平成23年 4月25日(月):初稿 |
○「東日本大震災当日の状況-私の場合・友人知人の場合」を続けます。私の場合、大震災当日、名取市役所法律相談のため名取市に行ったまま震災後、私と全く連絡が取れなくなり、しかも名取市は閖上地区が壊滅状態となり、甚大な被害を受けたとのニュース報道で、私の身の安否を多くの方に心配されたようです。確かに大震災発生当時私が居た場所は、直ぐ近くまで津波が押し寄せたところでした。 仙台空港周辺、空港は意外に海に近い位置です、空港建物は海から直線距離で1㎞くらいでしょうか 大震災当時、私が居た仙台東部道路仙台空港IC近辺の道路、IC入口まで300m位のところでした しかし普通乗用車の助手席でしたので、自動車が横転するの程危険は感じることが無く、また、周囲に倒壊したら潰されると思うような建物等はなく、むしろ、マンション内部或いは、仙台市中心部のビル街に居た方が、危険の感じ方が強かったものと思われます。 ○大震災当日、仙台市内にいた弁護士さん方がどのように感じていたか興味があり、その記述のある仙台弁護士ブログを探してみると以下の通りでした。みなさん、結構な恐怖感を持たれたようです。 http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2011-03-14 外に出ても、しばらく地震は続いていました。バスが飛び跳ね、ビルがたわんでいます。マンションの多いところなのですが、新しいマンションほど、古いマンションに比べてしなっていて、今にもポキッと折れそうになっていました。最上階は、遠心力で、窓が開いた状態です。 http://www.ayame-law.jp/article/13937853.html その時、私は、事務所にいたのですが、もの凄い揺れで、いろいろなものが倒れ○○さんと一緒に身動きがとれず床にうずくまっていました。このまま建物が壊れてしまうのではないかと、生まれて初めて命の危険を感じました。 http://ameblo.jp/kano-lo/entry-10838068684.html 「わりと大きいかも知れない」との思いが走った。そのとたんガッー・ガッー・ガッーと大きく揺れだし、私は、昭和53年の宮城県沖地震を連想し、自分のすぐ後ろにある大きな本棚が倒れないように手で押さえていた。そして次に、バチッ!バチッ!バチッ!と大きな音を立てながらさらに激しく揺れ出した。その揺れは相当長く続いた。やがて色々な物がぶつかる音がし、私の支えていた本棚から大量の本が落ちるのが見えた。 http://www.kanzawa-lo.com/982/969772011330/ 未曾有の大災害に際し、何人かの所員がこの震災を記録に留めようと、各自で写真を撮影しておりました。 http://jsakano1009.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-aac1.html 宮城県がこれほどの大惨事に遭遇するとはいまだに信じられません。死ぬかと思いました。何かしたいが何をすればよいのか分かりません。 http://kameblog.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-c97a.html 未曾有の大被害に言葉もありません。事務所も自宅もそれなりの被害はありましたが、沿岸部の被害の酷さを見ると、命があっただけで幸いと思わずにいられません。 http://www.ssl-office.com/suzukibengoshi/2011/03/post-17.html 2011年3月11日14:46、当事務所では弁護士が依頼者の方とそれぞれ打合せ中でした。かなり大きな横揺れが、長時間継続し、本棚の書類が散乱しました。事務員達は先に、ビルの外に避難し、われわれも依頼者の方と停電して真っ暗な階段を歩いて降り、ビルの外に避難しました。 以上:1,594文字
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