平成19年11月 8日(木):初稿 |
○平成19年11月4日、突然、小沢民主党代表が辞意を表明し、世間を唖然とさせ、その後鳩山幹事長を初めとする民主党執行部が一丸となって慰留に努め、結局、11月7日小沢氏は正式に辞意を撤回して続投を表明しましたが、世間ではこの動きについて色々な評価が出ています。 ○11月8日付け河北新報政治欄によると、9月に「さる人物」から食事に呼び出されその席で自民党との大連立を薦められ、更に10月中旬に同じ人物から首相の代理人と会って欲しいと要請され、その代理人に会うと「首相も是非連立したいということだ。おれも本気だ。」と答え、首相サイドから党首会談の申し入れがあったとのことです。 ○その「さる人物」とは渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長で、首相代理人とは森喜郎元首相とされていますが、そのバックには大連立論者の中曽根康弘元首相が控えているのでしょうが、小沢氏がこの連立の話に乗ろうとしたのは、「庇で母屋を取る」ためだったと「頂門の一針」第988号で渡部亮次郎氏が解説し、「福田さん、危ないところだったね。」と結んでいます。 ○同じ「頂門の一針」第988号で古澤襄氏は、「壮絶なパワー・ゲームが演じられている。小沢一郎氏が描いた連立方程式は、政権担当能力がないと評される”ひ弱”な民主党が、次の選挙まで政権に加わり、総選挙では自民党と雌雄を決する起死回生の奇策であった。」と解説しています。 ○小沢氏の誤算は党首会談後大連立の提案を民主党執行部に図ったところ小沢氏以外の全員から一蹴されたことでしょう。誰一人自分の考えに同調してくれる人が居なくて、「オレがこれだけ国家・国民のことを考え苦労しているのに誰も判ってくれない。もう、代表なんてやってられるか。」とプッツンしたのかと思っていたら、記者会見で素直に、「張り詰めていた気持ちが途切れて『プッツンした』と言う精神状態に陥った。」と素直に認めていました。 ○あくまで推測ですが、スンナリ代表辞任が認められたら、小沢氏は、「こんな先の読めない連中と一緒にやっていけるか、オレはオレで同調者とフリーハンドでやっていく」と新たな動きを起こす気持ちもあったはずです。小沢氏には一定数の堅固な同調者がいるため、それでは民主党がガタガタになり、折角の参議院選大勝利も全く無駄になると、鳩山幹事長を初めとする執行部が一丸となって小沢氏を代表に引き留めたものと思われます。 ○私は小沢氏が代表に留まるかどうかは五分五分と見ていました。おそらく鳩山氏や管氏との間で報道されない遣り取りも合ったのでしょうが、意外に簡単に辞意撤回し、「プッツンした」などと公党の代表とは思えぬごく普通の方と同様の表現で真情を吐露して殊勝な反省の態度を示されたのは想定外でした。民主党にとってこれが衆議院選で吉と出るか凶と出るかは見通せませんが。 以上:1,161文字
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