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仙台弁護士会平成29年物故会員追悼会-恩師沼波義郎先生を偲びます

平成29年10月22日(日):初稿
○平成29年10月21日は、仙台国際ホテルで仙台弁護士会物故会員追悼会が開催されました。物故会員追悼会は、10年毎にその年の8月末日までの過去10年間に逝去された会員を追悼するものです。私が仙台弁護士会に入会したのが昭和55年ですから、以前は平成19年、平成9年、昭和62年の3回開催され、出席しているはずですが、殆ど記憶がありません(^^;)。

○今回配布された物故会員追悼録を見ると私が入会した昭和55年以降に逝去された会員数は71名です。物故会員追悼会は、平成29年22名(平成20~29年)、平成19年22名(平成10~19年)、平成9年11名(昭和63~平成9年)、昭和62年19名(昭和53~昭和62年)の会員を追悼しています。

○平成29年追悼会は、私の身近でお世話になった方々が3名も居て、追悼委員会からその3名の追悼のことばを述べるよう指示され、ご遺族の席に同席したため思い出に残る追悼会となりました。3名の筆頭は、私が初代勤務弁護士として勤務した恩師沼波義郎先生です。沼波先生には、司法修習生の昭和53年8月から4ヶ月間弁護修習でご指導を受け、昭和55年4月から2年1ヶ月勤務弁護士としてお世話になりました。

○沼波先生の凄いところが、腎臓病で40歳頃から人口透析を受けながら、平成29年2月17日亡くなられるまで、激務の弁護士業務に邁進し続け、78年の生涯を全うされたことです。透析を受ける方は、透析を受け始めた年齢での余命年齢が平均の2分の1になるとのことです。それが激務の弁護士業務をこなしながら、78年の人生を全うしたことは、人口透析を受けている方々の大きな励みになります。

○私の勤務時代、1回だけ体調を崩されて入院されたことがありましたが、その後も、時々体調を崩されながらも、その都度強靱な意志で克服し、78年間弁護士業務を継続されたことは、正に偉業でした。平成29年5月日弁連定期総会では弁護士50年表彰を受ける予定が叶わなかったのが痛恨の極みでした。以下、門下生代表としての弔辞を掲載します。

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一 弁護士としてのご経歴等
 沼波義郎先生の初代勤務弁護士として門下生を代表してお別れの言葉を述べさせて頂きます。
 沼波義郎先生は、昭和36年3月東北大学文学部を卒業後、国家公務員を務めながら、昭和39年10月、司法試験に合格し、昭和42年4月、弁護士登録をされ、勅使河原安男先生の事務所に勤務された後、沼波法律事務所を開設され、弁護士登録以来、50年の長きに渡り、弁護士業務を継続され、本年5月27日、日弁連定期総会で弁護士勤続50周年表彰を授与されることになっていました。
 この50周年勤続の間に多くの司法修習生を指導し、また、初代の私を始め多くの勤務弁護士を採用し、弁護士として育成して頂きました。
 残念ながら、先生は健康には大変ご苦労され、35年前から透析療法を受けておられました。透析療法を35年間も継続しながらの激務の弁護士業務50年継続は、正に後生に伝えられるべき偉業であります。

二 沼波先生との出会い
 私は、沼波先生とは昭和53年7月に、沼波先生の2人目の司法修習生として初めて出会いました。初めて会ったときの沼波先生は、大変失礼ですが、ぶっきらぼうで、なんか怖い先生だなと感じ、4ヶ月の弁護修習の厳しさを覚悟しました。しかし、4ヶ月の修習期間中、大変ご気遣いを頂き、実は、見かけによらず、とても他人に優しいご気遣いの方と実感いたしました。
 私は郷里が気仙沼で、司法修習終了後直ぐに気仙沼で開業しますと先生に話していました。ところが、沼波先生から修習終了間際に気仙沼に帰る前に私の事務所で勤務してくれないかとお声掛けを頂きました。そこで気仙沼でいきなり独立するより沼波先生の元でシッカリ勉強してから気仙沼に戻ることにして2年と1ヶ月お世話になりました。その間、仙台でも何とかやれるかなと感じて、仙台で独立し、思いもよらず仙台でこれまで37年間弁護士業務を継続出来ました。

三 沼波先生の教え
 弁護修習時代から沼波先生の教えを受けましたが、凄いなと思ったのは、お客様を真摯に、徹底して大切にする先生の一貫した姿勢でした。お客様のためにここまで考えるのかと感嘆することが良くありました。私は、生来、気弱な引っ込み思案で、ときに張ったりも必要な弁護士には全く向かない性格でした。しかし、こんな私が、何とか、ここまで弁護士を継続できたのは、徹底してお客様を大事にする沼波先生に少しでも近づくべく努めた結果であり、正に、沼波先生に、司法修習生、勤務弁護士として鍛えて頂いたお陰でした。沼波先生には、いくら感謝しても感謝しきれません。

四 平成14年7月の一時事務所閉鎖と弁護士業務再開
 沼波先生は、健康状態の悪化で、平成14年7月、事務所を閉鎖することになり、先生の仕事を、我々門下生が分担して引き受けさせて頂きました。私と半澤・及川両弁護士3名で、社会保険病院に入院した先生を見舞いに行ったときのことを昨日のことのように覚えております。病室のドアの前でご夫婦の会話が聞こえました。沼波先生が、奥様にもう私はダメなので、あとは頼むと弱音を吐いておられました。これに対し、奥様が、あなた、そんなこと言わないでと、泣きながら懸命に励まされる遣り取りを聞いてしまったのです。
 このような奥様の励ましで、沼波先生は、不死鳥の様によみがえり、自宅を事務所として弁護士業務を再開され、お嬢様の手伝いも得て弁護士業務に復帰されたのには感嘆いたしました。いったん閉鎖した事務所再開後、更に10数年に渡り、弁護士業務を継続し、今回入院される直前まで法廷に出て、その事件の行く末を気にされていたとのことです。正に生涯現役を貫いての旅立でした。

五 毎年仕事納めの日の報告
 いつの頃からか、私と半澤・及川各弁護士3名の門下生は、毎年暮れの仕事納めの日に沼波先生のご自宅に伺ってその1年の報告をするのが恒例行事となっていました。先生には、奥様と一緒に我々の訪問を心から歓待して頂き、我々の報告を我がことのように喜んで聞いて下さいました。
 昨年12月28日に訪れたとき、平成29年5月27日は、先生の弁護士勤続50周年表彰式です、我々が車椅子を押しますので、是非、ご出席下さいとお願いすると、必ず出席すると約束して頂きました。表彰式終了後は、門下生でお祝い会を開催することを楽しみにしていました。
 それが実現出来なくなったことは、本当に残念でなりません。

六 終わりに
 一昨日、早朝、奥様から、先生が危篤との電話連絡を受け、驚いて病院に駆けつけました。
 奥様・お嬢様の心からの悲嘆ぶりに、先生はご家族からも心から愛されていたことを強く感じました。先生が50年間弁護士業務を継続できたのは、奥様・お嬢様の献身的な、強い支えがあったからこそと思います。これだけご家族から愛されて逝かれた先生は、本当に幸せな方だとも思いました。
 残された奥様・お嬢様には我々も少しでもお力になって、先生のご恩に報いられればと思っております。
 沼波先生、本当に長い間、お疲れ様でございました。
 どうぞ安らかにお休み下さい。

平成29年2月19日 門下生代表  弁護士 小 松 亀 一
以上:3,012文字

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