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”マスクは人の目を気にして着用するものではない”紹介2

令和 4年 6月18日(土):初稿
○「”マスクは人の目を気にして着用するものではない”紹介1」の続きです。

○コロナウイルスは、エアロゾル感染と厚労省が明記しているとのことです。エアロゾルとは何かネット検索すると、日本エアロゾル学会の解説では「気体中に浮遊する微小な液体または固体の粒子をエアロゾル(aerosol)といいます。エアロゾルは,その生成過程の違いから粉じん(dust)とかフューム(fume)、ミスト(mist)、ばいじん(smokedust)などと呼ばれ、また気象学的には、視程や色の違いなどから、霧(fog )、もや(mist )、煙霧(haze )、スモッグ(smog )などと呼ばれることもあります。」とのことで、空気中に浮遊する、直径が0.001μmから100μmの粒子ということです。

○エアロゾル感染についてネット検索すると、「今回真偽が問題になっているエアロゾル感染について、世界的に統一された定義は存在しません。」なんて解説がありました。「世界中で認識が一致しているのは、咳やくしゃみとともに放出される大きな粒子は、短い距離しか飛ばず、短時間で床に落ちるが、小さくなった粒子は長時間空気中に留まり続け、部屋中に広がって空気感染を引き起こす、という点です。」という解説もありましたが、なにがエアロゾル感染かはよく判りません。

○マスクとコロナ感染予防効果については、よく判らず、結局、信心の問題と思われ、効果があると信じる人はかけ続け、私のように信じない人間は外せば良いのですが、周りがマスクばかりだと、外せない気の弱さが恨めしいところです(^^;)。

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コミュニケーション障害にしかならない
専門家の感染対策は間違いだらけでした。コロナウイルスはエアロゾル感染であることを厚労省が明記しています(※8)。エアロゾルは空気中を漂う5μm以下の非常に小さな粒子を指します。

小さな粒子は不織布マスクのフィルターを通過しますし、私たちは通常マスクの脇のすきまでから呼吸もしています。人が密でも疎でも、アクリル板やビニールあっても無くてもウイルス粒子は空気中を漂っていました。私たちはマスク着用し専門家の示した対策に協力しましたが、どれも無意味でした。人に盲従するというのはそういうことです。

人は表情を見ながらコミュニケーションをとっています。マスクは障害でしかありません。「口角泡を飛ばす」の「口元がゆるむ」ように感情のやり取りに重要な顔半分が、マスクで隠されてしまいます。マイクロ・エクスプレッションといい、微妙な表情のニュアンスも消されてしまいます。

特に子供たちには大きな負荷をかけることになりました。診察にやってきた保育園の先生が「マスクをはずして絵本を読むとすごく反応がいいんです。子供たちの会話の声も大きくなるんです。マスクをしている間は静かな感じで伸び伸び育たなかったな、と思っています」とおっしゃっていました。子育て中のお母様は子供への負荷を懸念し、「人の目がないときには外させてます」と教えてくれました。

また、マスクの意味が見出せない患者さんは自作のスケスケマスクなどを何枚も作られていました(写真)。付けていればよい腕章やワッペンと同じです。もはやマスクは感染対策にもならないどころか健康を損ない、コミュニケーションの障害物でしかありません。集団内で顔を隠すという、個を失わせて団体行動をとることにしかなっていません。

自分で見切りをつけられない人が多すぎる
ご存じの通り海外ではすでにノーマスクが基本になっています。アメリカ野球のMLBやバスケットボールNBAの超満員の試合で、観客がノーマスクであることをご存じの方も多いでしょう。

テニスのジョコビッチ選手は、ワクチン接種をしていないため入国を断られ試合に参加できない事例もありましたが、5月のイタリア国際では見事優勝を果たしました。もちろん観客席の人々はノーマスクです。

世界では、マスクだけでなくワクチン接種に対しても冷静な対応がされるようになっています。米国ではワクチン3回目接種は国民の30%ほどで低迷しています。海外ではそれぞれの国民が、マスクにもワクチンにも見切りをつけて不要に思って行動しているということです。

こういったことも知っているはずなのに、なぜ日本人はいつまでもマスクをつけているのでしょう。

米国以上に問題のない日本では、昨年からすでにコロナは季節性・土着性に変化しています。必要な時以外は調べなければ存在もわからないので「コロナは消えて」います。

それにもかかわらず、私たち日本人はマスクをし続けています。コロナの恐怖と不安をあおり、様々な制限を加えてきた「コロナ専門家」が、何もせず無責任にフェードアウトし、私たちを放置してきたのが一因でしょう。

同時に、自分で考えて責任を引き受けて行動することを避ける国民性も大きく関係しているように思います。自分で考えず、言われないとやらない。一度言われると考えないで永遠にやりつづける――。マスク着用はまさに、責任回避行動の典型例です。

感染対策ではなく、責任回避のための道具になった
それを証明するような会話も経験しています。「テレビでマスク着用は不要です、と言ってくれたらスッキリするのに」とおっしゃる患者さんがいました。

「マスクをしないで自分が陽性になったら、責任を問われるかもしれない。形だけでもマスクをしないと」「ワクチンを打たないで陽性になったら責任問題。打って陽性なら免責」と話してくれた患者さんの声はとても印象的です。

マスクはワクチン同様に、まさに責任回避のための道具に成り下がっていると思います。

人間は本来、自由な存在です。本人の体のことは本人が自由に選択して暮らしていくべきだと思います。けれども、日本では「指導者に責任を持ってもらって、言われたことを守り、周りの目を気にして生きていく」という風潮が強すぎるように思います。

以前、学校の先生をなさっている患者さんがこんなことを話していました。「熱中症の危険性はわかります。でもマスクを外したり、ワクチンを打たない学校でクラスターが起きたりすると世間に騒がれます。学校はそれを嫌がります。だから、どうしても横並びになっちゃうんです」と。

私は「自分や生徒の自由や命の安全を最優先に自分たちで考えます、と宣言すべきです。たとえ子供がこれまでの習慣からマスクをつけたいといっても、みんなの体のために外すことになったんだよ、と積極的に伝えるべき」と応えました。世間体より重要なことです。

私は15年ほど前にも残念ながら同様の経験をしました。アナフィラキシーショック治療薬のエピペンや、AED(自動体外式除細動器)を学校に導入指導に救急医として参加した時です。

当時、学校関係者は「命に関わる作業は自分達の仕事ではないから私たちはやらない。時間かかっても医療者を呼ぶ」とはっきり申し渡されました。生徒の安全よりも横並びの責任回避現象でした。

個人のレベルでも、組織のレベルでも同じことが、入れ子模様になっています。

「相手を感染させないため」のマスクが、「感染しないため」のマスクとなり、最終的には自身の責任を回避するためのマスクになってしまったと言えるでしょう。

自由を自分たちで取り戻そう
ニューノーマルなんかでなく、コロナ前の社会に戻るべきです。必要のない場所ではマスクを外す。よく考えれば当たり前のことです。しかし今の私たちには、自分の行動に責任をもって自立して暮らしていく貴重な学びの機会になるでしょう。

欧米では日本よりも先に、マスク着用をはじめとするコロナ規制が撤廃されています。海外では、すでにコロナ前の生活に戻り経済が動いているのです。日本がガラパゴスのような状態で取り残されれば、経済も、国力も、二流以下に転落してしまいます。

感染対策を続けて他人と距離を起き続けることは、少子化につながります。2021年の合計特殊出生率は1.30で、6年連続で低下し、出生数も過去最少となりました(※9)。

コロナ禍後に出生数を回復させる欧米に比べて、日本は人口減少に歯止めがかかりません。コロナ専門家が主導したマネジメントの失敗で、国民は貧しくなり、自殺者も増えました。新型コロナウイルスの感染症法上の位置づけを2類相当のままにし、人災拡大と補助金垂れ流しを放置してきました。これは明らかな人災です。人口減少と貧困が悪循環になっていくことを防がないといけません。

私たちは「自主性を取り戻してマスク離れ」をすることができるのか、試されているようにも思います。それは、私たちがコロナ前の暮らしに戻るための試金石です。何かあれば、またつければいいだけです。

コロナ専門家にすべてを委ねるのではなく、私たち自身が考えて行動する時が来ました。日本の繁栄と私たちの豊かさを回復させるために「くだらないこと」をさっさと自分で終わらせてしまいましょう。誰もいないのにマスクを着けたり、人前だけマスクを着けたり――。周囲の目を気にしてマスクを着けるのは、もうおしまいです。

マスクを外すことは、自分に主体性をとりもどして有意義な人生を送っていくすぐにできる第一歩です。もう色々なことは終わりました。さあ、私たちも海外の人々と同様にマスクを青い空に放り投げ捨てて、自由に人生を謳歌していくことにしましょう。

大和田 潔(おおわだ・きよし)医師
1965年東京葛飾区生まれ、福島県立医科大学を卒業後、東京医科歯科大学神経内科にすすむ。厚労省の日本の医療システム研究に参加し救急病院、在宅診療に勤務の後、東京医科歯科大学大学院にて基礎医学研究を修める。東京医科歯科大学臨床教授を経て、あきはばら駅クリニック院長(現職)。頭痛専門医、神経内科専門医、総合内科専門医、米国内科学会会員、医学博士。著書に『知らずに飲んでいた薬の中身』(祥伝社新書)など。監修書に『のほほん解剖生理学』『ホントは看護が苦手だったかげさんの イラスト看護帖~かげ看~ 』『じにのみるだけ疾患 まとめイラスト』(いずれも永岡書店)などがある。
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