平成29年 5月15日(月):初稿 |
○「”男の中の男我が父、田中角栄”紹介-恬淡とした性格」の続きです。そこで「角栄氏本人が語った言葉が192頁から208頁まで16頁に渡って記載されています。特に周恩来氏との遣り取りは大変勉強になり感激しました」と記載していましたが、その備忘録です。 ・中国は共産主義体制を取っているが、その中で周恩来は卓越した行政官であるが、机に向かっているだけの行政官ではなく、革命運動や幾多の戦争を指導し、旧国民党との困難な折衝の矢面に立ち、蒋介石に何回も死刑を宣告し、逆に宣告されてきた ・私は世界の多くの指導者に会って話したけれど、周恩来は中でもずば抜けた人物で、正に傑物で、風雪に鍛え抜かれた百戦錬磨の政治家と思った、その証拠に中国は日米安保を是認して日中国交正常化にあたった ・初めて会った周恩来に蒋介石に対する思いを聞くと「蒋介石は世界に誇る中国人の代表の一人」ときっぱり言い、その理由として「第二次世界大戦で国の統帥権を連合国に委任しなかったのは蒋介石だけである」と言った ・周恩来に、中国は社会主義とは思わない、9億も10億もの人口を抱えて、飯を食わせ、食を与えるためにやっている便宜主義だと思っていると言ったら、周恩来は笑っていた ・世界における自由経済の第1はユダヤ、第2は華僑、その華僑と手を握り、中国本土で華僑に経済自立させ、中国をビッグ香港にすべきと言うと周恩来も同じ考えだった ・上海のボス4人組の一人帳春橋を説明役に上海の農村工場に立ち寄ったとき大勢の婦人労働者が周恩来を取り巻き抱きつき、涙を流し、大声で訴える姿を間近に観察した ・汚れた作業衣の婦人ひとりひとりの手を握り、肩を抱き、ポケットからハンケチを取り出して何人もの涙を拭いてやり、力強い口調で滔々と話していた周恩来の姿が私の脳裏に今も鮮烈に焼き付いている ・私達一向に追いつこうとする周恩来に沿道から拍手の渦が巻き起こった、帳春橋が手を握っても殆どの人が反応しない、私は周恩来が中国の指導者として交渉の相手だったことの幸福を思った、彼でなければ日中国交回復は成し得なかった ・周恩来の深い瞳の奥に宿った友情の誓いを、私は決して忘れない ○「正に傑物で、風雪に鍛え抜かれた百戦錬磨の政治家」とは、正に田中角栄氏もその一人と確信していますが、その田中角栄氏から同様に評価された周恩来首相は、正に本物の傑物なのでしょう。 ○ところが、石原「天才」113頁に毛沢東の中国の4番目の敵は「中国」との言葉に顔色が青ざめた周恩来について、「こと周に関してはアメリカの連中は希に見る秀才だとほめそやしていたが、何のことはない周もまた他の連中と同じで毛の足下にじゃれついているチンコロに過ぎないのだなと俺は判断していた」と前記本人の言葉からはあり得ないことを言わせています。一体、どちらが本当なのでしょうか。 以上:1,170文字
|