも16例はありそうなところ、これもザッと見ると14,5組でした。会員数の増加ぶりから見ると、親子弁護士の例が特に増えては居ないようです。私の先輩だけでなく、後輩弁護士も、その子が弁護士になり親子弁護士で経営している事務所が結構増えており、我が身の老いを実感する今日この頃です(^^;) ○司法改革によって平成16年から法科大学院制度が導入されましたが、その法科大学院志願者数推移が日弁連HPに掲載されています。 ○昭和45(1970)年からの司法試験後各社数の推移も日弁連HPに掲載されています。 私が合格した昭和52(1977)年の合格者数は、「昭和52年10月8日ようやく宿願果たす」記載の通り、465人でしたが、当時の河北新報記事によると受験者数は、2万9214人となっています。合格まで2年間論文の通信添削指導を継続して頂いた故U先生には、気仙沼で一人で勉強していても、隣で3万5000人の受験生が勉強していることを忘れないことと、ハッパをかけられ続け、いつも3万5000人は司法試験挑戦者がいると思い込んでいました。 ○法科大学院志願者数推移を見ると平成16年は7万2800人の志願者がおり、旧司法試験の挑戦者も合わせれば少なくとも8万人以上の司法試験挑戦者がいたものと思われます。ところが、平成29年度法科大学院志願者数は8159人に激減し、既に旧試験はなくなっていますので、この数字が全司法試験挑戦者数になります。法曹志願者数は、一時期の10分の1に激減したことになります。 ○司法試験挑戦者即ち法曹志願者が減ることは、法曹界に入る優秀な人材も減ることにもなります。こんなことになったのは、経済的側面での弁護士業務の魅力がなくなったことも原因のひとつですが、最大の原因はお金のかかる法科大学院制度及びこれに伴う受験制限にある確信しています。旧試験のように誰でも、何回でも受験できるよう法科大学院制度は変えて貰いたいと念願しているところです。 以上:1,128文字
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